Maki Rindoh

ライティング・ライフ・プロジェクトファシリテーター、キャリアコンサルタント、グラフィッ…

Maki Rindoh

ライティング・ライフ・プロジェクトファシリテーター、キャリアコンサルタント、グラフィックレコーダー。 伝えること、人の力を引き出すこと、人と人の関係性を高めること=組織力を高めることにが好きです。  #ライティング・ライフ・プロジェクト #WLP #キャリコン #グラレコ

マガジン

最近の記事

社内だからのつながりやすさをもっと利用したらいい。

この記事を読んで思い出したこと。 (この内容はほんとめっちゃ共感する。知ってる人を知っている、でさえなくて、知ってる人を知っていそうな人、どう探したらいいかを相談できる人がいる、とかでもいい。) つながりを持っている、というだけで武器になると思っている。 なんかすごいつながり(めちゃくちゃ何かに詳しい人とか、有名な人とか?)を持っているのが強いわけでもない。(それはそれで強いけど。) ちょっとしたいろんなつながりがある、というだけで強いと思う。いろんなタイプの人、いろんな

    • もやもやはもやっとしたまま扱ってみる。

      もやっとしてると、すっきりさせたくなってしまうけど、もやもやはそのままにしておいていい。 もやっとしてることのよさがある。 だけど、もやっとしたまま、じっくりゆっくり考えていられないことが多いと思う。 それでも、そのもやもやは大事にできる方がいい。 * 会社などでは、もやっとしているまま、という状態ってなかなかないと思う。 もやっとしていることを、話せる場に取り上げられることも少ないと思う。 もやっとしていても、そのままもやもやを出すでなく、整理して課題として上げた

      • もやっとしているままでいい。

        先日受講したSIYで、 「ワークをしても、もやっとしたままのことも多いと思うが、そのもやっとしたまま持ち帰ってほしい」 というような話があった。 確か、ワークをしたのにすっきりしなかった、という感想からの話だったと思う。 すっきりしてわかった気分になるより、もやもやしたままいる方がよい、という話。 それはほんとにめちゃくちゃ同感だ。 * すっきりすると、そのときはよかったと思うし嬉しいし、役に立った効果があった気になるのだけど、そこで解決した気分になって終わってしまっ

        • テクニックじゃなくて心とか態度じゃない?

          共感してなさそうなのに共感してるっぽい態度を示すくらいなら、共感してないそのままで話したらいいと思う。 ほんとに共感してるわけではない、っていうのはすぐわかるじゃん? 共感するのがよいと考えて共感っぽい形を見せているのかな?と思ったりもするし、適当に聞いていて適当に反応していて形だけみたくなっているのかもしれない、と思ったりもする。 形だけでもそのように見せようとするのが誠意や優しさと考える人もいるのかもしれないけども、本音でないやりとりをしても、コミュニケーションでき

        社内だからのつながりやすさをもっと利用したらいい。

        マガジン

        • 対話と関係性と組織
          47本
        • 思うこと
          750本
        • それぞれの普通
          16本
        • キャリアデザイン
          183本
        • 自己認識
          2本
        • うちの子育て
          6本

        記事

          共感風でいるよりは共感できないままがいい。

          共感はいいこと、共感するのがいいこと、みたいな雰囲気があるよね? 共感したり共感されたりすると、親近感が湧いたりつながりやすくなったりする。 だから、共感はいいよね、っていうのはわかる。 でも、だから共感しよう、とか、共感できるように、とかいうのは違うと思う。 ほんとに共感できてないのに、共感しようとしたり共感してるように見せたりと、共感ぽさを装う、共感風でいるくらいなら、共感できないままの方がずっといいと思っている。 * わかってなさそうな軽さで「わかるわかる」って

          共感風でいるよりは共感できないままがいい。

          違うようで同じことをやっている。

          誰かとうまく話せないというとき、単に、まだうまく話せていないだけ、ということが多いのではないかと思う。 ちょっと話しただけではうまく話せないけど、そこからまだまだいろんな工夫の余地がある、会話や関係性を育てる余地がある、ってことがあるのではないだろうか。 * そんなことない、いろんなことをやってきた、という人もいるだろう。 伝え方とかのテクニックがあることは知られているし、うまくいかないときにはそういううまくいくためのノウハウを試そうとする人も多いと思う。 何度も伝

          違うようで同じことをやっている。

          数回話せなかったからってずっと話せないわけではない。

          何回か話してみて、うまく伝わらないとか。 いろいろ話そうとしてみたのに、会話にならないとか。 意見が合わなくて聞く耳持ってもらえないとか。 そういうことがあると、がっかりしたりいらっとしたりしてしまうこともある。 でも、そこからどうするか? 無理だと諦めるのか、強引に言うこと聞かせたりするように進めるのか、もっと話してみるのか。 * 先日、業務改善の検討をしている中で、以前、ちょっとうまく話せなくて機嫌損ねさせたかも、と話したことがある人について、どうやったら話せるだ

          数回話せなかったからってずっと話せないわけではない。

          まわりの気配を感じられるか?

