<ゴッホの手紙 上中下、硲 伊之助訳、岩波文庫>(補遺)日本絵画の影響はここにも! 平原(畑)への愛、すだれ効果、雨、余白について。
ゴッホの手紙感想文の(補遺)として、(1)「平原(畑)への愛」、(2)「すだれ効果」、(3)「雨」について書いてきましたが、いよいよこれで最後になります。(4)の「余白」についてです。これまで投稿した(補遺)の記事を末尾に示しますので、ご興味のある方はご覧ください。
(4)日本画で鍵となる「余白」はゴッホの素描に一時現れたが、その後は消え、逆に空までも線で埋め尽くされるようになった。
「ゴッホの手紙」の中に紹介された素描に興味を持ち、感想文を書いたのですが、それでは書き足りずさらに思いついたことや連想したことを(補遺)として書いてきました。
それらはいずれも「線スケッチ」の立場からの思い付きや連想です。「線スケッチ」では、水性顔料、耐水性のサインペンを用いて、下書きせずに対象物を描きます。そのあと透明水彩絵具で彩色をします。
ですから、彩色する前の段階は、浮世絵版画の線描や水墨画における描き方と共通することがわかります。
さてゴッホは手紙の中で、さかんに「日本人が描いたように素描を描きたい」と書いているのですが、それは日本人の画家が「最小限の線で、しかも素早く写し取る」ことができ、自分もそれを目指すと言っているのです。
それこそ「線スケッチ」の描き方そのものです。そのような視点でゴッホの素描を年代順に見ると大きな変化を遂げていることが分かります。以下、箇条書きでまとめます。
アルルに移住する以前は木炭や鉛筆を用い、陰影も濃く描かれて全体に黒い色調が目立つ。
アルル以降は「葦ペン」による輪郭線で形を描き、細部も線の描写に変化した。面による塗りつぶしがなくなり、全体が軽快で明るい。
ときおり「畑」や「糸杉」など対象に集中すると描き込みが目立つ素描が見られる。
晩年近くになり、線の描写スピードとうねり具合が強くなる。
雲の形を描く以外何も描かなかった空を、真昼にも関わらず、短い横線で埋め尽くしたり、点で埋め尽くす素描が出現する。
西に沈む太陽(曙光も含む可能性あり)を、真ん丸の線を四方へ延びる光線で描いた素描がいくつかある。
実際に素描の例を挙げて、その変化を見てみましょう。
まず、アルル移住前の素描です。
木炭や鉛筆で描かれており画面全体が黒々としています。写実を徹底するだけでなく陰影も描いているのでどうしても画面が黒々とします。
次はアルル以降の素描を示します。
先に示したアルル以前の素描とは様変わりしています。あきらかに手紙の中で述べている「日本の画家のように描きたい」を実行に移していることが分かります。
すなわち必要最小限の輪郭線で形を描写し、陰影を描かない。また葦ペンを使うことで、東洋の筆のように線に速度感や表情が出ており、画面全体も余白が増えて明るくなっています。
「線スケッチ」を描いている身としては、最初の図の中の「アルルの跳ね橋」や「農家の風景」の素描は、大きく余白が取られていて、とても親近感がわきます。
しかし、当初の余白が適度に入っていて明るい絵が、その後、樹木や畑、草原の描写になると描き込みの程度が強くなり、緻密に描かれた線だらけの画面になっていきます。すなわち、「余白」の面積がどんどん減っていくのです。
ゴッホは日本絵画の「余白」を理解していたのか?
