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半径2メーターの中の誰かのために生きる

『半径2メーターの中の誰かのために生きることが生きるモチベーション。これが今の時代の読者に響くキャラクター像だ、と思うんです。』
2022/11/12【鳥嶋和彦】伝説の編集者が語る「ジャンプ勝利の方程式」

 こんな言葉を、NewsPicksのニュースを読んでいて見つけた。

 ドラゴンボールを立ち上げたジャンプの元編集長・鳥嶋さんが語っていた言葉だ。
※記事自体は有料記事なので、同業者としてこれ以上書けません☆

 確かに、最近のヒット作をみると、鬼滅の刃の炭治郎は妹を鬼から人間に戻すために生きているし、チェンソーマンのデンジは自分の唯一の友人だったポチタのために生きている。


 SNSやらで世界は無限に広がっているはずなのに、そんな近くの人のために生きる作品がヒットするのはなぜなんだろうか。


逆に、広がり過ぎた世界は、自分を孤独にするのかもしれない。

 SNS上のほとんどの人たちは匿名だし、遠くにいるというのは分かっても、どこの誰かなんていうことはわからない。心無い言葉を平気で吐き出せてしまうようなつながりの中で、充実感を得たり、心を揺さぶられたりするような経験を得られる人は、ごくわずかなんだろう。

自分という存在を認識するには、他者とのかかわりが必須だと思う。それは匿名や顔の見えないコミュニケーションよりも、リアルで、息づかいを感じられるようなかかわり方がいい。

 自分の表情や言葉づかい、声色、身振り手振りを使ったコミュニケーションは、相手がどういう人かが分かると同時に、自分自身の認識も深まる。

 だから、身の回りの、顔と名前がわかり、性格や生い立ちを知っている人たちの物語が好まれる。鬼滅もチェンソーマンも、「半径2メートルの人たち」の生死が物凄い勢いで描かれている。そりゃ面白いわけだ。


 「そんなこと言ったらnoteはどうなんだ!」とか言われそうだけれど、noteはSNSとかとはちょっと違うような気がする。

 文字制限の無いなかで、自分の思いとか考え方を書いた上でコミュニケーションをする。語られた文章を間に挟むから、短文によっての誤解が生まれづらかったりする。

匿名だし、顔も名前も分からないけれど、自分の言葉で自由に語っている人たちのコミュニケーションはどこか尊い。

 それが僕にとって、あなたにとっての半径2メートルの世界なのかは分からないし、半径150キロぐらいだったりするだろう。遠くにいるのは分かっていながらも、時間を書けて紡いだ言葉で語り合うのはおもしろい。

 だからnoteを続けられているような気がするし、日々記事を書くのが苦痛じゃないのは、そんな理由だと思う。



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