          ODNJ中部の人たちと、場を見るトレーニングなどをやりたい、と話していたとき。 まわりの様子を見て配慮できていない人が多い、まわりの状態を感じられないのではないか? まわりの状態を感じられないのは、想像力が足りていないのではないか?という話になった。 こんなことを言ったら相手がどう思いそうか、こんな状況ではほかの人がどんなことを感じていそうか、そういうことを想像できないから、人を傷つけたりケアできなかったりうまくやりとりできなかったりするのではないか。 それで、関係性がつ

          まわりの気配を感じられるか?

          共感はさせるものでなくてするもの。

          何かをチームで進めるとき、思いの強さは人によってばらばらだ。 思いの強い人がひっぱっていくことになるのは仕方ないところもあると思う。 それでも、できたら同じように思いを持ってほしい、同じ気持ちで進みたい、と思ったりする。 思いを伝えて、説得して、なんとかして気持ちを高めてほしい、というような人もいる。 でも、こんな熱い思いがあるのだからわかってよ!伝わってよ!っていうのは違う。 「こんなに思いを伝えているのだから、同じように思ってほしい!」 と思ってしまう気持ちはわかる

          共感はさせるものでなくてするもの。

          自分の都合でなく相手を見てみる。

          「こうしてって言っておいたのにやってなかった」 「こうしておいてくれると思ってたのにしてくれなかった」 そんな風に困ってたり不満に思ってたりする話はよく聞く。 それを改善したい、というような話もよく聞く。 * 「なんでやってくれないんだろう?」 ということを考えるとき。 「こうするべきだ!」 「こんな風に考えてくれないと!」 という、自分の価値観や信念や考えなどがあって、それが正しい前提になってない? 「そうしないのはなぜ?」 「どうしたらそうしてくれる?」 という

          自分の都合でなく相手を見てみる。

          その赤はほんとに同じ赤を見てる?

          子供の頃、お絵かきしているときとか、絵本の中とかで、太陽の色が赤なのが、不思議だった。 いつも見ている太陽は、赤じゃないじゃん?黄色なのになんで絵本や絵では赤なんだろうな?と思っていた。 今思うと黄色とも違って、白っぽい色のような気もするけど。 少し大きくなって、太陽がめちゃくちゃ熱いことや燃えていることを知って、だから赤色で表現するのかな?とも思った。 だけど、赤に見えている人もいるのかもしれないと思う。 表現の問題ではなくて、そもそも見えている色がそれぞれなんだろうと

          その赤はほんとに同じ赤を見てる?

          目の前の「その人」を見てみない?

          どんな人がいるのか、どんな価値観があるのか、というのを、具体的に知っておくと、相手のことを想像しやすくなっていいと思う。 でも、ほんと気をつけた方がいいと思うのは、「こういうタイプだな」って決めつけて見てしまうこと。 それは、自分と同じ価値観の前提で話していること同じで、相手のことを考えずに自分の思い込みで進めている。 * 相手のことを考えようとして想像するのと、相手のことを決めつけて想定するのは違うのだ。 こんなこと言ったりこんなこだわりあるから、このタイプなんだろ

          目の前の「その人」を見てみない?

          どんな風に違うかわからないなら。

          いろんな人がいる、いろんな価値観がある、ってわかっていても、同じような価値観、似たような価値観の前提で話してしまうことってよくある。 それって、意識できていない、気をつけられていない、っていうこともあるだろうけど、そもそもどう違うかわからないから、気づきにくいってこともあるのではないかと思う。 具体的に、どんな価値観とか資質とか強みとかの人がいるのか、っていうことは、あまり知らなかったりしない? 極端に違うタイプの人を見たら、価値観違いそうだな、って思うかもしれないけど

          どんな風に違うかわからないなら。

          いろんなタイプがいる前提で。

          無意識に、同じような前提で同じような価値観でいるように思ってしまっていることってある。 特に、同じ仕事、同じ組織、家族や近しい友達、みたいな、一緒にいる時間が長かったり距離が近かったり、共有していることがあるとそうなりやすいよね? そうやって無意識に、同じような価値観とか考え方だと思ってしまっていると、伝わらないだけではなく、ほかにも問題がある。 それは、無意識に違う意見を封じ込めてしまうこと。 * 「これがあたりまえだよね」 「みんなそう思うよね」 って前提で話さ

          いろんなタイプがいる前提で。

          自分の思いだけを伝えたって伝わらない。

          いろんな価値観の人がいて、みんなが同じように感じたり考えたりしているとは限らない。 というのは、みんなわかっているはずなのに、ちょっとした日常の中では、それを忘れて価値観を押しつけるようにしてしまっていることがよくある。 * やりたいことが違う、大事にしているものなどが違う、得意なことが違う、というようなことはわかりやすいけども、日常のことや業務の中での考え方や意識の違いって、見えにくいと思う。 特に仕事の中では、それぞれの想いなどを語ることはないから、違ってることに

          自分の思いだけを伝えたって伝わらない。

          確実な未来ってなんだろう?

          そのままでいい、今のままで不満はない、というような人を見ると、そのまま、今のまま、っていうのは、結局どういう風にいられたらいいのかな?と思う。 人まかせで、望む「そのまま」が得られるだろうか。 似たような感じで、セミナーとかサービスの説明会とかに参加して、「絶対効果があるならやるけど」「ほんとに確実に成果が出るのか」というような人も気になってしまう。 やるかやらないか、判断を人に委ねるの? 自分が何かを学ぼうとか何かを変えようとかして参加しているなら、どうしたいかどうすべ

          確実な未来ってなんだろう?