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#22 赤字で笑える人々のお陰で見えた記憶たち

合宿を終えて。


二泊三日の最終日は恒例の温泉。

今回は、合宿と呼びながらも個々それぞれが好きに過ごす時間の使い方が目立った形に落ち着いた。

最終日みんなが気になっていたテーマ、家計について話し合った。

その前夜、「いま理想となっている暮らし(実現へのタイムスパンは問わず)」をそれぞれ心に聴いて、場に出した。
その流れがあり、最終日午後は、「家計の現状」「いまの生活で不満な点」を洗いざらい出し合った。


なんと我が家の家計はトントンどころか赤字(笑)
揃いもそろって「なんとかなってるだろー」と運営を楽観視していた。


その顛末はとっても面白かったので別の記事で是非、書きたい。


ここからは、
この数日の影響を強く受けて起こった個人(おしゃべり)の心の変化の話しを書き記したい。

※基本的に一人称の視点で進みます


火の車の家計を見て、お金がもっと必要だということは冷静に理解した。


しかしながら、いまの職場で働く時間を増やすことは精神的に負担であり、それを望まない自分がいることはハッキリしている。


いまの働き方(週4日アルバイト)にしている理由は、もっとやりたいことに時間を投入するため


もっと時間を投入して見出したいこととは、自分が働きたくなるような、エネルギーを余すことなく没頭できる仕事や働き方について考えること。


しかし、最早それをダラダラ考えている余裕はなく労働時間を増やすか、嫌なら望むような仕事を作って稼ぐしか選択肢はないことを突きつけられる。


「遂に仕事や働き方と向き合うときが来た」
温泉に向かいながらあれこれ思う。

なんとなく痛いところに向き合わないといけなくなる予感があったのか、ずっと対峙できなかったところではあった。


このテーマは、
お金を得ることを優先して些かな不自由を得ることを妥協できなかった僕からしたらかなり大きなものだ。


どこかで書いたような気もするが、僕の父親はとある大企業のサラリーマン。徹夜は当たり前、幼少期から多忙と過労のため父子で一緒に時間を過ごした記憶がほとんどなく、僕はそんな父親の働き方に猛烈な違和感を抱いて育ってきた。
いくら給料がよく、家庭の維持に事欠かなくても、働き手が精神的にも肉体的にも参ってしまうのは嫌だな、という思いがあるのだ。

(父と子の関係性、まだまだこれから相当観ていく必要性を感じている!)

さて、これからどうしたものか。

サウナに入り暫し考えてみる。


「仕事を作りたいと思いながらも他方躊躇する気持ちになるのは、なぜか?」


「自信がない、自分はそこまでの力がない」

そんな応答がぽわぽわ湧いてくる。


また問う。


「いつから自信がないのか。」


小学六年生の頃の記憶が出てくる。


小学六年生の頃、バカな遊びをして足首を骨折した。

その話しは割愛🙏


今まで足が速かったが、怪我を期に以前ほど上手く走れなくなった。リハビリはしたものの身体の微妙なバランスが崩れたのか運動全般にも支障が出て、「こんなはずじゃないのに」と悔しくなったのを覚えている。

中学生にもなると体格も変わるやつもいるし、そもそももっと運動ができるやつがゴロゴロ入ってくるので、結局どんどん周りと走力で差がつき足が速いことで鼻を高くしていた僕のプライドは傷ついてしまった。挫折だった。


運動で結果が出ないと、勉強で勝れようと躍起になった記憶が今度は出てくる。


順位のための勉強はかなりしんどかった。中学一年生の中盤には、愉しいから学ぶことはなくなっていった感覚がある。そこそこテストの点数は叩き出せてしまう方だっただけに、尚更苦しかった。

先生から手渡されるテストの点数を見て、「あと何点足りない。」「また出来なかった。もっと詰めが甘くならないように注意しなくては。」と自分自身を厳しく律した映像が出てくる。


計画が完璧でないと安心できないのも、このあたりが大きく起因していることを感じた。基本的に出来ているところよりも出来ていないところに目がいくクセ。
やる前から出来ない理由が浮かぶのもそのせいかなと思うのだった。


