拒絶が怖い怖くない
【エッセイ】拒絶されるのが怖い原因。
人間多かれ少なかれ『拒絶の傷』を抱えています。なので、人から拒絶されたと感じると傷付きます。
この拒絶の傷は子供の頃に親との関係で「拒絶された」と感じたときに出来上がります。
お父さんが疲労困憊であったとき…
ほめてもらおうと思って行ったのに
相手にしてもらえなかった。
お母さんが掃除をしていたとき…
かまってもらおうと思って行ったのに
「いま忙しいからあっち行ってて」
他にも
親が、ぼーっとしていたときのひと言や
イライラしているときの態度など。
甘えるという行為は
子供にとっての愛情表現です。
(イヌやネコなんかもそうですね)
U^ェ^U ヘッヘッ (ФωФ) ゴロゴロ
親からしたら何の他意もないのですが、子供はそれを親が疲れてるからとか忙しいからだと解釈せずに「拒絶された」と受け取ってしまうことがあります。
ちなみに親が望まないタイミングで出来た赤ちゃんだったり、違う性別の赤ちゃんを望んでいた場合、その赤ちゃんの魂は「自分の存在を拒絶された」と敏感に感じとるそうです。
この場合
拒絶の傷は深いものになります。
拒絶の傷とは
自分が求めている反応がもらえなかったときに感じる苦しみのことです。
これはどんなに恵まれた環境で育ったとしても誰もが経験します。
大体みんな、拒絶の傷を持ってます。
拒絶の傷が出来上がる流れ
①「お父さんお母さんかまって~」
②「え~ん!拒絶された」
③「私を可愛く思っていないんだ」
④「私は愛されていないんだ」
⑤「ってことは、きっと私の何かが悪いんだ」
この思い込みが新品の脳にインプットされるので、もはや「塩 = しょっぱい」
くらい当たり前のものになります。
なので
「愛しているなら○○してくれる
(こんなことしない)はずだ」
「愛情」= 「自分の気持ちを察して理解してくれること」という思い込みを持つことになります。
いろいろなことに「愛」という解釈を
つける傾向に走ります。
ですが、実際には必ずしも
「愛情」= 「満足感を与えること」
ではありません。
「愛され度」と○○する、しないは
関係ありません。
拒絶された (と感じた) のは
相手の「都合」ではなくて
自分が「愛されてないからだ」
と思い込んでしまうのです。
この思い込みを抱えたまま、自分の求めている反応が得られない出来事を体験する度に「拒絶された」と傷付き、
「やっぱり私は嫌われるんだ」
「私の何かが悪いんだ」
と思うことを繰り返します。
そして、ついには
「どーせイヤな思いをする」
「どーせ自分は嫌われてる」
「自分はつまらない人間だ」
「何をやっても上手くいかない」
「だって自分は、そーゆー奴だから」
という結論に辿り着いてしまうのです。
「自分 = 拒絶される存在」
自分の存在(生きてること)を
拒絶されるのですから
怖いに決まってます。
なので
人から拒絶されるのが怖いあまり
人を「拒絶する」という事に。
しばしば
自分の要望に反する行動をとったり、
更にはまったく行動できなくなったり
することさえあります。
(= 自分自身 (ありのままの自分)を
拒絶している)
自分が自分を拒絶していると
世界(他者・現実)からも拒絶されます。
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※↑これは他者や自分を拒絶してきた自分が悪いからバチが当たったとか反省しろとかの話ではありません。
「ガソリンに火をつけたら燃えた」
みたいな化学反応の話です。そういう「仕組み」なだけであって自分を責める必要は全くありません👍
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拒絶がこれ程までに怖いのに
拒絶のループから
抜け出せなくなってしまいます。
だがしかし
これは「思い込み」だとわかりました。
親が悪かったわけでも、自分の何かが
悪かったわけでもありません。
そもそも「拒絶」ではなく、親の気分や「都合」だったのです。だからと言って
「愛されてなかった」ではないのです。
やりました👍
もうこれで拒絶の原因は、
「愛」とか「価値」とは関係ない
ことがわかりました。
得体の知れない不安感、恐怖心、孤独感など自分のなかにあって当然の感情です
自分 (の命) は拒絶される存在なんだと、ずっと無意識の領域で思い込んできたのですから。
それはもしかしたら『拒絶の傷』からの
「何かに気付いて」
「それ、思い込みだよ」
のサインかもしれません。
日常のさまざまなシーンで
そして、このnoteの世界で
応用してみてください。
いちいち、凹まなくなります。
「怖い」が消えていきます。
心が解放されます。
そして何より「拒絶された」
と思うことがなくなります。
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