6日ぶりの秋田の夜に、思うこと。

秋田に帰り、実家の机の上でパソコンを叩く。殿がタンスの上で眠り、たまに起きてひょいと顔を出す。そこに人がいることを確認すると、また安心して眠る。そんな風景を見て、秋田に戻ってきたことを感じる。


5日ほど東京にいた。彼女との時間と、一緒に仕事をしているデザイナーさんとの打ち合わせが東京での大半を占めた。その隙間時間に展覧会にも行ったりした。どれも良い時間だった。

そして明日からは介護の仕事(日常)に戻る。次の朝を迎えたら、ぼくはポロシャツを着て、水筒と弁当を持って愛車のマーチに乗り込み、仕事に行く。そうやって現実が舞い込んでくる。

だから今日はポロシャツとズボンを出して、水筒を洗って準備をする。一週間前から歯が痛いので、ロキソニンも忘れずに。


どうして介護の仕事をしているの?

会う人に「鷲谷くんはどうして介護の仕事をしているの?」と、唐突に聞かれることがある。ぼく自身、その理由はわからない…というのが正直なところで、大学生の時に一人のおじいちゃんと出会ったことがきっかけであることは確か。

ただ、そこからは流れというか、引くに引けないというか、でも「今ここでこの仕事(福祉)から離れたら、何か大切なものを見ずにぼくは生きていくことになる」という感覚はあったと思う。

そう思い現場に立ち、時間が過ぎていくなかで、少しづつ消化されていく感覚がある。どうして自分がそう思っていたのかが、わかっていく感覚がある。


とある偶然を、とあるイベントから

この前、とあるイベントに行った。そのイベントで登壇していたゲストの方が「高度経済成長や、日本の成長によって、虐げられたものがある」と、おっしゃっていた。この言葉が、なぜか響いた。

本質とは何か、大切なこととは何か。溢れ出す情報のなかで、よく見えなくなっている気がする。スマホを持たずに高校野球に打ち込んでいたぼくが、情報に触れたとき(スマホを持ったとき)、それがどっと襲ってきた。

大切なことは何か。見なければいけない現実は何か。自分の「成功」や「成果」の裏に隠れているものは何か。虐げられている「人」や「こと」はないのか。それを考えるように、いつしかなった。

そのきっかけはよくわからないけど、きっとぼくの本棚に並べられている数多くの本が原因であることは確かだと思う。本はぼくをいつも予測不可能な、よくわからない世界に連れて行ってくれるから。


いつなんだろう

と、いつも通り、頭のなかの言葉を書いた。このnoteは本当に日記化している。。。読んでいる人、意味わからんくてすんません。

色々知りたいことはあるし、見てみたい・体験したいグレーなことはあるけど、いくら知りたくたって、いくら裏側をみたくたって、ぼくは明日を生きなければいけない。

今抱えているものを、今の自分にできるベストを尽くして、やり切らないといけない。それを「仕事」や「責任」と、言うんだと思う。

そうなると、ぼくが世界の秘密を知れるのはいつなんだろう。読みたい本を全部読み尽くせるのはいつなんだろう。そして、福祉に対して納得して、新たな道に進めるのはいつなんだろう。

きっといつかとか決まりはなく、それは明日かもしれないし、ずっと先なのかもしれない。でも、ぼくはちゃんと現実を見よう。現実というか、今を見よう。

自分が見たい世界だけを見るんじゃなくて、誰かが目をつぶったもの、虐げられたもの、そういったものを見てみよう。


現実で、現場で、体感するだけじゃなくて。

現実で、現場で。たくさんのことを体感して、それをより良くするために、できることをちゃんと考えたい。

体感するだけじゃなくて、現実を見て満足するだけじゃなくて、その現実や今を変えるために、良くするために、ぼくにできることを考えて、そのために行動していこう。そうやって日々を生きていこうと、思った夜。

まだまだ書きたいことはあるけど、そろそろ寝ないと。明日寝坊したら大変だーい。朝っぱらからのおむつ交換、頑張るぞい。

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