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【鈴木】との対話

カシノランサムが第4コーナーを回った瞬間、僕は「しめた!」と思った。若干、脚色はよろしくない。でも、今日の大井なら残れる。このリードを保つんだ。単勝1.5倍・1番人気のストーミースターはどんどん沈んでいく。やっぱり今日の大井も魔境だな!

次の瞬間、大外から一気に駆け上がる馬がいた。5番のトーセンルノワール!? えーっ! 藤本ー! それを前のレースでやってくれー!

自信がありすぎたが故に、カシノランサムは単勝しか抑えていなかった。複勝が490円もついたと聞いて、さらに顔は青ざめた。なんてこった…この馬券がうまくいけば、今日はこの時点で勝ったも同然だったのに…。
隣にいたアンちゃんは両手で顔を覆っていた。カシノランサムは連軸だったみたいだ。はーっ? 外れたの? 意味わかんない! とアンちゃんのガールフレンドも怒っている。僕も意味がわからない。
それだけ、カシノランサムは人気の盲点だと思っている人はいたということか。ああ、この悔しさ、悲しみを誰かと共有したい。
ふと競馬新聞に目を落とした。カシノランサムに◎を打っている人はいないか。そんなことが何故か気になった。

いた。競馬専門紙・日刊競馬の「スタッフ予想」欄に。
【鈴木】
日本で有数のポピュラーな名字を持つこの記者は、カシノランサムに◎を打っていた。

きっと【鈴木】も記者席のどこかで頭を抱えていただろう。そうだよな、【鈴木】。悔しいよな、【鈴木】。わかるよ、その気持ち。
僕の中で突然、【鈴木】に対する親近感が増した。

  ◆

競馬予想とは極めて孤独な作業である。自らの知識と海千山千の情報を集結させて、最後は研ぎ澄ませた感覚で己の◎を打つ。他者の意見を参考にすることはあっても、最後の最後は一人で馬券を買いに行く。
故に、人の予想にまるまる乗っかるというのは、僕の中ではご法度だった。

が、この日の大井で僕が抱いた感情は違った。
この悔しさは、【鈴木】と共に晴らすしかない!

かくして第8レースの予想は数秒で終わった。【鈴木】の◎であるメイショウシャルクの単勝。あと、流石に3レース連続で単勝1倍代が飛ぶことはないだろう…と思い、メモリーオンヒルも抑えてはみた。

結果はメモリーオンヒルが3馬身差で圧勝。大井競馬場にようやく、安らぎの時間が訪れた。メイショウシャルクは追い上げ虚しく5着だった。うーむ、やはり今日の馬場は追い込み勢には厳しいのう。

とはいえ、【鈴木】の予想に乗っかっただけで、悩みは薄まり、心の平穏は保てた。
そうか、やはり「自分で選ぶ」という行為は、少なからず苦痛が伴うものなのか。そして、誰かの決断と共にするこは、ここまで簡単なことなのか。

今日は時間の都合上、第9レース・流星賞を終えたら帰ろうと思っていた。ここまでの負けを和らげる最後のチャンスである。

流星賞の1番人気はコパノリスボン。大井で復活を目指すべく、中央から転入してきた。距離適正、脚質、血統面は申し分ない。あとはナイター競馬だったり、地方の砂に慣れるか否かだろう。
が、コパノリスボンが磐石という訳でもない。ライバルも多くオッズは割れていた。面白そうな穴馬もいる。

さて、【鈴木】の◎は…コパノリスボン。なるほど。やはりここは強いと見るか…。

パドックで馬を眺め、写真を撮り、ゆっくりと過ごす。そうだ、帰りは大井町のつけ麺屋に行こう。ああ、予想しないで過ごすパドックは心地良いな…。

これで良いのか。
自分の頭で考えずに過ごす競馬は、本当に楽しいのか。


いや、でも、予想することには、もう疲れたよ。
それに【鈴木】については何も知らないけど、常に僕に寄り添ってくれたし、まあ悪い予想屋じゃないと思うよ。次のコパノリスボンこそ大丈夫だよ…。

でも、僕はうずうずしている。気になるのだ、6枠7番サマーダイアリー。4才牝馬。重馬場適性、パドックでのキビキビとした動き、そして夏の成績は(2・0・1・0)で負けていない。2番人気だった。

僕は【鈴木】を信じたい。カシノランサムで共に泣いた【鈴木】を。でも、僕は僕自身を信じたい…。

悩んだ末に辿り着いた。コパノリスボンとサマーダイアリーの単複をそれぞれ買えば良い、と。かくして僕と【鈴木】は、ここで袂を分かつこととなった。

勝ったのはサマーダイアリーだった。やはり夏に強かった! コパノリスボンは何とか3着に滑り込んだ。安い配当金も積み重なれば、つけ麺一杯分の金額になる。

お互いのメンツを守りつつ、ほぼ最大の利益を手にすることができた。これで思い残すことなく競馬場をあとにできる。
さようなら、【鈴木】。そして、ありがとう、【鈴木】。君と共に語り合った夏競馬の思い出を、僕は決して忘れはしない

<お詫び>日刊競馬の鈴木記者様に対し、脳内とは言え大変馴れ馴れしい態度で接し続けてしまいました。深くお詫び申し上げるとともに、これから大井競馬場で専門紙を買う際は日刊競馬にすることを誓います

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