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【エッセイ】初めから泣くつもりで映画館に行くことがある

映画を見て感動することや胸が締め付けられること、時には、涙を流したことがある人は多くいるはずだ。
悲しみの涙ではなく、感動の涙を流した場合、映画を見終わった後は、心がすっきりし、なんだか、体まで少し軽くなった気さえする。
 
映画鑑賞は趣味であるが、頭や心をリセット&リフレッシュするためにも、必要不可欠な時間だ。
また、気持ちをフラットに整理させるために、意識的に涙を流すことがある。いわゆる涙活というものだ。
 
自分のことについて考えたり、思い出を振り返ったりして、自分の中の内部的な要因で涙を流すこともあるが、映画という、外部からの刺激によって、作品に没入し、登場人物に感情移入することによって流す涙が好きだ。
 
だから、あらすじや予告編を見て、いかに泣けそうかで観る映画を選ぶことがある。
あからさまに感動させようとしているものは、お涙頂戴と批判されることがあるが、泣きたい時は、むしろ好都合。なぜなら、自ら琴線を触れさせにいってるのだから。
 
そもそも、なんでそんなに泣きたい時があるのかというと、その時の悩みや心のモヤモヤが涙と一緒に自分の中から排出させられるような気がするからだ。
これを心のデトックスと言うのか、現実逃避と言うかは、極薄の紙一重だが。
 
それに、ポジティブな理由であれ、ネガティブな理由であれ、涙を流すということは、それだけ、心が動かされたということだ。
大人になると、日々の生活の中で心を動かされることは、子どもの頃に比べて少なくなっていると感じる。
そんな中、人生に刺激を与えるために、心のAEDとして、映画を観て涙を流したくなるのだ。
 
また、涙を流す場所が映画館であることもポイントだ。
自宅の方が思いっきり泣けるかもしれないが、上映中、暗いとはいえ、周囲に人の目があることで、より気持ちを高ぶらせてくれる。
別に嗚咽して泣きたいわけではないが、我慢をしている状態にも関わらず、堪えきれずに流れ出した涙の方が、純度が高いような気がするのだ。
 
泣くために映画館に行き始めたばっかりの頃は、必ずしも泣けるわけではなかったが、回数をこなし、自分の泣けるツボがわかってくると、ほぼほぼ涙を流せるようになった。
映画館に何をしに行ってるんだろう、と自分でも思うが、精神衛生上、欠かせないものになってしまった。
ただ、今でも、隣の席の人が号泣していたりすると、冷静になってしまって、泣けないことはある。
 
ここまで、映画館で泣くのが好きだ、ということを書いてきたが、要するに、映画の楽しみ方は人それぞれだということだ。
映画を泣けるかどうかという目線で見たからこそ出会えた作品もある。
今までしたことのない映画の選び方を見つけるのも楽しいだろう。
 
ただ、涙に変えるのは嫌な思いやモヤモヤした気持ちだけにして、映画の思い出は流れないようにしないと。
そして、今日もまた、ハンカチを片手に映画館へと向かおう。
 
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