ウユキカツマサ

日々、映画、アニメ、ドラマ、漫画を見ています。 時々、特撮、舞台、アイドルも。 気にな…

ウユキカツマサ

日々、映画、アニメ、ドラマ、漫画を見ています。 時々、特撮、舞台、アイドルも。 気になった作品の、備忘録のような、日記のようなもの…

最近の記事

【エッセイ】違います。好きなのであって、詳しいわけではないんです。

「人生で一番好きな映画は?」「今まで読んだ漫画の中でベスト1は?」「面白いと思った小説は?」 これらは、人と仲良くなるため、その人を知るための会話をする時に聞かれがち、言いがちな質問だが、あまり好きではない。 正確には、これらの質問に対するいい感じの返答が得意ではないと言う方が正しい。 人間誰しも、ひとつくらい好きな映画やドラマ、漫画、アニメ、小説、演劇などのエンタメ作品はあるもの。 作品に限らず、好きな俳優や芸人、劇団、アーティスト、アイドルなど、ひとりくらいはいるもの

    • 【エッセイ】コンビニからの帰り道、袋に入ったジャンプとコーラとポテチを見て、大人になるのを諦めた

      「1週間の中で何曜日が好き?」と聞かれて、今は即答することができない。 なぜなら、その時の自分の状況によって、どの曜日にもメリットとデメリットがあると感じてしまうからだ。 でも、子どもの頃や学生時代だったらすぐに、「週刊少年ジャンプが発売される曜日」と答えただろう。 子どもの頃は、ジャンプの発売日には速攻で家に帰り、宿題をするよりも先に夢中で読み耽ったり、買いそびれていた親に対して、マジギレしてしまったりと、ジャンプを中心に1週間を過ごしていたと言っても過言ではない。

      • 【エッセイ】自己肯定感が高いとは思わないが、傘があるのに雨に濡れたくなるくらい自分に酔いたい時もある

        子どもの頃、自分のことがあまり好きではなかった。 自分の性格や能力を嫌に感じたり、自分の言動に後悔したり、落ち込んだりすることが多々あった。 その度に、“自分なんて……”と気持ちを暗くしたものだ。 そんな、いわゆる、自己肯定感の低い子どもであり、青春時代を過ごしてきたのだが、あくまでも、自分のことが好きではなかっただけで、自分のことを嫌いになることはなかったと思う。 結論から言うと、大人になり、30歳を超えた今も、自己肯定感は高くないままだと思う。 ただ、年齢を重ね、

        • 【エッセイ】走馬灯を見る時は、ラスタカラーに染まる瞬間がきっとあるだろう

          時が経つのは早いもので、お祭り気分だった2月18日から10日以上が経ち、出会いと別れの季節である3月に突入してしまった。 東京ドームライブの余熱はまだまだ続きそうであり、余韻に浸っていたら、書こうと思っていた感想をまとめるのに時間がかかってしまった。 現地での観戦は叶わなかったが、ライブビューイングでの観戦も最高にトゥースでした。 溢れる衝動のままに感想を書こうかとも思ったが、受けた、そして浴びた衝撃が強く、感想を書いてしまったら、自分の中で終わったという実感が湧

        【エッセイ】違います。好きなのであって、詳しいわけではないんです。

        • 【エッセイ】コンビニからの帰り道、袋に入ったジャンプとコーラとポテチを見て、大人になるのを諦めた

        • 【エッセイ】自己肯定感が高いとは思わないが、傘があるのに雨に濡れたくなるくらい自分に酔いたい時もある

        • 【エッセイ】走馬灯を見る時は、ラスタカラーに染まる瞬間がきっとあるだろう

          【エッセイ】青い春はもう来なくても、ラスタカラーの春はやって来る

          この世から、ドキドキやワクワクがなかったら、どうなってしまうだろう? 人生に彩りがなくなってしまう、生きる意味がない。 そう考えるのも間違いではない。 しかし、そんなものがなくても、人は死なないし、生きて生きなければならない。 生きるとは、希望的なことばかりではないし、大変なこともある。 だからこそ、自分の人生にとって、ドキドキする瞬間、ワクワクする感情を大事にしたいし、欠かせないものにしていきたいと思う。 子どもの頃は、遠足の前夜や運動会の前日というだけで、ドキドキ

