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思春期の記憶

今回は中学生、高校生の頃についてお話しします。

私は、この頃から「コンプレックス」にがんじがらめになっていました。

中学生。とにかく人に嫌われないようにする事で精一杯でした。

部活は取り敢えずの運動部。
運動部で痩せて可愛くなると思って、人が少なそうなソフトボール部に入ったは良いものの...基本的に補欠です。運動神経に関しては良くない方だと思うので、今考えると自ら茨の道を進もうとしていたんですね。

そして以前もお話ししましたが、父親に「ブタの貯金箱」と言われて育った私は、とにかく自分に自信がありませんでした。

可愛いと言われる子やギャル系の子達には人一倍気を遣っていた気がします。どう話したら嫌われないか、どう振る舞えば自然か。

幸い、友達はいたので直接的ないじめはなかったのですが。

自信がないので「自分が」悪口を言われているんじゃないか、気持ち悪がられていたらどうしよう、とにかく嫌われないように、一緒にいると楽しいと思ってもらえるように、と考えていました。

実際に小学生時代とても大人しい子で仲良くしていた子が、中学生になりギャルとなり、他の人の陰口を言っているのをみていたので、彼女達がこそこそ話して笑ってるのを見ると「私かもしれない」という不安が拭いきれず毎日不安でひとり落ち込んでいたのを覚えています。

中学生になっても一緒に帰ったりしていたので、とにかくその子に「つまらないな」と思われてるのではないかと不安でした。

そしてその時代、ひとつだけ良いことがあり、1年生の時の合唱コンクールで伴奏者賞を獲りました。とても嬉しい...のですが、当時の私は表彰されるのが怖かったのです。

表彰された人が名前を呼ばれた際、同じクラスから大きな拍手と歓声が上がっていました。

案の定、私にはそんなものありませんでした。まばらな拍手のみ。表彰されたのに、恥ずかしさを感じました。

自信がないので「あいつ友達いないんだ」「拍手少ない、可哀想」「デブじゃん」「誰それめんどくさい」と思われてないかずっと考えていました。

その頃から、目立つことに若干の恐怖を感じるようになりました。

そしてその恐怖は自分が可愛くないからだとずっと思っていました。

中学時代は、恋愛よりも成績よりも人に嫌われないことが一番だったのです。

そして、小学生・中学生の時に何されたわけでもないのですが「見返してやる」という気持ちが強く、絶対女優になってやるという夢がありました。

が、それもずっと揺れていたのです。なりたいと強い気持ちでいる私と、自信がないので諦めさせようとする自分と。なので結局何もしないで終わるんです。

当時やっていた「金八先生」のドラッグ使用していたことがクラスの全員にバレてしまうシーンの武田鉄矢さんの演技に感動して女優になりたいと改めて思ったり、でもやっぱり私太ってるし無理だと思ったり...

「やりたいこと=やれること」ではないと思っていたので、こんなデブでブスな私は無理だ、結局売れませんでした等かっこ悪い自分を見たくなく、いつも逃げてしまっていました。

その後、高校生になり、県内の女子高に行くことになります。

今でもたまに会う友達は高校の友達です。基本的に真面目な子と一緒にいることが多かったですね。色々と比較して辛くなったりしないので、その方が楽だったんですよ。

高校生の成績は、担任の先生に「もっと出来ると思った」と言われたレベルです。

部活は軽音部でギターとボーカルをやっていました。

演劇部と本当に迷いました。

でも自分なんて女優になれないだろうしという思いと、自分が認めてもらえるのは音楽じゃないかと思っていたからです。

「目立つのが怖い」はかっこ悪い目立ち方するのが嫌で本当は「とても目立ちたい、認めて欲しい」という思いが強かったので、常に目立つのが怖い私と目立ちたい、認めてほしいという承認欲求の塊の自分を行き来してました。

1年生の時は本当に良いクラスに恵まれました。初めの頃はなめられないようにと少し尖っていたんですが、みんな可愛くて優しくて。

そして何より私の中での一番は、1年生の時の文化祭でした。

イベントの「のど自慢大会」に出てピアノの弾き語りをしました。

同じ曲を披露する先輩がいたり、ハプニングがあったりとスムーズではなかったのですが...優勝することができました。

ハプニングというのは舞台上でマイクが入らないもので、途中で止まれば良いのですが、当時緊張していた私はそれどころじゃなかったのでパフォーマンスを必死に続けていたのです。

その裏で当時の担任が感動していた、と言うことを後で聞き「人を感動させる」ことが素敵だと改めて感じました。

女優として人を感動させられたらどれだけ素敵な人生なんだろうとずっと感じていました。

2年生、クラスに苦手な人がいてずっと馴染めず、だった気がします。

可愛くないのに目立つ人、可愛くないのにギャルで性格も良くない人...

そんな人達が嫌いでした。

2年生の頃は記憶があんまりないんですよね。

あ、でもひとりだけ。すごく仲良くなった頭がいい子がいて。その子と一緒にサボったりしてました。大好きでしたね。

3年生、とにかく仲の良い4人組が出来ました。

ひとりはギャルだけどとても良い子で。もう2人はスポーツやってて、すごく面白くて大好きでした。

恐らく一生残るであろう心の傷もこの頃に。

同じクラスに同じあだ名の子がいたんです。美人系の可愛い子。その子のことを話すたびに「可愛い」の言葉が飛んでくるのが辛かったです。

特に辛かったのは、何かのイベントの写真を展示してたんですが、そこを見ていた2人の生徒が話していたところ、たまたま通りかかり聞いてしまいました。

「ひなちゃん」

『どっちの?』

「可愛い方の」

先にあだ名が同じとお伝えしましたよね。

「可愛い方」と「可愛くない方」にされてたんですよね。

流石に泣きました。

改めて私は女優なんて無理なルックスなんだと思い知らされた瞬間でした。

ちなみに私は東北に住んでおりまして、卒業ディズニーから帰ってきたタイミングで3.11が起きました...。

後は、部活について。

「歌に関しては負けたくない」との思いが強く、他のバンドの子と勝手に競ってました。

その子が上手いと言われていたのを聞いて、悔しくて泣いてたことも何度もあります。

前回の小学生の頃の話にもありましたが、比較することで自分を保っていたのです。

自分に自信がないから比較するのか。

比較するから自信がなくなったのか。

比較してしまう人生がどれだけ辛いものか。

大人になってから気付きます。


次は東京の専門学生時代についてお話しします。


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