世界全戦争史年表

歴史上の戦争・戦闘を中心に年表形式でまとめています。

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目次

第1章 文明の成立と古代文明の特質1 シュメール人とアッカド人の王朝 2 イシン・ラルサ時代と古バビロニア時代 3 ヒッタイト古王国・中王国時代 4 ヒッタイト新王国時代 5 カッシート王朝とミタンニ王国 6 エジプト先王朝・初期王朝・古王国時代 7 エジプト第1中間期・中王国時代・第2中間期 8 エジプト新王国時代(第18王朝) 9 エジプト新王国時代(第19・第20王朝) 10 古代シリア・レバノンの都市国家(前3300年~前1590年) 11 古代シリア・レバノンの都

    • 25 エジプト撤退後のクシュ王国

      前671年:アッシリア王エサルハドンがエジプトを征服。クシュ王国(エジプト第25王朝)のタハルカ王はナパタに逃亡した。エサルハドンはサイスのネカウ(ネコ)1世にエジプトの自治を許す。後にタハルカはエジプトを奪還 前667年:アッシリア王アッシュルバニパルがエジプトに侵攻し、メンフィスを占領。再びタハルカ王を南に追いやり、タハルカはナパタにまで逃れた 前664年:アッシュルバニパルがエジプトに再び侵入 前664年:タハルカ王が死去し、共同統治者であった従兄弟のタヌタマニ(

      • 24 エジプト第3中間期とクシュ王国

        前1081年頃:アメン大司祭兼クシュの総督(副王)で宰相のヘリホルがテーベにおいて支配を拡大し、「ウヘム・メスウト(新紀元)」という元号を採用。アメン大司祭が上エジプトを支配する体制が確立(アメン神権国家)。アメン神権国家の北端は上エジプト第19州にあった。ヘリホルは一時王を名乗るも、以後のアメン大司祭も北の王権を承認はしている。また、ヘリホルはラメセス11世の姉妹を妃としたか。なお、当時のアメン神官らは、エジプトの全神殿領の3分の2、全ての船の90%、手工場の80%などを所

        • 23 エジプト新王国時代までのヌビア

          前1万6000年頃:ヌビア(エジプトのアスワンからスーダンのハルツームまでの地域)のジェベル・サハバにて争いが発生。食料資源の奪い合いや、より良い環境をもつ居住地を求めての争いがあったか。多くの遺体に石鏃が突き刺さっていた 前3500年頃:ヌビア各地に小国家が成立していたか 前3000年頃:ナルメル王がエジプト第1王朝を創始(初期王朝時代の始まり) 前3000年頃:エジプトのアハ王が第1急湍地方に遠征隊を派遣。ヌビアには何度か戦争を仕掛けている 前2975年頃:エジプ

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          22 新アッシリア帝国の絶頂と滅亡

          前680年:エサルハドンが父王を殺害した反逆者勢力を一掃し、アッシリア王に即位。彼はバビロニア王でもあり、バビロニア及びエラム人と和睦を結んだ。また、エサルハドンはスキタイ(アッシリアはアシュグサと呼んだか)と同盟を結び、マンナイ(現アゼルバイジャン)にスキタイが建国することを認める 前680年頃:スキタイ人がパレスチナに侵入 前679年:アッシリア王エサルハドンがタバルに侵攻し、キンメリア人と対決、これを破ったか。結果、キンメリア人の南進は阻止された。しかし、タバルとメ

          22 新アッシリア帝国の絶頂と滅亡

          21 新アッシリア帝国の拡大(前721年~前681年)

          前721年:アッシリア王サルゴン2世(シャル・キン)が即位。サルゴンはシャルマネセル5世が廃止した、アッシリア本土の兵役免除の特権を再確認。首都をアッシュルとした(後にカルフ、ニネヴェへと移す)。一方、当時はエジプトとエラムがウラルトゥと結び、アッシリアに征服された国々に反乱をそそのかしていた。また代替わりの影響として、ハマト王ヤウビディが指揮する叛乱が発生しており、ハマトの北にあるアルパド、南のダマスクスなどがこの反乱を支援。なお、サルゴンはキプロス島にまで遠征し、7人の王

          21 新アッシリア帝国の拡大(前721年~前681年)

          20 新アッシリア帝国の拡大(前934年~前722年)

          前934年頃:アッシリア王アッシュル・ダン2世が即位。以後、新アッシリア時代となる(新アッシリア帝国)。この頃からアッシリアがアラム人への反撃を展開、勢力を回復し、周辺地域の征服を加速させる。征服した地域の人々は領土内の別地域に強制移住させ、反乱を防止した 前931年頃:ソロモン王が死去し、イスラエルの統一王朝が、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂 前930年頃:アッシリアとバビロニアがこの頃から前904年頃までに2度衝突 前911年:アッシリア王アダド・ニラリ2世

          20 新アッシリア帝国の拡大(前934年~前722年)

          19 中アッシリア時代

          前1363年頃:アッシリア王アッシュル・ウバリト1世が即位。以後、中アッシリア時代となる。彼は対外的には「アッシリアの王」や「大王」を名乗る。軍事的には王の武装勤務の名のもとに、自由農民中心の軍隊を組織。定期的な軍事訓練によってアッシリア軍を強化した。また、スバルトゥの地と呼ばれていたアッシリアをアッシュルの地と命名している 前1359年頃:カッシート王ブルナ・ブリアシュ2世が即位。彼は当初、アッシリアを属国と捉えていたが、アッシリア王アッシュル・ウバリト1世の娘を自身の息

