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しなびて、縮んで、小さくなるその脳みそごと母をぎゅっと抱きしめる

嬉しい「まさか」 と、悲しい「まさか」

宝くじが当たったら何しよう とか
大好きなマツコさんにばったり会えたら 何てお声をかけよう とか
大好きなTV番組、家ついてっていいですか?に取材されたらどうしよう とか。

❝ まさかが実現!~嬉しい ver. ❞ については誰にお願いされるわけでもないけど よく予行練習をする。
なのに、❝ まさかが実現!~悲しい ver. ❞ の予行練習はこれっぽっちもしたことがなかった。
きっと、みんな そう。

嬉しい 「まさか 」なら、誰だって大歓迎だろう。
悲しい「まさか」なら、できるだけ遠慮させて頂きたい。
私には あり得ないよなぁと 無意識に排除していた悲しい「まさか」。

突然、大好きなご飯やさんが閉店するとか
突然、仕事に行けなくなるとか
突然、恋人にフラれるとか
突然、トラブルに巻き込まれるとか、
突然、なぞの病が判明するとか。

あれが、これが、ぼくが、私が、彼が、彼女が、あの人が
「まさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。」って。
きっと、みんな そう思う。そういうもんだ。

宝くじに当たったらとか なんとか、嬉しいものばかりじゃなくて
悲しい「まさか」の予行練習が ちょっとでも できていたら、

もっと沢山のことにアンテナが張れていたら、

あの時 母に優しくできただろうか?

母の苦しさに気づいてあげられただろうか?

あきれて 苛立つ感情を ぐっと抑えられただろうか?

「ママがおかしいね、ごめんごめん!」と笑って謝る母のことを

「大丈夫だよ。」と笑い返して ぎゅっと抱きしめてあげられただろうか?

これもまた、今さらどうにもならない話と分かっていながら、
振り返っては 当時の自分を殴りたくなる。

認知症 はじまってたってよ

5年前、母は52歳になる年、若年性アルツハイマー型認知症になった。
正確には、‟なった”という表現は間違いだろうけど。

だって どっかの胡散臭い催眠術師から「サン! ニー! イチッ! パチン!」とカウントされて
「はい!あなたは今この瞬間から病気になりました!」みたいに、病気は 突然なるものではなくて。
たいていのそれは、知らないうちにじわじわと始まっているもの。

認知症もそうらしい。

多くの場合、診断がつく数年前からすでに発症しているって考えるのが普通なのだそう。
その事実を知ってやっと、私はすっかり忘れていた数年前の出来事をぽつぽつと思い出す。
母に対して違和感を覚えたその出来事たちは、それまで私の脳内でただの点と点だったのに、その点がそれぞれ【認知症】というワードによって結びついていく。あれはもう、そういうことだったんだ。

「桐島、部活やめるってよ」みたいに
「認知症、はじまってたってよ」って

他人事のようにあっさりと そして ひんやりとした衝撃を食らった。

(タイトルが好きなだけでこの映画を観たことはありません。神木くんは好きなのでいつか見たいです。)

認知症の兆候については、あの頃だってTVも雑誌もたくさん取り上げていたのに。私はそれらの情報すべて 「へ~。ふ~ん。」と 脳みそを素通りさせていたんだな。
悲しい「まさか」の予行練習は行われなかったし、当時の私には あの「おいおい母よ、 一体どうした?」【認知症】を結びつけられなかった。

謎のヘビ文字

わが家は父をのぞいて、母、私、妹の女3人が3人とも要領がわるく、面倒くさがり、なんでも後回しな性格。
「ギリギリでいつも生きていたいから~Ah〜」と歌う某ジャニーズの曲がテーマソングのような私たち。

私は大学進学を機に上京して、そのまま東京で就職した。
妹はたしかまだ学生で、カナダ留学の最中だった。実家に帰るのはだいたい盆と正月。その年、妹はカナダで年越しをするため実家には私ひとりが帰省した。

さきに書いたように、ギリギリでいつも生きていた女な私と母。いや、「本当は余裕持って生きていきたいけど 気づいたらギリッギリに追い込まれている女」かな。

とにかくそんな私たちには、クリスマスの夜に重大なミッションが課せられる。
ミッションの内容は、年賀状の宛名書きを完了させること。12月26日までにはがきを投函して、なんとか年賀状が元旦ぴったりに到着するようにしないといけない。
毎年 性懲りもなく年賀状の作成を後回しにして だらだらずるずると作り、締め切り前日を迎える。
こうして私たちは、たいていクリスマスの夜にその余韻を味わうことなく せっせと宛名書きに取り組むことになる。

基本的に 父は自分で文字を書かないため
父が出す分も私たちが手分けして書いていた。
そんなこんなで枚数も結構なものになり、一刻を争う戦いになる。←

私は居間にある低いテーブルを陣取って、横目に見える大量の残数に焦りながらも バリバリと書き上げていく。力を入れすぎて手がキーっとつりそうになりながら、なんとか自分の分を書き終えた。

少し離れたところにあるダイニングテーブルにて母が同じ戦いに挑んでいる。ふとそちらに目をやると、母は眉毛をハの字に歪ませて何やら ぶつぶつ言っている。

「こうかなぁ…。」「んー…。」と、なにかに行き詰っている様子。
宛名無しのハガキの山を見る限り、母の宛名書きは全然進んでない。

「どうしたの?」

私は母のそばに寄って、そのペン先を覗く。ん?なんだ?