          【エッセイ】青い春はもう来なくても、ラスタカラーの春はやって来る

          【エッセイ】コミュニケーション能力はあっても、社交性がない人もいる

          「似て非なるもの」という言葉があるように、同じような性格、性質、属性、能力であっても、その両方を持ち合わせるとは限らない。 子どもの頃から、大人になっても、「あなたの長所・短所は?」や「自分の性格を一言で言うと?」のような質問をされることは多々ある。 そういうことを聞かれるたびに、自己分析をすると、自分でも不思議に思う、自分の属性や性格があることに気づく。 他人からどう見られているかは置いといて、自分では、「コミュニケーション能力」は比較的ある方だと思っている。 反面

          【エッセイ】コミュニケーション能力はあっても、社交性がない人もいる

          【エッセイ】ティファニーでは難しいけど、映画館で食べる朝食も悪くない

          映画館に行く目的はいくつかある。当然、一番の目的は映画を観ることだが、他にも、パンフレットをはじめとしたグッズを買うためだったり、置いてあるフライヤーをゲットするためだったり、劇場に設置されている展示物を見に行くためだったり、などなど。 そんな中、朝ごはんを食べるという目的で映画館に行くことがある。 それは、休日に早起き出来たからだったり、仕事の開始が午後からで時間に余裕があるからだったりと、状況は様々。 同じ状況でも、必ずフードを食べるわけではないが、せっかくだから

          【エッセイ】ティファニーでは難しいけど、映画館で食べる朝食も悪くない

          【エッセイ】新しい靴を履いて向かう映画館への道のりは足取りが軽くなる

          新しい靴を買う理由。それはもちろん、人それぞれ。 シンプルにカッコいい、カワイイから。仕事や行事で必要だから。好きなものとのコララボアイテムだったから。誰かへのプレゼントのため。履ける靴が一足もなくなってしまったから。などなど、人は何かしらの理由で新しく靴を買うものだ。 自分自身、様々な理由、動機で靴を買うことがあるが、数年に1〜2回くらいの頻度で、楽しみにしていた映画が公開されるからという理由で、新しく靴を買うことがある。 この理由で靴を買うのは、数年に1回程度なの

          【エッセイ】新しい靴を履いて向かう映画館への道のりは足取りが軽くなる

          【エッセイ】スプラッター映画を観た後にひき肉料理を食べたくなることがある

          子どもの頃から、漫画やアニメ、ゲーム、映画などの影響を受けやすかった。 様々な作品のキャラのマネをしてはふざけ合う。そんな、どこにでもいるような少年時代を過ごした。 それは、トランプをやっている時、カードを引くときに「ドロー」と叫んだり、「指銃」と言いながら友人を突いて、自分が突き指をしたり、部活で使っていた道具に、「斬魄刀」風な名前をつけていたりなどなど。思い出せないものも含めると、自分でも把握しきれないほどのマネをしてきたと思う。 そのどれもが、黒き歴史でもあり、

          【エッセイ】スプラッター映画を観た後にひき肉料理を食べたくなることがある

          【エッセイ】思い出が美しいのはタイムマシンがまだ完成していないからかもしれない

          「もしも生まれ変われるとしたら」、「今の知識、記憶のまま戻れるとしたら何歳からやり直したいか」、「自分の好きな時代に行けるとしたらどこに行くか」。 転生ものやタイムリープものの映画やアニメなどの作品を見ると、ふと、こんなことを考えてしまう。 子どもっぽい妄想だが、歳を重ねれば重ねるほど、戻れる過去が増える分、妄想にかける時間もついつい長くなってしまう。 「もしも過去に戻れるなら」妄想を始めた時は、自分のことを主人公よろしく、大人の頭脳を活かして、学生時代に無双してやろ

          【エッセイ】思い出が美しいのはタイムマシンがまだ完成していないからかもしれない

          【エッセイ】悲しい時はハッピーエンドじゃなくてバッドエンドを見てとことん落ち込みたい

          仕事や学校をはじめ、日常生活の中で、嫌なことや悲しいこと、辛いこと、切ないことなど、メンタルにダメージを負うことがある。 ダメージの大小にもよるだろうが、やけ食いする人、体を動かして汗を流す人、カラオケで大声を出す人、時が解決してくれるのを待つ人などなど、人それぞれ、自分なりにメンタルを回復させる方法があると思う。 そんな、数あるメンタル回復方法の中で、自分に合っていて効果的な方法だと思っているのが、落ち込んでいる時こそ、バッドエンドの映画を見て、とことんまで気持ちを沈み