          19 中アッシリア時代

          18 古アッシリア時代

          前2450年頃:シリアで都市国家エブラが繁栄。エブラは東方の都市アッシュルと同盟を結んでいた 前2334年頃:サルゴンがアッカド王朝を創始。アッカド王朝時代には、アッシュルの支配者イティティがガズル(後のヌジ)に攻め込み、戦利品を獲得している 前2285年頃:サルゴンのアッカド王朝がシュメール・アッカド地方を統一 前2269年頃:アッカド王マニシュトゥシュが即位。彼の治世には、アッシュルがアッカド王朝に臣従していたか 前2254年頃:アッカド王ナラム・シンが即位。彼は

          18 古アッシリア時代

          17 エーゲ文明

          前5300年頃:ギリシアのテッサリアの各遺跡にて、周壁や環濠が作られる。周壁はディミニに(諸説あり)、環濠はオッザキやアルギッサ、アラピなどに存在。また、ブルガリアから伝播したと思われる冶金術によって、銅製の武器が作られ、集落間の戦争が始まる 前3200年頃:キュクラデス諸島などで、青銅器時代が始まる(エーゲ文明の始まり)。やがて青銅器はペロポネソス半島、そして中央ギリシアに伝わる 前3000年頃:小アジアにトロイア市が成立 前2600年頃:ギリシア本土にヘラス文明が成

          16 ユダ王国

          前931年頃:ソロモン王が死去。息子レハブアムが後を継ぐも、北方に入植した10の諸部族とシケムで会談した際にさらなる重税をちらつかせたため、北方諸部族はヤロブアム1世をイスラエル王とし、ヘブライ人の統一王朝はイスラエル王国(ヤロブアム王朝)とユダ王国(ダビデ王朝。ユダ族とベニヤミン族)とに分裂。ユダ王レハブアムはイスラエルを攻撃しようとしたが、預言者シェマヤに阻止された(しかし、両者の戦争は絶えなかったとも)。やがて、東ヨルダンのアンモン、モアブ、エドムの諸国はイスラエルから

          15 イスラエル王国

          前931年頃:ソロモン王が死去。息子レハブアムが後を継ぐも、北方に入植した10の諸部族とシケムで会談した際にさらなる重税をちらつかせたため、北方諸部族はヤロブアム1世をイスラエル王とし、ヘブライ人の統一王朝はイスラエル王国(ヤロブアム王朝)とユダ王国(ユダ族とベニヤミン族)とに分裂。ヤロブアムは首都をシケムとする。ユダ王レハブアムはイスラエルを攻撃しようとしたが、預言者シェマヤに阻止された(しかし、両者の戦争は絶えなかったとも)。やがて、東ヨルダンのアンモン、モアブ、エドムの

          15 イスラエル王国

          14 古代パレスチナとイスラエル統一王国

          前7600年頃:イェリコにて、堅固な要塞をもつ最古級の都市が建設される。イェリコには城壁と周濠、見張り塔が築かれた 前6850年頃:イェリコの住居群が焼き払われる。掠奪戦争であったか。イェリコ人らはやがて強力な敵の襲撃を受け、アイン・ガザルに逃れて文化を移す 前3100年頃:セム系のカナーン人がシリア・パレスチナに入植し、都市国家を建設。イェリコやメギド、ラキシュなど 前3000年頃:上下エジプトが統一され、エジプト第1王朝が成立 前2975年頃:エジプトのジェル王が

          14 古代パレスチナとイスラエル統一王国

          13 アラム人とフェニキア人、新ヒッタイト(前797年~前332年)

          前797年頃:イスラエル王ヨアシュが即位。ダマスクスの弱体をみて、失地の大部分を奪回。一方で、シリア遠征を実施したアッシリア王アダド・ニラリ3世に対しては、ティルスやシドンと同様に貢納している 前796年頃:アマツヤがユダ王に即位。彼は、イスラエル王国と要衝ベト・シェメシュで激突するも、イスラエル王ヨアシュに敗れ捕らえられる(後に解放された)。ヨアシュはそのままイェルサレムに進軍し、城壁の一部を破壊して、財宝を掠奪。また、この時までにイスラエル王国は勢力を回復させており、ダ

          13 アラム人とフェニキア人、新ヒッタイト(前797年~前332年)

          12 アラム人とフェニキア人、新ヒッタイト(前1500年~前800年)

          前1500年頃:セム語系のアラム人がカナーン地方に移動。彼らの原郷はシリア砂漠で、牧畜民であったか 前1200年頃:シリア砂漠からアラム人が移動を開始し、東シリアを攻略 前1190年頃:ハットゥシャが放棄され、ヒッタイト帝国が滅亡。これにより、シリア・パレスチナではセム語族の先住民に加えて、新たな移住民の入植を受けて都市が発展。アナトリア南東部・シリア北部では旧ヒッタイト領のキズワトナからの移住民(ルウィ系・フリ系の混合民族)が都市国家を建設(新ヒッタイト)。彼らはフリ人

          12 アラム人とフェニキア人、新ヒッタイト(前1500年~前800年)

          11 古代シリア・レバノンの都市国家(前1550年~前1190年)

          前1550年頃:テーベのイアフメス1世が即位し、エジプト第18王朝が始まる。以後、新王国時代とよばれる 前1550年頃:フリ人の諸国がミタンニ王国(ミッタニ王国)に統一される。ミタンニは、メソポタミア北西部のハブル川流域を中心とした地域を掌握 前1541年頃:イアフメス1世がエジプトを再統一 前1538年頃:イアフメスがヒクソス最後の拠点シャルーヘンを占領し、ヒクソスを完全に滅ぼす。イアフメスは治世末年に再度アジアに遠征し、フェニキアに海港を確保 前1525年頃:エジ

          11 古代シリア・レバノンの都市国家(前1550年~前1190年)