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【批評の指南書を批評するという卒業試験 -- 書評『はじめての批評 勇気を出して主張するための文章術』】

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タイトル: #はじめての批評
  著者: #川崎昌平
  書籍: #単行本
ジャンル: #文章術
 初版年: #2016年
 出版国: #日本
 出版社: #フィルムアート
 全巻数: #1巻
続刊予定: #完結
 全頁数: #182ページ
  評価:★★★★★
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【あらすじ】

 批評というと何やら大ごとに聞こえるが、生活する上でどこかで自分の主張を述べる場面がある。そういうときに自分の中にある「批評力」というものが問われる。自分の考え(思想)を誰かに伝えることは大変難しいが、だからといって何も言わないのは正しい行動とも言えない。自分が勇気を持って主張するときに必要な論述と文章のイロハを一から学んでみる。そして、批評のひとつである「書評」をSNSにて挑戦してみよう。

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【感想的な雑文】

 まず「批評とは何か」と訊ねられると、19世紀イギリスの詩人で批評家のマシュー・アーノルドが信じた定義が的確かもしれない。

最高の批評とは世界中で最善のものと認められ、考えられている物事を知り、それをまた他者に知らせることによって、真実の、また新鮮な思潮を創造することである。 

『教養と無秩序』意訳:岩波文庫

 また、映画評論家の町山智浩も大変近い見解を残している。

評論家の仕事は、まず第一に作者が意図したことは何かを読み解くこと。その次に、作者の意図を越えたところまでを指摘すること。 

『映画秘宝 期間限定版 ベストテンなんかぶっとばせ!!』
洋泉社MOOK

 そもそもライターは読者の代行業である。私たち読者のまだ知らない書籍・映画・思想などの価値を一定以上までに読み解き、私たち読者に一種の「噛み砕き」として丁寧な形で布教する。その際に読者のなかでは、それまでなかった価値観の変化が働いて、その作品が持つ価値の理解を作者と同等の位置にまで引き上げる。

 この一連の流れについて、本書の作者で編集者の川崎昌平は「批評とは、そうした読者の価値を産むための道具です。」と解説している。

 Aを知らない人にAの魅力を伝えたり、Bを嫌う人にBの意外なメリットを教えたり、相互間の価値の差を明瞭にし、なおかつ両者にとって新たな価値観を育む土壌を用意すること、それが批評の効果であり、魅力だと川崎氏は前書きで述べている。

 また、批評は価値を産む道具であって、批評を書く本人には「相手に伝える」以上の権限はない。だからこそ、批評を書く際の姿勢が問われるのだ。

 報道やSNSでは「自称正義」として痛ましい誹謗中傷が溢れている。きっと彼らは「ペンは剣よりも強し」の言葉を積極的に体現しているのかもしれない。

 この言葉の原典は、1839年イギリスで発表されたエドワード・ブルワー=リットン卿の戯曲『リシュリュー』で、主人公リシュリューが放った台詞である。

 17世紀の実在したフランス宰相(国王付きの政治家、今の日本で言うと総理大臣の役職)、リシュリューは中央集権体制と王権強化に尽くした人物で、強大な権力を持っていた。ある日、部下の軍の司令官たちが、自分の暗殺計画を目論んでいることを知る。しかし、リシュリューは宰相であり枢機卿(カトリック聖職者)であったため、武力行使による対抗策が出せない立場であった。そして、リシュリューは司令官たちのいる公の場で、あの台詞を言う。

「まことに偉大な政治(我が政権)の下では、ペンは剣よりも強し。」

 リシュリューは暗殺を目論む司令官たちより上の権限を持つので、軍隊を動かさないよう命令を下す令状に自分がサインさえすれば、軍隊はリシュリューを殺しに向かえない。つまり「部下がどれほど知恵と武力を持っていても、上司の命令には逆らえない。」という風刺の一部を切り取った言葉なのである。

「我々には知る権利がある」「我々には発言する権利がある」と、大きい主語が付いた己の批評に過剰な評価を誤って与えたが故に、主観的な正当性でしか論点が広がらなくなる。

 そのような批評に何かの力があるとすれば、狂暴と抹殺しかない。まさにリシュリューの台詞を「自称正義」が積極的に体現しているのだ。彼らはそれらを理解した上で「ペンは剣よりも強し」と発言しているのだろうか。

 新たにペンを持つ私たちがこのようにならないためには、「異論を一度認め、思想を再び学び、新たな価値を伝える」という批評の基本である技術と礼儀を、主張の前で常に忘れず弁えることが大事なのだ。本書は、正しい主張のやり方を知らなかった若者に向けた、最初の講義である。

 最後は、本書の1ページ目に掲載されている箴言で締めようと思う。

才能の実在は普遍的な富であり獲得物であって、読者はその実在が思想と文体との外面的な体裁のもとに、どうあらわれているのかをまず確認しなくてはならないのに、批評は、ただ思想と文体とのこの体裁の上にとどまって、作者を分類するだけである。 

『失われた時を求めて 第七篇 見出された時』
マルセル・プルースト(訳:井上究一郎)
筑摩書房

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【本日の参考文献】

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【川崎昌平さんのSNS】

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【あとがき】

 本書と齋藤孝『だれでも書ける最高の読書感想文』を交えた解説文も書きましたので、どうぞよろしくお願い致します…!


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