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【エッセイ】コミュニケーション能力はあっても、社交性がない人もいる

「似て非なるもの」という言葉があるように、同じような性格、性質、属性、能力であっても、その両方を持ち合わせるとは限らない。
 
子どもの頃から、大人になっても、「あなたの長所・短所は?」や「自分の性格を一言で言うと?」のような質問をされることは多々ある。
そういうことを聞かれるたびに、自己分析をすると、自分でも不思議に思う、自分の属性や性格があることに気づく。
 
他人からどう見られているかは置いといて、自分では、「コミュニケーション能力」は比較的ある方だと思っている。
反面、自分は「社交性」のない人間であると自覚している。

 
「コミュニケーション能力」
いわゆる、「コミュ力」。他者と意思疎通を上手に図る能力のこと。

「社交性」
人との付き合いを好む、または、人と上手く付き合って性質。
 
この、似て非なる能力・性質を、自分は併せ持っていないと思う。
なんとなく、片方を持っていれば、もう片方も自然と持っていてもよさそうなものだが、不思議とそうではない。
もちろん、社交性が0というわけではないし、コミュニケーション能力も抜群というわけではないが、セット売りしているはずのものを、単品で購入したような感じである。
 
自己分析の結果、要するに、誰かと話すのも好きだが、一人でいるのも好きということ。
また、コミュニケーション能力があるということと、コミュニケーションをとるのが好きというのはイコールではない。
とらなくていいコミュニケーションは、なくていいと考えるのは自然だと言える。
 
つまり、私自身が持っているコミュケーション能力は、オフェンシブなコミュ力というよりも、ディフェンシブなコミュ力だと思っている。
能動的ではなく、受動的なコミュ力なので、人から話しかけられる分にはよく喋るが、誰かに話しかけるのは苦手だ。無口な人がいたら、話さなきゃとは思わずに、話しかけられたく無いだろうなと考えてしまう。
なので、防衛本能が強く反応する状態の方が、コミュニケーション能力がより発揮されている気がする。
 
このように、自分の場合、「コミュ力」と「社交性」だが、似て非なる性質の人は少なくないはず。
「承認欲求」は強いけど、「自己顕示欲」はあまりない人。
「目立ちたがり屋」だけど、「打たれ弱い」人。
「几帳面」だけど、「遅刻」をよくする人。
「わがまま」だけど、「思いやり」はある人。
「浮気性」だけど、「嫉妬深い」人。
・・・などなど。挙げ出したらキリが無い。
 
このように、二つの性格、性質、属性、能力だけでも、様々なパターンが考えられる。
この組み合わせはその人が持っているもの次第なので、まさに千差万別。だからこそ、一人として同じ人間がいないということになる。
 
ここまで、自分には「社交性」があまり無いと書いてきたが、もう今さら欲しいとは思わない。
もちろん、あるに越したことはないが、ない自分も嫌いではない。
私にとって、「コミュニケーション能力」は、カップ焼きそばでいうところの「ソース」であり、「社交性」はキャベツなどの「火薬」であると思っている。ソースはないと嫌だが、火薬はなくてもかまわない。
 
自分でも、これが言い訳や諦めであることは理解しているが、人間、大人になればなるほど、変わるのも、変えるのも大変になっていくもの。
今持っている武器を磨いていって、その武器が錆びていく様子を見守るのも悪くないのかもしれない。
 
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