          【エッセイ】悲しい時はハッピーエンドじゃなくてバッドエンドを見てとことん落ち込みたい

          【エッセイ】例えそこがピークだとしても、映画館で見る予告編には気持ちが昂る

          映画館で流れる予告編映像。これが楽しみな人、長いと感じる人、予告のおかげで上映には間に合ったことがある人などなど、捉え方は人それぞれだろう。 個人的には、予告編を見るのは好きだ。なんなら、映画館に行く楽しみの一つでもある。 予告編が好きな理由はいくつかある。 一つ目は、とても面白そうに見えるからだ。 作品を見に来させるための、良いシーンを集めた映像なんだから、そらそうだろと思われるかもしれないが、大スクリーンで見る予告編の映像には、心が躍り、気持ちが昂ってしまう。

          【エッセイ】例えそこがピークだとしても、映画館で見る予告編には気持ちが昂る

          【エッセイ】初めから泣くつもりで映画館に行くことがある

          映画を見て感動することや胸が締め付けられること、時には、涙を流したことがある人は多くいるはずだ。 悲しみの涙ではなく、感動の涙を流した場合、映画を見終わった後は、心がすっきりし、なんだか、体まで少し軽くなった気さえする。 映画鑑賞は趣味であるが、頭や心をリセット&リフレッシュするためにも、必要不可欠な時間だ。 また、気持ちをフラットに整理させるために、意識的に涙を流すことがある。いわゆる涙活というものだ。 自分のことについて考えたり、思い出を振り返ったりして、自分の中

          【エッセイ】初めから泣くつもりで映画館に行くことがある

          【エッセイ】いつになったら青春コンプレックスは無くなるんだろう

          人それぞれ、様々なコンプレックスを持っているはず。自然と克服されるものもあるだろうし、大人になって新たに抱くようになるコンプレックスもあるだろう。 自分自身、自覚してるだけでいくつかコンプレックスはあるが、歳を重ねるごとに、自分が青春コンプレックスであるとひしひしと感じる。 自分にとっての青春コンプレックスというのは、学生カップルや制服を着た友だちグループを見た時に、自分が経験することのなかった青春を送っているんだろうなと、勝手に想像して少し落ち込んでしまうことだ。

          【エッセイ】いつになったら青春コンプレックスは無くなるんだろう

          【エッセイ】いい映画に出会えた日は歩いて帰りたくなる

          映画を見終わった時に大事にしたいことに、余韻というのがある。 映画を見ながら飲むお酒もいいが、見た映画の余韻に浸りながら飲むお酒も美味しいものだ。 誰かと一緒に映画館に行った時は、見終わった後に、カフェやご飯屋さんで感想を言い合うのも楽しい。 ただ、真逆の意見を持っている場合もあるので、多少の危険性もはらんでいる。その分、同じ感想の時は大いに盛り上がる、 その点、一人映画だと誰かに気を遣わなくていいし、鑑賞後、ただただ余韻に浸れる。 いい映画であればあるほど、余韻に浸る時

          【エッセイ】いい映画に出会えた日は歩いて帰りたくなる

          愛する娘になるために、悪魔は少女の仮面を被り食卓につく【映画:エスター ファースト・キル感想文】

          もしも、いなくなったはずの天使のようにかわいい愛しの娘と数年ぶりに再開した時、見た目は同じでも、中身が悪魔に変わっていたとしたら、それでもその娘のことを愛することができるだろうか。 前作から10年以上経っての2作目。続編でありながら前日譚。 これは、彼女がエスターになるまでの物語。 前作で特大のネタバラシをした状態での今作。 前作では、エスターが何者なのかわからない恐怖があるが、今作ではその正体がわかっている。だからこそ、より恐ろしいと言ってもいい。 今作の舞台は、

          愛する娘になるために、悪魔は少女の仮面を被り食卓につく【映画:エスター ファースト・キル感想文】