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【#Real Voice 2023】 「『走れメロス』から見る多面的思考構築の糸口 」 3年・橋爪瞭

電車に乗っていると、男性がすごい勢いで走って飛び乗ってきた。
特別な理由は無いが、急いで走っている男という連想から、この時ふと「走れメロス」が頭に浮かび上がった。
そこで「走れメロス」を改めて読み直すことにした。
ちなみに中学2年以降読んだ覚えは無い。読み返すと、あの退屈していた中学の国語の授業の45分間とは裏腹に、様々な考えを持った。
今回は主に「走れメロス」の主人公メロスに注目をして、多面的な思考ができれば良いと思う。「走れメロス」の作者、太宰治の社会的背景や生き方について触れながら進めることでより深い考えを導き出すことができると思うが、今回はあくまでも「走れメロス」の文章からのみ考えることとしたい。
この文章を書こうと思ったきっかけは表面的に見えるものだけではなく、もっと多面的な方向から物事を見て思考できれば、より日々が楽しくなるのにな。と様々な人間を見ていて思ったからである。その多面的思考を行う1つの題材として、ふと思い付いた「走れメロス」を取り上げる。

「走れメロス」は全中学2年生の教科書に掲載され、誰しもが義務教育を終える前に目にする有名な作品の1つである。自分も前回読んだのが中学2年の時であるため、大筋の内容さえも覚えているか覚えていないか程度であった。そのため、軽くあらすじを紹介する。

妹の結婚準備のためシラクスの市を訪れたメロスは、人づてに聞いた国王による残虐な行いに激怒し、城へ乗り込みます。
王に歯向かった罪で、メロスは処刑されることになります。メロスは処刑を受け入れるものの、妹の結婚式のため3日間の猶予がほしいと述べ、親友のセリヌンティウスを人質にすることを提案し、認められます。
そして無事に妹の結婚式を見届けたメロスは、親友の待つ城へ向かって走りだします。肉体的疲労や自身との葛藤、度重なる障害を乗り越えて約束を守ったメロスの姿に、王は改心します。(1)


「メロス」とは一体どのような人物なのか。話を読み終えて思い付く一般的な意見として、勇者、ヒーロー的な存在、友情に熱い男、妹思いで良い兄、英雄のような描き方がされている人物と考えるのが普通であろう。
実際、⽥中里彩さん、渥美伸彦さんという方が旭川市内の公立中学生を対象に授業を行った結果、子供たちはメロスについて「正義感が強い」「勇敢でかっこいい人だ」(2)
という感想があったと述べられている。このことからも、ヒーロー的な存在として考えるのが普通である。事実、自分も中学校の授業で取り扱った時はそのように感じていたし、生徒の大半も同じ意見を出していた気がする。
しかし、この機会に読み直した今、それは表面的思考に過ぎないと感じた。
メロスは勇敢なヒーロー的人物ではなく、矛盾多き暴君メロス。ヒーローというよりは悪者。そのように考える必要があると思った。話に登場するシラクスの街の王ディオニスは「邪知暴虐」「暴君ディオニス」と記述されているが、むしろメロスにその表現をする方が適切とさえ感じる。そのように感じたところを見ていきたい。
メロスは、まちの様子を怪しく思い、何があったのかと若い衆に聞くも答えてもらえず、その後老爺に逢い、聞き出す。「王様は、人を殺します。」その答えに対して、メロスは激怒し、「呆れた王だ。生かしておけぬ。」と一言言い、のそのそ王城に入っていく。ここで「走れメロス」の冒頭部分に着目したい。「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。」メロスは政治が分からない。にもかかわらず、2年前とは異なった街の暗い雰囲気から政治の悪さを判断し、王を殺すことを決意する。このシラクスで生活を営む信頼できる友、セリヌンティウスに話を聞こうともせずに。また、老爺はメロスに強く言い寄られて口を開いたが、話したことについての証拠はどこにも無い。言い換えるなら、メロスは自分の決めつけで王を殺そうとしたのだ。そして、若い衆には強く聞かず、老爺には強く言い寄って答えを引き出した。この行動は正義と果たして言えるのだろうか。まさに暴君と言うほうが適切では無いだろうか。
また、メロスは3日間の猶予と引き換えにセリヌンティウスを身代わりとする。一言の許可ももらわずに。この上なく信頼している親友であっても無許可で死ぬ可能性のある身代わりになれるだろうか。さらに、メロスは王に「3日目の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺してください。」と無許可でお願いをする。もはや恐怖さえ感じさせる。
メロスは王城に帰る途中、「そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、持ちまえの吞気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き、三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した」という。しかし、そのあと「セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ!私は急ぎに急ぎでここまで来たのだ。」という。矛盾が生まれている。帰り道の半分近くを歩いていた事実に噓をつく。
また、結婚式の夜、メロスは妹に「おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから噓をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。」このようにはっきり明言している。しかし、その妹にも市での出来事を話さず秘密にしている。
メロスのこのような一貫性の無い行動、そして暴君のような振る舞いは勇者とは言い難い。
つまり、表面的に見えるメロスの勇敢でヒーロー的存在というあり方は、別の方面から見ると、そうではないことが理解できる。

また、悪者として描かれる王ディオニスについて考えるのも興味深い。ディオニスは暴君として描かれ、見るからに作中の悪者として描かれる。果たしてそうなのだろうか。一般的にはそうであると思うかもしれない。ただ、メロスという訳も分からない村人が短剣を持って自分を殺そうと勝手に王城に入って来た際に、メロスの話をよく聞き会話の機会を与えている。さらには、自分を殺そうとしたメロスを1度捕らえたにも関わらず、釈放する。そして、3日の期間内に帰ってきたメロスを、約束通り処刑しようとするのではなく仲間に入れて欲しいとさえ頼む。邪智暴虐の王とは思えない。
王はこれまでの時間、孤独で寂しい時間を過ごしていたのではないかと考えられる。

以上のように、単に表面的に考えているだけでは見えてこない点も、多面的な方向から考えることで新たな見え方ができる。その考えは正解不正解に関わらず、新たな見方の発見として意味を成す。
今回は「走れメロス」について考えただけであったが、物語にとどまらず、日常にも多くの側面が隠されている。表面にとらわれること無く、その側面を見つけるために多面的な思考で生活を行うことは、日常にプラスαの楽しみを与えてくれるのではないだろうか。
また、今回を機に「走れメロス」を1度読み直してみるのはいかがでしょうか。


※「走れメロス」の文章はhttps://hotnews8.net/good-story/Run-Melosより引用。


(1)マイナビニュース https://news.mynavi.jp/article/20230807-2744319/

(2)田中里彩 渥美伸彦「多角的に読む観点を与える物語教材の授業実践―走れメロス―」北海道教育大学旭川校国語国文学会(2023)


◇橋爪瞭(はしづめりょう)◇
学年:3年
学部:教育学部
前所属チーム:近畿大学附属和歌山高校


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