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コミュニケーションって

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コミュニケーションや対人関係について、日々のできごとをもとにおっちらそっちらと書き連ねています。
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記事一覧

名前で呼ぶ

学生時代からコミュニケーションをとるときに意識をしていることがあって、 それが人のことを「名前で呼ぶ」なんです。 「なんだよ普通だな!」ってツッコミが聞こえてきました。気にせず寝ます。おやすみなさい。 おはようございます。 僕は「君」と呼ばれるのがすーっごい嫌いで、「なんだ偉そうなヤツだな???」と偉そうに思ってしまいます。ちなみに「あなた」とかも苦手です。 世は戦国時代ではないので「貴様」とか「そち」とか言わなくていいんですよね。戦国時代にこんな呼び方をしていたか

ラグビーの審判に見るコミュニケーション

2019年のラグビーワールドカップを観て以降、僕はすっかりラグビーファンになってしまいまして。 もう、ほんと、屈強な男たちがぶつかり合って熱いプレーをするのがカッコよすぎる・・・!!!そもそも筋トレが好きなので、「選手がこの体になるまでにめちゃくちゃ苦しいトレーニングを重ねているよな・・・スゲエ・・・」。となるわけです。もう男ではなく漢です。カッコよすぎます。 今日も帝京対早稲田の大学選手権決勝を見ていました。選手たちをめちゃくちゃ尊敬します。ハードワークという言葉がマジ

とりあえず「すいません」

とりあえず「ビール」。これもはや死語になるんじゃないか。 とりあえず「ノンアルカクテル」 とりあえず「微アルのハイボール」とか。 大して飲みたくもないビールを、いろんな飲み物を頼むための注文の手間と、早く飲み会を始めたいという一部の方々のために、一杯目はひと口ビールを飲む。そんな飲み二ケーション文化も間もなくなくなりそうだなあ。ちなみに僕は「ずっとビール」なんですが。 昔から、僕にはとりあえず「すいません」と言うクセ?があります。 「お電話出られずすいません」→運転

マツコデラックスが叩かれない理由

昨日できた後頭部のイボ。君はなんでそんなとこにできたんだい。痛くもかゆくもないのに、できなくてもええやないかい。とりあえず放置してやるよ・・・ありがたく思え・・・。 アンチ・イボである。プロゴルファーにいそう。イボ・アンチ。 話は変わって、マツコデラックスさんが面白くて好きなんですが、何でマツコさんはこんなにも人気なんだろうとたまに考えます。 「マツコの知らない世界」を毎週録画で見ていて、今週なんて宇宙飛行士の野口さんに「意外と背が高くてイケる」なんて言うんですよ。

「無茶振りはありがたい」

2年目、ちょっと変な上司に付いていたとき言われた言葉だ。 その上司はちょっと変というかベクトルが違う人で、自分で仲間とNPOを立ち上げて、地域コミュニティの中でイベントやら何やらを手掛けている人だった。 僕も一緒に商店街のイベントでパンを売ったり(?)、カレー好きのコミュニティの中に入って、自分のスパイスカレーを食べてもらったり(?)、貸店舗で居酒屋をやって、一日中ハイボールを作ったり(?)していた。 今となっては、そのときの「いろんな」という言葉では言い表せられない「

コミュニケーションのスイッチ

仕事をしていると、人とのコミュニケーションスイッチがオンになる。 適当な雑談だってお手の物。バカみたいな冗談だって言う。この世のモノとは思えない、上司のつまらないフリにもちゃんと答える。だって僕は営業マン。スイッチをオンにすれば笑顔マシマシで働く。 社外の人と話す場合は、さらにマシマシだ。笑わんでいい所でも笑ってしまう。声だって張り上げるゾ。目をじっと見て話すことだってできる。100人の女子大生の前での講義だってへっちゃらだ。場数は踏んできたし。だって僕は営業マン。 取

自分の声を聞く

あ、スピリチュアルな話ではありません。 そういえばこの前、亡くなった細木数子さんの大豪邸に娘さんが住んでいるというテレビを見て、占いのある意味でのパワーを感じました。パワー。なかやまきんにくんのパワーもまた、人を喜ばせる。 どうでもいい話をしてしまいましたが、私は自分が話しているときに、「自分の声」をよく聞くようにしています。 自分の喜怒哀楽は顔よりも声に出やすいなと思っていて、相手と話すときには、自分の声色を意識します。 たとえば、お願いごとをするとき。ちょっとゆっ

