見出し画像

物事は2択で考えすぎない方が良い#54

こんにちは。わくわくらすです。

「人生は選択の連続」なんて言われることがあります。日常のありとあらゆる場面で私たちは何かを選んでいます。夕食のメニュー、今日の予定、入試、就職など挙げればきりがありません。

そんな中、ここ最近の世間はあまりにも極端な問い方や選択を求めすぎではないかと感じます。

例えば、「就職と起業はどちらがいいか」「校則はあった方が良いのか、ない方が良いのか」「自粛すべきか動くべきか」などです。

2つの立場のどちらをとるか、という選択は非常にわかりやすく対立構造がはっきりしています。そのためテレビや教育の場面でもこういった問われ方はよく目にすることがあるでしょう。


2択で問われ、選択する時の注意点があります。それは必ずしもどちらかが正しいわけではないということです。

2択で問われるとどちらかが正しいと思ってしまうことは仕方のないことだと思います。だってそれしか選択肢がないのだから。でも一度よく考えてみると必ずしも白か黒で答えなければいけないこともありません。先述した「就職と起業はどちらがいいか」については、就職し勤めながら副業で起業するという方法もあります。

このように言うと「なんだ結局妥協するのか」と言われるかもしれませんが、妥協ではなく誰にとってもある程度満足する「共通了解」を目指すことが世の中には必要だと思います。

共通了解という概念は教育学者・哲学者である苫野一徳さんが提唱している考え方です。興味のある方は苫野さんの著書を一読することをおすすめします。

つまり、物事を2択で考えるのではなく、どのような場面ではAの立場が尊重され、どのような場面ではBが適するのかということを突き詰めていくのが大切だということです。

「校則はあった方が良いのか、ない方が良いのか」という問いの答えはシンプルで「あった方が良い時もあればない方が良い時もある」です。生徒にとって苦しい校則もあれば、助けてもくれる校則があるということから目を背けてはいけません。

本来選択肢というものは無限にあるものです。それがここまでどちらかにしなければならないという風潮になってしまったのは、教育でありテレビ・メディアの影響が大きいでしょう。対立構造を見せて、どちらかが黙るまでやり続けることに何の意味があるのだろうかと思います。


最後に「自粛すべきか動くべきか」という問いですが、これはいろんな立場の人がいるので、本当に難しい選択だと思います。ただ、自粛することによって、助かる人もいれば苦しむ人がいるということを忘れてはいけません。

私の地元の飲食店や観光業はとても苦しんでいます。「家にいろ!」と簡単に言われてもそれでいい人もいれば生活が成り立たない人もいるのだと想像力を働かせないとこの問題には立ち向かえないと思います。


少し話は変わりますが、私自身「教師を続けるべきか、辞めるべきか」という2択で苦しんだ経験があります。次の投稿はこのテーマについて書きたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?