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話してつかれる場、話していやされる場。

会社の仕事で、いろいろ検討したり報告したりで話しているだけでつかれてしまうことがある。
オンラインで話しているだけなのに、長時間続くとぐったりしてしまう。

休みなくずっとオンライン会議という状況にもつかれるのだろうし、ほんと隙間なくどんどん続けて30分1時間ごとに違う話題をしているからかもしれない。
ときどき、次にうつった瞬間、これは何の続きで何を話すところからだっけ?ってわからなくなったりもして。
そんなときはたいていめちゃくちゃつかれているときだ。
切り替えできなくなってるし、思い出せなくなってるし。

そんなのが1日続くと、終わったらもう話すのも動くのもきついなぁと思ってしまうくらい。

でも、そんな中で、それでもちょっと話に行こうかなって行く場もある。
もう仕事で義務でも話すのいやなのに、なんなら自分のやりたかったこととかする気力もなくなってるのに。

またオンラインで話すのは余計につかれるかなぁと思うのだけど、とりあえず行こうかな、と思っていくと、全然つかれないし、むしろ元気になる。

それは、笑いがある場だからだよ、と言われて、それもそうなのだけど、「安心できる場」だからっていうのが大きいなと思っている。
共通認識があったりするとかもあるけど、「話す」ための場だったりして、対話においての安全がある、安心感。

何を言ってもいい、というのはすごい安心だ。
どんな話でも否定されない。ジャッジされない。
正しいこと求められることを言おうとしなくてよい楽さ。
(もちろん他人の否定とかはだめだけど。)

どんな話し方でも大丈夫、というのも安心だ。
ゆっくりでも、理論的でなくても、話が前後しても、それでも聞いてくれる居心地のよさ。

違う意見を言っても大丈夫という安心もある。
自分が人とは違う意見をいうこと自体は別にほかでもできるのだけど、それを「反対」「反論」とかととられて戦うみたいな構図にならない。
自分はこう思う、と言いたいだけなのに、否定する気はまったくないのに、反論とか思われてむっとされるのがめんどうだから。

聞いてもらえているっていう安心感もあるよね。
うまく伝わるかわからないような感覚的な話とかも、伝わろうとしてくれるとか。
そういう場だとそもそも感覚的な話が通じやすい楽さもある。

内容の質とかの問題ではなくて、関係性と安心感だなと思う。

たとえば真剣におもしろくディスカッションしているときとかは会社でもそのときは楽しい。
でも、ある程度フラットに話せているようなところでも、ほんとに同意してなさそうだけど時間見て折れたのかな、とか、納得してなさそうなトーンだけどこれでいいってほんとかな、とか、ほんとに本心で言ってるのかわからないな、ってもやもやすることは多い。
それは自分が関係性築けていないからでもあるのだけど。

まわりの人のことがわからない、というのと、そもそもここではこういう風にしなければならない(役割とか雰囲気とか)とそこに合わせているのもあって、まぁまぁ楽しくディスカッションした気がするのに、続くとつかれている。
仕事だと納期もあるし合意も必要だしそういうものであってしかたないし、なので、そこを全部安心できるところにしたいわけではないのだけど。

結局ただ、つかれているから安心できる場所にいやされに元気になりにいくのかもしれない。
そういう場所があって楽しく話せることがよかったなと思う。

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