「当事しんどかったね」

過去の自分に声をかけたところで気持ちがなんとなくすっー軽くなった。


挫折の経験と勉強において自己肯定感を失っていった具体的な記憶が浮かびあがってくると、同時にまた次の問いが出てくる。


「なぜ運動や勉強での成果が自分自身の居場所を左右すると捉えていたのか?」

「いつから居場所がない感じがしているか?」


ぼーとする頭に小学生から大学生の間までの記憶が様々出ては沈んでいく。

それを繰り返すうちにある一つの記憶にスポットライトが当たった。


近所の公園のベンチで二人の友達がDSの画面を眺めているのを、ちょっと離れた場所からおずおず見ている自分。


「遊びたかったんだな。」とわかる。


僕は、ゲーム機がない家庭で育った。ゲームを持たない方針という親の言い分も最もだったので納得しているつもりではあった。その理屈での納得と共通の遊びに混ざれなかった寂しさは別物だったようだ。


その公園での記憶が鮮明になると、
「本当の友達」をずっと求めていた自分に気がついた。


小学四年生頃には、99%の同級生は自分の興味関心事には興味がないと感じていた。
なぜならこっちが向こうの遊びに合わせることはあっても、向こうがこっちのやりたい遊びで一緒に遊んでくれなかったからだ。
年齢があがるに連れて、人に対して閉じていった時期だったことが思い返された。


つまるところ、公園での映像は、
自分の欲求を同年代の人は聴いてくれない/聴ける能力がないとの思うに至る土台になった出来事だったようだ。


そういえば学生時代の人付き合いは散々だった。

こちらは基本的に心を閉ざしたところからスタートしていて、相手が一歩歩み寄ったと感じたらこちらも一歩出す。少しでも踏み外せば、アウト。あの人もこの一人も求める「本当の友」ではないと決めつけ、また寂しさに籠もっていく繰り返し。常にたくさんの人に囲んでもらっていながら、心の中にはピラミッドがあって最上位=親友から中位=そこそこ遊んでいて愉しい仲間、下位=学校が変われば縁も切れる関係などなど、まぁ、細かい基準に沿って人をランク付けし、結局親友も現れず仕舞いで内心はずっと孤独だった。


人と本当は遊びたいのに、一緒には遊べないのではないかとの不安。


この世には気が合う人は滅多にいない
あの人もこの人も違う。だんだんとそういう人はいないのではないかと、人に対して諦めていく。
この当たりが、どうも「自分が望むものは容易に手に入らない、それなら望まないほうがましだ」という思考回路の土台になっている気がした。


家庭を離れたところでの自分の気持ちを聴いてもらう体験の欠如。家庭を離れ一個人としての行動範囲が拡がれば拡がるほど、聴いてくれる人がいない世界の居心地悪さが募り、この世界そのものへの不信や不満につながる。


聴いてもらうことの欠如。それと呼応するように、自分自身のことをまずはわかりやすく世間様に見せないと、複雑なわたしのことはとてもではないが知ってもらえない。少なくとも注意を引ける存在でないと居場所がなくなるから、注意を引けそうな土俵で頑張ろう。それが自分にとっては運動と勉強だったかもしれなくて、気がつけばそれが自分らしさと同化していったのだった。


別に運動ができ、勉強ができたところで、心が求めているありのままを受け入れてくれる友を持つという願いは叶わない。


ようやくシンプルに、「いい友達欲しいんだな!」と気がつけた。


今回浮き上がってきた3つの記憶と当時の感情。


誰にも話せなかったというより、通り越して話したいとも思ったことないほどまでに埋もれていた記憶は、そこに降り立った途端に、どこか軽くなっていき記憶の沼に再び深く沈んではいかなくなっていく。



一呼吸おくと、もうなんだか起こったこと全てを誰かに話したくなる。


隣で壺湯に浸かっているトマトに話す。 

 

(トマトは、トマト農家で働くほどトマトが好きなので、ここでの仮称にしていたが、別に言うほどトマトが好きそうでもないし、最近トマト農家も辞めてしまった。
もうトマトじゃないほうがいいのではないかと思っている(笑))


トマトは、ひたすら聴いてくれた。


話したいこと全部話すと、もうだいぶすっきり。


ようやく仕事と働き方を集中して考えられる予感。これでようやくスタート地点という感覚。

くっついていたものが離れると、不思議ことに頭も心も柔らかくなる感じだ。


勝手なものだが、いい合宿となった。
人生まだまだ始まっていないかもしれない。


もう勝手極まりない無いのですが!
珈琲代どころか生活の維持が怪しい水準で暮らしていたことが発覚し、絶賛寄付募集中です😆

と言いつつも、寄付で暮らしても人は人間性を磨くことを怠らずにいられるか、興味あるところです。
















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