見出し画像

知識の重大な欠落をそのまま放っておくと、学習もカオスになってしまう

物語は娯楽と強く結びついている。映画、書籍、テレビ番組、雑誌、どれもそうだ。子どもが「お話をして」と言うとき、彼らは何か教わりたいわけではなく、娯楽を求めている。

数学の起源である娯楽(中略)ドイツの詩人ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーは数学のことを、「我々の文化に存在する盲点、奥義に通じた少数のエリートだけが身を潜めてきた異質な領域である」と表現している(中略)多くの数学者が自分は科学者であると同時に芸術家でもあって、(※数学者で哲学者のバートランド・)ラッセルと同時代のG・H・ハーディの表現を借りれば「パターンを作る者」であるとみなしている(中略)多くの数学者は、数学は科学であると同時に芸術の一形態でもあると見ている(中略)どんな数学者も、できるだけ本質を暴き出すような鮮明な表現を求めるという意味で、芸術家だと言える(中略)数学は、ルールに逆らうようにけしかけてくることから、もっとも創造的な営みの一つということができる。「枠からはみ出して考える」(中略)歴史を通して創造的表現は、因習を破る能力によって生み出されてきた(中略)反抗的な本能はときにもっとも創造的になる(中略)「もしも・・・・・だったらどうなるか」とあえて問う(中略)人間の知性が満たすべき基準は、あらかじめ規定された思考モードを否定する人たちによって設けられてきた。論理的操作だけでは、けっして我々の信念体系に立ち向かうことはできない。信じていたことから外れた事柄に立ち向かう術はない。創造性は不連続から生まれるものである。パラドックスについて深く考えて、既存の考え方に風穴を開けることから生まれるものだ。論理的な気質と破壊的な心的態度を組み合わせ、矛盾を見つけ出しそれを解決したときに、人は新たな考え方を生み出すのだ(中略)おそらく想像力の真の基準は、難なく習得したゲームのルールをねじ曲げて、「枠からはみ出して考え」、ごくたまに相手をだます能力にあるのだろう。モノポリーで自分勝手に振る舞う「空気の読めない人」は、私がこれまで考えていたよりも信頼に値するのかもしれない(中略)真理を「理解」するためには、まさにその体系のルールから逃れるほかないということだ(中略)あらかじめ規定されたいかなる体系からも抜け出すことで、その命題の真理を実際に理解することができる(中略)科学においても、確立されたルールを破ることが、大きな飛躍的進歩、哲学者のトーマス・クーンの言う「パラダイムシフト」のよすがとなっている(中略)精神世界を一新するにはルールを破るしかないのだ。※引用者加筆.

反逆的かつ因習打破的であることなしに、どのようにして創造的であり得るかを考えることは困難である↓

美しさとは、観念の「重大さ」、無駄のなさ、そして思いがけない必然性の感覚(中略)「自分が操られていることに気づかない人は、自分の意志で新しい考えを受け入れたのだと信じようとする」(中略)他人がどう考えどう振る舞うかをとらえたモデルを立て、難解な観念を伝え合うために知識表現を組み立てる(中略)ソクラテスにさかのぼる哲学者たちも、説教ではなく対話に基づく教育によって、学習者が批判的に、つまり自力で考える力を身につけることを目指すように唱えた。しつこく質問することで、学生が自分の持つ知識について深く考えなおすよう促すことが、ソクラテス流の対話の基礎となっている(中略)我々は大人になるまでのどこかの時点で、しつこく疑問を問う習性を失ってしまうらしい。与えれた問題には正しく答えることばかりに焦点が当てられる正規教育は、なんとも罪深いといえる。社会評論家のニール・ポストマンはいまから数十年前にそのことに気づき、修辞的ではあるがいかにも彼らしい次のような疑問を問うた。「人間が身につけられるもっとも重要な知的スキルが学校で教えられないというのは、なんとも奇妙なことではないだろうか?」(中略)学生が質問することを阻み、探究を進めることを妨げるのは、「人間を独自の意思決定から遠ざける暴力行為である」(中略)具体的な計算は二次的なものであって、それが喜びやひらめきを与えてくれることはほとんどないのだ(中略)知識の重大な欠落をそのまま放っておくと、学習もカオスになってしまう。知識の小さな欠落が爆発的に拡大して、苦しみをますます重く感じてしまう(中略)放射線問題単独で出された場合、それを解くには創造的なひらめきが必要で、ほとんどの人には手が届かないようだ(中略)放射線問題に有効な回答を出せる人はわずか10パーセントだ

当時、40~30年前の現実の世界はこんな感じだった 「放射線被曝の害を隠しながら、どうやって優生保護法を施行するのか?───引用者」。「原発は絶対に壊れないから、人々には被曝の害を隠しながら優生保護法を実施する───教員・医師」↓
チャットGPTのビルゲイツ財団氏とマクロビティックSDGs↓

AIは確かに正確な答えをはじき出してくれる。しかし、どんな論理に従ってどんな文脈でその答えを出したかは、けっして説明できない(中略)グロース・マインドセットは、自分の「神経可塑性」にも気づかせてくれる。学習とは詰まるところ、脳の構造を配線しなおすことに行き着く(中略)グロース・マインドセットを持つというのは、自分の脳は自分で作っているという考え方を受け入れることにほかならないのだ。しかしコンピュータは、そのように自らを配線しなおす自由を持っていない(中略)致命的な欠陥を抱えたモデルや手順にコンピュータが従ってしまうと、どんなにうまくいこうが答えには手が届かないかもしれない(いわゆる「局所最適点」にはまってしまうことが多い)(中略)ゲーデルの主張は要するに、数学的思考は単なる正確で無味乾燥な倫理を超えて働くものであって、ある程度のレベルの直感と創意が求められる(中略)ブラックボックスの機械学習システムに透明性はなく、内部のしくみをせいぜい一握りの専門家しか知らず、その因果推論の結果がそのまままかり通ってしまうと、我々の考える社会正義は重大な脅威に直面する。テクノロジーは決して中立的ではない。進歩を加速させる一方で、我々自身の偏見を増幅させることにもなりかねず、たいてい我々はそれにほとんど気づかないのだ(中略)我々は思考のスピードを劇的に変化させることで恩恵を得られるが、コンピュータは得られない(中略)数学者のジョーダン・エレンバーグは次のように言っている。「我々はコンピュータにできないことを見つけ出すのがとてもうまい。現在知られているすべての定理をコンピュータで証明できるような未来を想像したとしても、我々は他のコンピュータでは解けないことを見つけ出し、それが『数学』になることだろう」(中略)機械知能が、我々人間が取り入れているたぐいの思考を完全に真似ることはけっしてできないと、ルーカスとペンローズは結論づけている(中略)機械学習の研究者は、ごく一部のデータ点を抽出することで大きなデータセットに関する予測をおこなう方法を探してきた。しかし実は、少数のサンプルだけでそのような推定をおこなえるかどうかという問題は、整数(可算無限)と実数(不可算無限)の中間の「大きさ」の集合が見つかるかどうかという問題と同値であって、この問題は何十年も前から決定不能であることが知られているのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?