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【#Real Voice 2023】 「涙から振り返る」 4年・戸部広大

ア式蹴球部には1年生の仕事の中にネット補修というものが存在する。
ネット補修は練習、試合の前にゴールのネットに破損がないか確認するもの。
ただ、ネット補修をしてもア式蹴球部には桁違いなシュート力を持つ選手が多く存在し、その方達によりネットはすぐ破壊される。
理不尽なことに、当時はどれだけネット補修し確認しても、破損してしまったらミスとなる。
桁違いなシュート力を持つ選手が新しく開けた穴だとしてもミスとなる。

ネット補修に関しては何度もミーティングをした。

こんな、ネット補修をしていた頃から、早4年が経とうとしている。

もう、目の前には引退、
幼い頃に抱いた将来の夢「世界で活躍するサッカー選手になる」は達成することはできず、来年からは社会人になる。
どんな時も自分を応援し支えてくれた両親、ありがとう。
立派な社会人になれるように頑張ります。

ブログの内容に入る前に脱線してしまいましたが、本当に親にはお世話になったのでこの場を借りて感謝させていただきました。





では、本題へ
本日ブログを担当します、ア式蹴球部4年戸部広大です。よろしくお願いします。



10月29日、Shibuya Cityとの練習試合のこと。
前半が終わり、ベンチに引き下がり後半20分くらい経ってから突然、2滴の涙がユニホームのパンツに落ちた。

この涙は今シーズンの苦しみや葛藤から来たものだった。


今シーズン、人一倍のハードワークと声でチームを引っ張ろうと決意しシーズンを迎えた。


ア式蹴球部は3つのカテゴリーに分けられており、序列が関東リーグ(4月開幕)→Iリーグ(5月開幕)→社会人リーグ(3月開幕)の順番だった。
私は3月から始まった社会人リーグに登録された。

開幕してから引き分け、負け、負けと3試合勝ちなし。
私は2節からスタメンだった。

そんな中、4月に関東の運営の関係もあり、序列が関東リーグ→社会人リーグ→Iリーグの順番に変更した。
私はそのまま社会人リーグに残していただいた。
序列が1つ上になり、周りのレベルも上がった。
嬉しさもあったが、ここでやっていくことができるのか不安もあった。
ただ、ここで自分が求められていることは上手さじゃなかった。

今シーズン私が決意した、ハードワークと声。この2つでしかなかった。

5試合中4試合スタメン、2勝2敗。

メンバーを見る限り、勝つことが当然のようなチーム。でも勝てなかった。

自分の役割は分かっていたけども、
自分がいなければもっと楽に勝てた、自分がいなかったら勝てたと思ってしまう。
オザさん(小澤コーチ)が「上手い選手が11人揃っていても勝つことはできない」とメンバーに向けて言ったことがあった。
実際そうではあるものの、その言葉も自分を励ますための声にすら聞こえた。

悔しいし苦しかった。

そんなタイミングで教育実習期間に入り、チームを2週間離れることになった。
教育実習に入る前日の試合で肋を骨折したり、教育実習期間に入ったりと、神様が自分にチームから一旦離れて休むように促してきたのかと思った。

教育実習期間を経てチームに合流。
肋の骨折があり、リハビリからスタート。
その後の2試合はベンチから1番声をあげて盛り上げた。

復帰してから4試合、ベンチスタート。試合に途中出場するまでベンチから1番声を出して盛り上げた。
プレーで示せない分、外から本気で盛り上げた。もちろんピッチ内でプレーしている時も声を出すが、ピッチの外だとプレーしていない分呼吸が乱れないため声をずっと出していられた。

ベンチでいつも通り声を出していると
こんなことを思ってしまった、
自分はベンチから声を出してチームを盛り上げて、試合に出る11人は上手い選手だけでやったら最強のチームになるのではないかと。。。
最悪の思考になってしまった。


この思考が冒頭に述べた涙の原因である。
ピッチの外から声を出すことが心地よくなってしまった。
それから、ピッチ内でプレーすると複雑な気持ちでいっぱいだった。
ボールロストするけど、声は出す奴だった。
だんだんと周りを気にするようになり、声も出しづらくなっていった。

今シーズン決意したことの1つを放棄しようとしていた。

放棄しかけていた時、ある日のAチームの練習でかず(同期の福井寿俊 / 國學院大學久我山高校)
「周りが上手くなると、ミスが多くなって声が出しにくくなるんよね」とさらっと言った。
かずは「別に気にせず声出せよ。ミスするけどめちゃめちゃ声出す奴いたら、周りは頭おかしい奴いるなってなるだけやろ」と言ってきた。
楽観視できるかずの天才的なアドバイスのおかげでサッカー中は頭おかしい奴になることにした。

そこからは周りを気にすることなく、ハードワークして声を出し、自分のプレーに集中することができた。

社会人リーグは結果的に6位で終わった。
思うような結果を出すことはできなかった。
たくさん公式戦に出させていただいたが、苦しい思いをした試合の方が多かった。

こんな一連のエピソードがあり、その辛く、苦い経験がフラッシュバックしたShibuya Cityとの練習試合で涙が出てしまったのだ。
涙がでるほど刺激的な毎日だった。

自分はプレーの良し悪しで、起伏が激しく変化する。

そんな自分が
練習や練習試合、公式戦の中でチームを引っ張り続ける。
自分がどんな状況であれ、月曜日以外はグラウンドに行き、チーム(組織)に向き合う。
スタメン落ちをして、萎えていてもベンチから声を出して中にいる選手たちを鼓舞する。

無心になり取り組んでいたことなのかもしれない。

いや、無心にア式蹴球部4年目という責任と自覚が常に自分を奮いたたせていた。
その結果、いいのか悪いのかわからないがどんな状況であれ、声を出しハードワークしていた。


この1年間(4年間)で人の心を動かすのは声(言葉)と行動であることを改めて痛感した。 
誰かが声をあげ、行動し、周りを引っ張る。
誰かが声をあげ、行動し、周りを引き込む。
誰かが声をあげ、行動し、周りを奮い立たせる。
誰かが声をあげ、行動し、周りを笑顔にする。
誰かが声をあげ、行動し、周りに活力を与える

声をあげ、行動する 「誰か」という存在。
この「誰か」という存在になるために、近づくために試行錯誤した。
「誰か」とは不特定の人物を指す。
この誰かという存在が増えていくことが強い組織、チームを作り出すのだと感じた。

この気づきと共に、1年生の時の4年生の姿が偉大であり、鏡だと感じた。

そんな偉大な4年生たちが自分の入部を認めてくれた以上、
私はア式蹴球部で最後まで、できることをやり続ける使命がある。
グラウンドでの活動は見ていないかもしれないけど、
自分のことをあまり覚えていないかもしれないけど、
戸部を入部させて良かったと思ってもらえるように引退までの期間、声と行動で示したい。



4年間、ほぼ週6日であっていた同期とももう少しでお別れ、
写真を振り返ったら、懐かしい思い出がたくさんあった。
あの時は辛かったことも今では思い出。
本当に頼もしい同期に恵まれてここまで来た。
全て出し切って終わろう。


最後に

あの日流した涙は苦しみや葛藤だったが、

引退するときは嬉しさや達成感で涙を流したい。

◇戸部広大(とべこうだい)◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:早稲田大学本庄高等学院


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