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憲法改正後みたいな世の中に慣れてしまわないように。


前回まで数回にわたって日本国憲法の基本から憲法改正について、すごーくざっくりと読み解いてきました。

私は2014年に初めてちゃんと日本国憲法に出会ったのですが、憲法改正はされていないのに、この数年で日本はどんどん改正案に書かれているような世界になってしまっている気がしています。

教育基本法改正や特定秘密保護法に安保法制。原発の推進、沖縄では選挙結果を無視して辺野古の工事が始まり、明らかに不正に税金を使っている政権が居座ることができる。文書は黒塗り、データも歴史も事実も改竄が当たり前。

憲法で定められた国会の召集にも応じない。

第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

Before安倍政権だったら政権が吹っ飛ぶようなことが当たり前のように繰り返され続けています。

■今の日本は民主主義の国なのか。。。

この頃では政治から最低限の建前すらなくなっていて、正直もう民主主義国家じゃないのでは、なんて思うことも。。。

それに拍車をかけたのが2020年からの新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)の流行。市民の社会活動や経済活動など色々な権利や自由が、国会を通さないその場しのぎの決定によって簡単に制限されています。

2020年2月の一斉休校なんかは本当ならあり得ない話。

権利の制限に対して保障がないのが当たり前。市民から預かった税金を市民のために使うのを全力で出し渋るっていうのもどういうセンスなんだろう。

税金は政治家が自分たちのために自由に使っていいお金じゃないんだよ。預けただけなの。

そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。(日本国憲法前文より抜粋)

だけれどもありえないニュースが流れてくるたびに「またやってるなー」なんて、実はそんな状態に慣れてしまっている私もいたりするのです。恐ろしいことに。

ゆでガエルってやつじゃないか。

■権利に気づくこと、知ること、使うこと。

日本で緊急事態宣言が出された頃に話題になったドイツのメルケル前首相の演説があります。

私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であることを実感している私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく決められるべきではなく、一時的にしかゆるされません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。

メルケル首相のコロナウイルス対策TV演説全文の文法解説
Mikako Hayashi-Husel(林フーゼル美佳子)

どこの国のどの対策がベストなのかは正直わかりません。正解なんてないのでしょう。

だけれども、その国に住む人の命に関わる法律や社会保障を司る政府が、「権利」について真剣に考えてメッセージを伝えるということは国を運営する上で欠かせないなことではないでしょうか。

残念ながら少なくとも私には、日本のニュースや政府からそういったメッセージを受け取ることができません。

だからこそ

自分の権利を誰か任せにせずに、自分自身でもっと敏感になっていかないといけないし、そうすることが、自分以外の誰かの権利に気づくことにもつながると思うのです。

今私たちが “当たり前に思っている自由や権利” が、 “先人たちが気づいて勝ち取ってきたからこそあるもの” だという歴史と同じように、今、私が身近にまかり通っているおかしなことに気づいて、「当たり前の権利を当たり前にしていくこと」が次の世代の自由や権利を守ることになるし、大きな力を持たない私が次の世代へできるせめてものことなのではないかと思うのです。

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

以前の私は憲法なんて政治家が知っていればいいものだと思っていたし、政治の道具ぐらいに思っていたけれど、知ってみれば私の権利の話でした。

私の権利を守ってくれる憲法を知らなかったということは、私の権利を誰かに手渡しているのと同じだということに気づいたのでした。

私に権利があるという概念すらなかった私だけれど、自分に権利があると気づいたらそれまでの生きづらさが少しづつ解消され始めたし、私のせいだと思っていた多くのことが、社会の構造によるものであって、自分のせいじゃなかったということに気づくこともできました。

憲法改正について、何となく良くなさそうとは思っていたけれど深く考えずにいて、でも知ってみたら自分が住んでる国の方向性が変わっちゃう、それって思いきり私に関係あることじゃん!ってとても驚いたんです。

「個」であることが重要でなくなるとか、戦争しない国じゃなくなるなんてとんでもない。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

私たちの権利を守ってくれている憲法と私は無関係ではいられないのだから、私は少しずつでも考えておきたいし、いつでも意思表示できるようにしておきたいと思うのです。

■表現の自由を自分のものにしよう!

ここまで読んでいて、もしも「今まで知らなかった」「不勉強だから」て思った方がいたら、それってあなたのせいではないですよ。

権利のことや日本国憲法のことなど、教育の現場で大切なことを教えられてこなかったし、頑張らないと知れないっていう方がおかしい!

報道の自由だって危ういですからね。

でもこれを読んでくださっているどなたかが、今まで気に留めていなかった自分の権利に気づいたら、もしかしたら少しでも生きやすくなるかもしれないし、悩みの原因が社会にあったと気づくことができるかもしれないです。

私たちは誰もが平等で、どんな差別も許されないし、健康で文化的な生活を営む権利があります。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

た第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

だから「子どもの権利」とか「女性の権利」とか「世界人権宣言」などなど、今日から少しづつ調べてみては。最近は読みやすくなっているものも沢山ありますよ。

それから「意思表示なんて…」って思った方もいるかもしれないけれど、私もある時までは「人前で自分の考えを話すなんて、そんなこと私にはできない…」って思っていました。

でも、目の前で酷いことが起きているときに黙っていたら賛成してることになってしまう。

そんなのって嫌だなぁと思って、わからないながらも少しづつ会話に取り込んでいくようにしたら言えるようになってきたし、だんだん同じように思っている人や一緒に声をあげられる仲間に出会えるようになってきました。

知った今がタイミングだったのだし、何しろ私たちには「表現の自由」という権利があるのですから!!!(公共の福祉も忘れずに!)

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

19条 考えるのは自由。思考は全ての表現の自由の始まり。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

■憲法改正後みたいなこの世界に慣れないでいられるように。


1つひとつの幸せがもれなく大切にされる社会であるように。

誰もが何の障壁もなく、その人がいたいようにいられるように。

それには政治が担うところが大きいですからね。
普段からの意思表示と投票が必須かと思いますよ。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

“物言わぬ善良な市民” という傍観者にならないために。

最後までお読みいただきありがとうございました。




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