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「べき論」

 大学時代の敬愛なるゼミの教授に、「べき論」を排除しなさいと教え込まれた。

 ニュースやら、SNS上やらでは、毎日のように「○○すべきだ!」「国が悪い!○○されるべきだ!」などなど、強い口調の「べき論」たちが躍っている。

 教授は、「べき論というのは他人事なんですよ」と教えてくれた。

 結局のところ、~すべきと話したり、書いたりするとき、主体である「私」がそこにいないのだ。他人が何とかしてくれる。命令にも近いような論調が「べき論」なのだと思う。

 それから私は、レポートや卒論を書く時、仕事で報告書やメールを作るときも、なるべく「~すべき」という言葉を使わないようにしている。

 たとえば、

 「部署横断で仕事をした方がいい」と自分で思っていたとする。

 それを誰かに伝えるとき、「部署横断で仕事をすべきだ!」ではなく、

 自分が少しでもそう思うのなら、「~すべき」ではなく「~したい」といったように、主体の自分を忘れないようにする。

 「部署横断で仕事をしたいと思っています!」

 これで、だいぶ印象は変わるし、自分への責任も生まれる。他責的な「べき論」の排除はけっこー大事だ。

 逆に言えば、主体的に言えないようなことは、むしろ言わない方がいいということだ。

 国の政治とか、会社のやり方とか、文句を言いたいことは山のようにあるかもしれない。けど、大枠を非難するような「~すべきだ!」ではなく、小さな一歩を自分で踏めるように「~した方がいい」や、「~したい」に置き換える。

 そうすれば、「べき論」から一歩飛び越えて、主体的に動き出せると思う。言葉の書き方、伝え方1つで、自分の行動も少し変わる。

 新聞社に勤めていながらも、あまり「ペンの力」は信用していない。「ペン」よりも身の回りで何ができるか、そっちの方がよっぽど大事だと思っている。だから、記者職ではなくて、営業職を志した、という理由がある。

 まあそんなにうまくいかないんだけどね。ちょっとずつ考え方を変えていきたいな~。

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