「これ、なんか変じゃない?おかしいよね?」 と眉毛はハの字のまま、困った犬みたいな顔した母が 書きかけのハガキを私に差し出す。

「…ん?」 

宛名欄にあったのは、縦方向にうねうねとした謎のヘビ線と、そのとなりに【可】の文字。その下には、【本】の文字。

母のもう一方の手には、【河本】さんから届いた前回の年賀状。
たしか 母が書いていたのはこんな感じ↓

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私「あ、え、ママ?筆ペンで書くわけじゃないしさ、字体まで真似する必要ないでしょ(笑)」

母「え?」

私「だから、それは行書体で書いてあるから ‟さんずい” が繋がってるだけでしょ?ママは普通に【河】って書いていいよ。」

行書体で書かれている【河】の‟さんずい”部分を、見たまま、ありのまま真似た母により、宛名欄には謎のヘビが出現していた。
よく見ると、【本】の2画目も 止めるべきところがシャッと勢いよく左斜め上に向かって跳ねていた。

母「えーそうなの?」

呆れ気味に説明する私に対して、未だに きょとんとした顔で母が答えるので
私が何か間違えてるのかと一瞬 不安になるくらいだった。

「(おいおい母よ、一体どうした?!)」

このあとも、相手先の年賀状が行書体で書かれているたび、母はそのままきれいに真似て ヘンテコ文字を作り出す。
書き損じのハガキが増えていく。時間も、ない。

謎の事態が続いて私はイライラし始め、先回りして宛名が行書体で書かれた年賀状をピックアップ。付せんに楷書体で書き直し、貼っていく。
その付せんをお手本に
「あぁこれね!ごめんごめん!」と笑いながら母が書く。

名前だけじゃなかった。住所を書く際にも 同じことが起こる。

「それ、行書だってば!!怒」

書き損じたハガキが勿体ないし、何より時間がない!これじゃ間に合わん!とイライラもピークに達した私が途中から代筆し、わが家の年賀状は何とか26日までに投函できた。

楷書で書かれていれば問題なく宛名書きができていたことと、
今年も年賀状という戦いが無事に終わった~という安堵、
年末年始の慌ただしさに紛れてしまってか、このことは認知症の診断がつくまで すっかり記憶の隅に追いやられてしまっていた。

いま思い出すと、これは相当異常なことだと分かるけど、母のおっちょこちょいやうっかり、変なミスは昔からで その延長くらいにしか思っていなかった。とにかく「認知症」の にの字も出てこなかった。

消えたJR川崎駅

他にもあった。

大学時代も、就職してからも、母はよく地元から一人で飛行機に乗って東京まで会いに来てくれていた。

ある金曜日の仕事終わり。
私の週末休みに合わせて 母が東京に遊びにくることになっていた。
母の到着に間に合わせるため 残業をなんとか早めに切り上げ、バタバタと自宅を目指している途中、母から電話がかかってきた。

私「わ、もしかして もう〇〇(私の最寄り駅)に着いちゃった?!」

慌てる私に、母は何やら言いづらそうな様子で話し始める。

母「いや、まだついてないの。・・・川崎駅で降りたんだけどね。どうやって〇〇に行くんだっけ。」

羽田空港から私の最寄駅へは、川崎駅(神奈川)で乗り換えをする必要があった。
まず、空港からは京急線の電車に乗って京急川崎駅で降りる。
一方、私の家の最寄はJR線上だったので、京急川崎駅からJR川崎駅への乗り換えが必要になる。
その辺のことを知る人には分かると思うのだけど、当時は(いまもかな?)京急川崎駅とJR川崎駅はそれぞれ独立しており、一旦改札から出て地上、または地下道を通って行き来しないといけなかった。

私「え、今どっちの川崎駅にいる?京急?それともJR?」

母「・・川崎駅は出たんだけど、、」

私「京急は降りたのね。そしたら、JR川崎駅向かって。」

母「そうだよねJR川崎駅。歩いたんだけど、ないのよ。」

私「ない?ないって何? え?とりあえず、京急川崎まで戻れる?」

自身なさげに「戻ってみる」という母に、目の前に何が見えるかなどを手掛かりに何とか振り出しの京急川崎駅まで戻ってもらい、改めてJR川崎駅を目指すべく私は電話越しにナビを始める。

