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お肉がなくても、おばあちゃん家のごはんを美味しく感じたワケ

私の食の原点は、滋賀県は琵琶湖の畔に住む、おばあちゃん家のおうちごはんです。

お茶やお花の師範をしていた祖母の家は、美しい日本庭園を有する数寄屋造りの一軒家。裏庭には畑のほか、ぶどうや柿、いちじくといった果物も成り、幼い私にとっては夢のようなお家でした。

そこで出される食事は、炊きたてのごはんに、カツオ出汁が効いたおみおつけ。そして、畑でとれた旬の野菜を使ったおかずの数々。

自家製のぬか漬けは切り口が美しく整えられ、冬なら白菜、夏は紫色にそまった茄子などが並びます。

春には山歩きが趣味だった祖母の山菜や野草料理が加わり、物珍しさもあってか、私は自分の家にいるとき以上に、祖母の家ではごはんがすすみました。

祖母の家では、ハレとケがしっかりと分かれており、ケ(普段)の食事は野菜がメイン。たまに親族が集まるハレ(特別)の日には、お刺身や焼き魚、天ぷらやとんかつなどが食卓に登場し、みんなで囲む食卓を華やかに彩りました。

普段の食事は今思えば質素だったかもしれませんが、特別な日の料理よりも印象深く、幼少期の美味しい記憶として私の心に残っています。

自宅ではお肉好きだった私が、なぜ祖母の家の昔ながらの和食を、あれほど美味しく感じたのか。

ひとつは、ごはんもおみおつけも、祖母の手によってとても丁寧につくられていたから。ご飯はガス火で炊いたもの。おみおつけは、毎朝、削りたてのカツオ節からお出汁をとっていて、カンナのような削り器を扱うのは、祖父の役目でした。

そこには、時短や手抜きといったワードはなく、シンプルだからこそ心を込めてつくる、そんな想いが込められていたように思います。

もうひとつは、季節ごとに変わる野菜や野草といった食材の物珍しさでしょうか。スーパーに並ぶハウスものとは異なり、畑で取れた旬のもの。しかもその日の朝、自分の手で収穫したものが食卓に登場することもあり、とても誇らしかったのを覚えています。

さらに付け加えるなら、器や盛り付けの美しさも家とは違うものでした。祖母の家では、器にもハレとケがあり、お正月や特別な日にしか登場しないお皿と、普段使いのお皿に分かれていました。

どちらも祖母の目利きによるのか、家に代々伝わるものなのか、古伊万里のような美しいお皿がたくさんあり、そこにセンスよく盛り付けるのが祖母は上手でした。

このようにみてみると、美味しいごはんとは、贅沢な食材を使うことでもなく、ただ舌で味わうだけでもないことがわかります。

私が心から満足し、美味しい!と感じた理由は何なのか。

それは、心を込めて丁寧につくられたものであり、季節を写し取った旬の食材の楽しさ、そして盛り付けや器など見た目の美しさによる感動など、五感を刺激する料理だったから。

”五感を刺激する料理”。ここに、昔ながらの菜食和食を楽しむ秘訣が隠されていそうです。






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