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【#Real Voice】 「言葉を捉える」 1年・橋爪瞭

こんにちは、早稲⽥⼤学ア式蹴球部1年の橋⽖瞭です。拙い⽂章ですが、どうぞよろしくお願いします。
これまで、沢⼭の⽅々に⽀えられてきました。その中で、今回は⾼校で感じた思いについて書いていくことにします。

⾼校3年間を通して、『⾔葉』について考えるようになった。

僕のサッカー部の監督は、⼊学してから卒業するまで、「ありがとう」と「ごめんなさい」この2つのことだけは絶対に伝えられるようになれと、⼝酸っぱく僕たち⽣徒に伝え続けた。
⾼校⼊学当初の僕が初めてこの2つの⾔葉を聞いた時、その⾔葉は常識であろうと思っていた。しかし、たった15年の経験でそれを常識と考えるのは浅はかなことであった。

それまで「ありがとう」「ごめんなさい」の⾔葉について深く考えたことがなかった。

「ありがとう」
漢字で書くと「有り難う」。ありがとうの反対は当たり前。
実は今そのことが⾏われていることは当たり前ではないということだ。
有ることが難しい。このような意味を持ち、感謝を表す。
意味を考えれば、決してただ単に使う簡単な⾔葉ではないとも感じる。
「ありがとう」の意味なんか知っていなくても伝えることが⼤事であることには違いない。
しかし、意味を考えたことがあるのとないのとでは、伝える時や、受け取る時の重みが変わってくると思う。

⾼校3年間は、いろいろなことが上⼿くいかず⾟い時も多かった。しかし同時に、本当の意味での沢⼭の「ありがとう」を経験した。沢⼭の友達に恵まれた。監督だけでなく、僕に関わってくださった先⽣⽅や、数えきれない程の様々な⽅にお世話になった。特に⾼校1年から3年までずっと⼀緒だった担任の先⽣には数多くのサポートをしてもらった。それは感謝してもしきれないほど有り難いものであった。
また現在、初めて⽣まれ育った地を離れ、⽣活していく中で、親の有り難みを切実に感じている。

「ごめんなさい」
これも同様に意味を考えると、「御免なさい」となり、尊敬の御に、免れるが付き、相⼿に認可を求める⾔葉になる。そのまま。
こんな簡単な⾔葉を、なぜ伝えられるようになれと⾔ったのか。

⾼校⽣という思春期真っ只中に、何か⾃分が悪いことをしてしまっても素直に謝ることができる⼈が少ないと感じた。⾃分より⽬上の⼈に限らず、友達にも素直に謝れない⼈がどうやって良い関係を築けるのだろうか。
⾃分に⾮が無いのなら相⼿の⽴場を考え、丁寧に意⾒することは必要であるが、そうでない場合、いかにすぐに謝ることが相⼿の信頼を得られるのか⾝を持って感じた。
悪いことをして、「ごめんなさい」と⾔っても確かに怒られる。時として強く怒られる。でも、いずれ怒られなくなる。仲直りする。怒られるというコミュニケーションを通して、より関係が深くなるかもしれない。
つまり、「ごめんなさい」を⾔えないことは損をすることになる。

「ごめんなさい」。この⾔葉をマイナスに捉えることが多いかもしれないが、表⾯的に捉えるのではなく、その裏には沢⼭のプラスが詰まっていると考えられる。だからこそ、素直に伝えられるようになる必要がある。

どんなマイナスと感じている⾔葉でもその裏にはプラスがあるかもしれない。その⼈が愛を持って接してくれているのなら、なおさら⾔葉の重みを感じられる。
その瞬間には意味が分からないことでも後になって、あの時、こういう意味が込められていたんだとわかる時が多い。

これからも⾔葉の奥深さを考えて、どんな時も感謝の気持ちを持って過ごしていこうと思う。



橋爪瞭(はしづめりょう)
学年:1年
学部:教育学部
前所属チーム:近畿大学附属和歌山高校

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