駅を背にして、左だ 右だ まっすぐだーなど誘導していくもどうにもJR川崎駅にたどり着かない。本当に、JR川崎駅消えたとか?いやいや。

そもそも、初めての人でも迷うほどの道順ではない。
まして母は、初めてではない。何度か一人で来ている。

「(おいおい母よ、一体どうした?!)」

私の職場は 川崎を挟んで羽田とは反対方向にあった。
私としては自宅の最寄で合流するほうが導線に無駄がない。疲れていたし 面倒くさいしで 何とか電話のナビで済ませたい私。
ところが何度くり返しても母はJR川崎駅にたどり着かない。
もう本当に、ふざけてるとしか思えないほど、たどり着かなかった。

一週間の仕事の疲れもあってこの謎の事態に私のイライラが爆発。

「もうそこから動かないで!!怒」

怒鳴って電話を切り、母を迎えに行くため、電車に乗り 自宅の最寄り駅を通り過ぎて川崎駅へにむかった。

川崎駅に到着し、母に電話をかける。

私「着いたよ、今どこ?」

母「〇〇(カフェ)に入って、コーヒー飲んでる。」

カフェの名前で居場所の検討が付き、やっと母との合流を果たした。
カフェの場所は、しっかり 京急川崎駅とJR川崎駅の間のエリアだった。
ここにいるならすぐ分かるだろ!とさらに怒りが沸いた。

カフェに入ると、母がコーヒーカップ片手に「あ~こっちこっち♪」と手を振っている。

私「いやいや何 呑気にお茶して待ってんの?どんだけ疲れたと思ってんの??
すぐそこじゃん!これたどり着けないとかほんと、おかしいよ!」

と、最っ悪の態度で 母を迎えた。
久しぶりに会えたのに。はるばる来てくれたのに。
どうしてたどり着けないのか、どうしたらいいのかとても不安だったのは母だっただろうし、疲れたのも 私より沢山歩きまわった母だっただろうに。

それでも母は 怒りを引きずる私に向かって
「ママがおかしいね、ごめん、ごめん!お仕事お疲れ様^^余計に疲れさせたね。」と言って にこにこしながら謝った。 

これまた振り返ると、明らかにおかしなことだと分かる。
でもこれも、いつもの母の延長線上のことだった。

あの日の後悔が 私に母を抱きしめさせる**

約束していたのに時間になっても待ち合わせ場所に現れないなと思ったら、14時を午後4時だと思い込んでいたことが判明したり

同じ話を、さも初めて話すかのような口ぶりで楽しそうに、それはそれはきれいな再放送をしてくれたり。

当時、母は50になったくらいだったかな。
おかしなことがちょこちょこあった。
けど、それでも【認知症】かもなんてこれっぽっちも考えなかった。

これを何度も言っては可哀そうだけど、昔から本当に母は不注意でおっちょこちょいで。
物をよくなくすし、何もない所で躓いて転ぶこともあったし、とんでもないミスをすることもよくあった。そういう性格だと思っていた。
正直どこからが脳の萎縮の影響だったのかはよく分からないけれど、少なくとも昔からしっかりしたタイプではなかったのだ。

だから、どこまでも その延長でしか捉えられなかった。

医者は私に 母の頭のMRI画像を見せながら 頭蓋骨?と脳の間にできた隙間を指して言った。

「ここが、脳が萎縮してる部分ね。」

萎縮、萎縮って意味は分かる。分かるけど、でも、脳が萎縮ってなんだ?
はじめてMRI画像を見て帰った日、私は思わず辞書を引いてしまった。

い‐しゅく【萎縮】
①なえしなびてちぢむこと。元気がなくなること。相手の勢いに圧倒されてちぢこまること。「気持が―する」
②一度正常の大きさに発達した器官などの組織容積が小さくなること。病的に起こるほか、思春期以後の胸腺、更年期の卵巣・乳腺などのように、年齢により生理的に起こるものもある。

脳がしなびて、縮んで、小さくなるってことらしい。

きたる未来を知り、早めに備えられたならとも思うけど
もし得体の知れない何かが
「2年後、お母さんもあなたも難病にかかってることが分かるよ~そっから結構大変なことになるよ~」って突然告げてこようもんなら、

悲しい「まさか」が事前に知らされようもんなら、

じゃあせめてその2年くらい何も知らずに楽しく過ごさせてよ!ほっといてよ!と、それはそれで、私はそう思うかも。

当時イライラしたことが本当に可愛らしいことに思えるほど、今の母はできないことが増えている。病状はどんどん進んでいく。

母は何も悪くない。
悪いのは病気で、母は好きで病気になったわけではない。

それが分かっていても、いまも母にイライラしてしまう時がある。それはそれは、毎日のようにある。

でも、当時 ガンガンに苛立ち、怒って、母を責めてしまったことを意識的に思い出すことで、後悔することで

いまは「大丈夫だよ。」と、笑って母をぎゅっと抱きしめることができている。

これからも 時間が許される限り 私は
しなびて、縮んで、小さくなっていくその脳みそごと、母をぎゅっと抱きしめたい。

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