半径2メーターの中の誰かのために生きる

 こんな言葉を、NewsPicksのニュースを読んでいて見つけた。  ドラゴンボールを立ち上げたジャンプの元編集長・鳥嶋さんが語っていた言葉だ。 ※記事自体は有料記事なので、同業者としてこれ以上書けません☆  確かに、最近のヒット作をみると、鬼滅の刃の炭治郎は妹を鬼から人間に戻すために生きているし、チェンソーマンのデンジは自分の唯一の友人だったポチタのために生きている。  SNSやらで世界は無限に広がっているはずなのに、そんな近くの人のために生きる作品がヒットするのはな

「べき論」

 大学時代の敬愛なるゼミの教授に、「べき論」を排除しなさいと教え込まれた。  ニュースやら、SNS上やらでは、毎日のように「○○すべきだ!」「国が悪い!○○されるべきだ!」などなど、強い口調の「べき論」たちが躍っている。  教授は、「べき論というのは他人事なんですよ」と教えてくれた。  結局のところ、~すべきと話したり、書いたりするとき、主体である「私」がそこにいないのだ。他人が何とかしてくれる。命令にも近いような論調が「べき論」なのだと思う。  それから私は、レポー

モチベーションは与えられるものじゃないぞ

 って、あんまり好きじゃない上司に数年前に言われた。最初は「上司なのになんやねん。モチベーション提供してくれや」って思っていたけど、この言葉を「モチベーションがいま低いなあ」って感じるときに、割と思い出す。  「モチベーションは与えられるものではない」という言葉と一緒に、「自分で作るもんだ」と、あんまり好きじゃない上司は言っていた。  確かに、他者に自分のモチベーションを委ねていたら、いつまで経っても安定したモチベーションは手に入れることができない。他人のせいにしちゃうし

「つながり」という罠

今日はノー残業デー。業務内容は全く変わらないのに強制的なノー残業。上司の頭の中はノープラン。「そもそもお前らの仕事は時間内に終わるだろ。俺は大した仕事なかったぞ」と言わんばかりに押し付けられるノー残業。自分の担当業務だけやってればそりゃそうだ。でもそんな時代は終わっていますよ。  そして家には帰らず、社内で開いた外部向けのセミナーに参加。平たく言えば就活を控える学生に対してキャリアを考えるようにと仕向ける講演だった。某有名大の教授とそのゼミ生のトークは私のレベルを遥かに超え

話すことがない若手飲み会

 ハラスメント。この数年で言っていいことと悪いことの分類わけが凄まじい勢いで進んでいる。特に後者の方が圧倒的に多い中で、話せることが極端に減っている。減っているという表現は正しくはなさそうだが、コミュニケーションの上っ面をなでるような、例え歳の近い先輩後輩の関係性であっても取引先の上役と話すときのような、絶妙な気持ち悪さがある。  これは若手だけで飲んでいるときも同じだった。誰もプライベートに踏み込んだ話はしない。日和っている。それはプライベートの話をすることがハラスメント

余計なことを言わない

 天気が良い。爽やかな秋晴れのもと、出張中の車内で書くnote。気分が良い。もちろんサボっているわ、わけではあ、ありません、、。  移動中の車内では大体ラジオを聞いていたり、考え事をしていたりする。考え事の1つは、「今日どんなnoteを書こうかな~」であったり、「晩御飯どうしよう」ぐらいである。いや、仕事のことを考えた方はいいんだろうけども。  ふと、最近人とのコミュニケーションで意識していることを考えてみた。 それは、「余計なことを言わない」ことだ。  僕は昔から、

「ネガティブな言葉」には「自分」がある

 僕はややひんまがっている性格なので、ポジティブな言葉を心から受け取れる人間ではなかったりする。ありがたくお言葉は頂戴するけれど、心のどこかでは「ホントかな・・・」と思ってしまう。性格なので仕方ない(?)  これはネット上でもリアルの場でも同じだけれど、聞こえのいい、ポジティブな言葉「ばかり」を話す人よりも、率直にネガティブな言葉を吐いてくれる人の方が「人間ぽいな」と思う。  ポジティブな言葉で自分を鼓舞する人もいるし、もちろん良心によって言葉を投げかける人がいるから、そ