こうなると、「日本の画家のように描きたい」と望んだゴッホが、果たして日本絵画の「余白」を理解していたのか疑問になります。
私は、ゴッホが理解していた、理解していなかった、どちらにせよ緻密化していくのは必然だったという気がします。なぜなら、頭で理解したとしても、西洋人は、画面の隅から隅まで目に入ったものはすべて描きたいという気持ちが身体に沁みついているために、描いているうちにそれが出てしまうのではないかと思うからです。
日本人の描き方の場合、隅から隅まできちんと描き込んだ絵よりも、どこかすべてを描き込まない、ある種ゆるく抜けた感じの絵を好むことが云われています。これは墨と筆で描く水墨画を見ても、本家の中国では、全画面を描写で埋め尽くしており、その線描は厳しく、素晴らしいのは分かるのですが息が詰まる感じです。それに反し日本では線描も柔らかく、余白を活かした絵が特徴になっていきます。
同じアジアの中国と比べても上に述べた特徴の違いがあるので、それが西洋となるとより顕著な違いが現れます。中でもよく知られているのは、西洋人は余白を許さない、余白を見ると、それを未完成と感じ埋め尽くしたくなるという話です。ですから、頭で理解したからと云って、余白を西洋人が身に着けるのはかなり困難ではないでしょうか。
日本の余白の影響を受けながらも自分の様式として昇華した西洋人画家は、私が今思い浮かぶのはピアズリーぐらいではないかと思います。一方、影響というよりも、ほぼ完全に日本式画法を取り入れた西洋人画家としては、アンリ・リヴィエールが思い出されます(ご参考までに両者の絵を下図に示します)。
また影響というよりも、来日して日本の絵そのもの(新版画)を制作したヘレン・ハイド、バーサ・ラム、チャールズ・バートレット、エリザベス・キース、ポール・ジャクレー達も入れてもよいかもしれません(新版画については、「線スケッチ」の観点から代表的な川瀬巴水、吉田博を始めとする作品について15年ほど前からブログに書いてきましたが、外国人の新版画作家についてもいずれ書いてみたいと思います)。
さて、ゴッホの場合は、日本絵画(素描)を目指すと云いつつも、どんどんと余白は少なくなり、線描も晩年はうねる様な線で描かれるようになります。なぜでしょうか。
少しゴッホの素描における空白の面積の変化を調べてみましょう。
なぜ、昼間の空を線で埋め尽くすのか?
空白の変化はまず空にはじまります。それは何と昼間にもかかわらず、まるで夜空かのように無数の短い横線や点で埋め尽くされるのです。そして他のところも、例えば畑や草原の草の描写が緻密化していきます。(空を埋め尽くした例として下図をご覧ください。)
素描で、昼間の空をこのように点や短線で埋め尽くした例は見たことがありません。いったいなぜでしょうか?
もちろん、前項で述べたように、西洋人として空白の空を何かで埋め尽くしたいからという説明もできますが、他の西洋人画家がこのような描き方をしていないところを見ると、ゴッホ独自の試みのように思います。
今回の「ゴッホの手紙」の一連の感想文および補遺のシリーズは、「ゴッホの手紙」の中で掲載されているアルル時代の素描よりも油彩画にこれまでは注目が集まりがちだったが、素描も重要ではないかという問題意識から始まりました。
しかも素描が先(下絵として)で油彩が後という図式ではなく、ゴッホは素描も油彩も同時に描くなど、両者は同じように大事であると思っていたこと、そして油彩のあの情熱的な筆のタッチは、実は素描の線描と同じであることを指摘しました。すなわち油彩は一見感情に任せて筆を動かして塗ったように見えるのですが、素描においても同じタッチの線描で描写しているところから、考えた末の運筆と色の選択だったと云えます。
そうしてみると、私には空を点と短線で埋め尽くしたのは分かるような気がするのです。素描も油彩と同じ感覚で、心の中で彩色をしていたのではないかと。
ゴッホの手紙の中では、素描を示して盛んにどのような考えで色を塗ったかを、手紙の相手に熱心に語りかけています。ゴッホは素描の時に色がみえていたのではないかと考えたいのですが・・・。
以上は私の想像にすぎません。本人に聞かなければ分からないことですが、そう考えると私には、真昼の空のように見えてきました。
さて、「余白」についてのゴッホの素描を述べてきましたが、最後に次の節を加えて終わることにします。
太陽はなぜ光線を放つのか?
アルル以降のゴッホの素描を調べていてあることに気が付きました。
次の図をご覧ください。
地平線のそばに輝く太陽を描いた絵が意外に多いことです。
草原や畑の描き込みも丁寧ですが、地平線の上にまん丸な太陽が光線を一面に放って輝いています。この場合、朝日も夕日もどちらも描いているようです。
光線と云えば、日章旗を思い出しますが、西欧でも中世の絵を見ると炎や光線らしいもので太陽を表現している例があります。ですから断定はできませんが、浮世絵でも力強く四方に放たれた光線で夕日を描いているので、ゴッホがそれを見た可能性もあります。
しかし浮世絵の場合は、あえて太陽本体を描かず地平線から放たれた光線と空の赤のみで夕日を表しており、違うかもしれません。
いずれにせよゴッホは、空白(空)を太陽で埋め尽くそうとしたことは間違いないように思います。
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