見出し画像

#004 シロノワールが優しさを運んでくれた話

冬休み最終日のコメダで読書中。

ふと、斜め向かいの席の親子が気になった。子供の勉強を見てあげるママ。子供にとっては問題が難しい様で理解出来ない我が子にイライラ、声を荒げて眉間にもシワが。怒りで周りが見えなくなる事ってあるよなぁ。

私も3児の母(小4、小2、年長 ) なので痛い程わかる。

小4の長女は真面目だけど要領はあまり良くないので一から十まで説明しないといけないタイプ。次女は要領は人一倍良いが、話を聞いているのかいないのか右から左へ流れていくタイプ。末っ子長男はそもそも話が理解出来ていない様子。こんな3人を24時間365日しっかりと相手にしていたら私もきっと眉が吊り上がって怖い顔を向けていただろうな、と思う。

そうやって思えるのは今は自分が落ち着いた状態で俯瞰して物事を見れる状態にあるからだし、私はこのママの様に勉強を教えるという行為自体ほとんどしない。そう思ったらこのママはしっかりと我が子に向き合ってどうにか理解できるようにしてあげたいという気持ちがビシビシ伝わってきてなんとも胸が苦しくなってしまった。2人の様子が自分と子供に置き換えられて、いてもたってもいられないといった状態になったのかも。

私自身、幼少期に親に勉強しろとか言われた記憶もなければ、家でも勉強したことがないから。勉強は学校か図書館でしかやらなかった。小学校の勉強なんて学校の授業中だけすればいいとさえ思っていたから( アホなのかな?) 夏休みの宿題すらしていかなかったこともある。
(未だに母には思い出話として語られるぐらい)
そんな強者というか何も考えてなかった私だけど、やらされている勉強ほど頭には全く入らないと思っている。必要に迫られた時、然るべき時にやるとおもしろいほど勉強は効果的だと思っていて、知りたいとか学びたいという欲求が自分から湧き上がってこないとどうしても表面的な点数を取れれば良いというような勉強になってしまう。一夜漬けとかはその最たるものだと思うんだけど。

まぁ、私がどれくらい勉強に向き合っていたかとかはどうでも良くって、「親子で一つの問題に向き合っている姿が一所懸命で、ママも子供を想っているし、子供もママが教えてくれている事を一所懸命に理解しようとしている」という事実はとても素敵な事なのに、「伝えたいけど伝わらない憤り」と「理解したいけど理解できない憤り」がぶつかり合っていて二人とも悪くないのになんだか険悪なムードになってしまっていることがなんとも見ていてとにかく辛かった。

本当は優しく諭せばいいのに、怒りたくないのに、気持ちとは真逆の言葉が出てしまう。自分でも止められないんだよなと思う。そんな時に周りにハッと気付かせてくれる人がいると怒ってしまっているママも、わからなくてパニックになっている子供も我に返ることが出来るんじゃないかなと思った。

私に何か出来ないかな?問題を一緒に考えてあげたいけど、見ず知らずの他人が声を掛けて急に隣りに座ったら恐怖でしかないよな。
イライラした時は甘いものを食べると私はちょっと落ち着くし、あの親子も2人で分け合って食べたらどうだろう?と思った。
これなら見ず知らずの人だけど、コメダの商品を通してるから変な物は入ってないし口にしても安心、安全である。
なんてったって、その親子もコメダを選んで入店してるんだから!

とはいえ私が直接注文したものを持っていったら「何か悪いものでも入れたのでは?」と思われても困るので、レジで注文して斜め向かいの親子に届けて貰うようにした。注文された店員さんも困惑。

まさか自分が「あちらのお客様からです」というドラマでしか聞いたことのないようなセリフを言う日が来るとはっ!と思っただろうな。

注文して間もなく一緒に注文した私のコーヒーを店員さんが運んできた。
そして親子の為に注文したシロノワールを「あちらでいいんですよね?」と再度目くばせで確認されたので「お願いします」とだけ伝える。

いざその瞬間になると急に不安が押し寄せてきて自分でも気付かなかったけどものすごく緊張していた。
悪い事をしているつもりはないけど、余計なお世話だったかもしれないと。ママもすごくイラついていたので逆上して私も怒られるのではないか?と考えてみたりして。
自分がした行為が果たして正しかったのかな?
恐くて親子の方を全く見る事が出来なかった。
幸いその親子との間に低めの壁があったので深く腰をかけて本に集中しているフリをしていた。

我ながら気持ち悪いやつだな。

店員さんが「あちらのお客様からです」と言っているのをしっかり聞いているのに知らんぷりしてる自分を俯瞰して見るとちょっとキモイ奴だなと思う。ただ気取っていた訳じゃなくて、どんな反応されるのかが本当に怖くなってしまった。

左側でしっかり親子の様子をキャッチしようとしている自分がいるのに、どうしてもその表情を直視できない。
二人ともちょっとでも笑顔になったかな?
イヤな気持ちにならなかったかな?
そんな事を思いながら全く読書に集中できず、コーヒーカップを持ち上げる手が震えていた。

え?思ったよりドギマギしてる自分に更に緊張感が高まった。

さっきまで声を荒げていた親子の声のトーンが落ち着いて、しばらくすると子供が私の席に近づいてきた。

「うるさくしてしまってすみません。」

違う、違う、そうじゃない!
鈴木 雅之さんの曲のフレーズが頭をよぎる。

「うるさいから静かにしてくれよ!」というクレームではなくって何とか険悪な親子の時間を楽しいものにしてあげたいという好意なんだと伝えなくっちゃと思った。

周りに迷惑がられていると思うと一生懸命になっているママも子供も辛い。

さっきまで知らんぷりをキメてたけど、コレはいかん!と思って自分の気持ちを伝えた。迷惑なんて思っていないということがどうにか伝われ!
親子で楽しい勉強タイムにして欲しい!
変な緊張感と咄嗟の事で自分でも何て言ってるか訳が分からなかったけど「勉強頑張ってね!」とエールを送ってその場を離れた。

その後、シロノワールを食べてまた勉強に戻った親子は先ほどの険悪なムードが改善された模様。
どうやら私の作戦(大げさになってる)が成功したようだ。
ホッとして私も再び自分の読書に集中した。

すると突然「あの、すみません。」と、隣りの席の方が声を掛けてきた。

隣りの20代くらいの女の子が帰り際にビニール袋を差し出してきた 。
お菓子っぽい包装がチラっと見える。

私と親子のやり取りを隣りで見ていた彼女は「なんだか私もホッコリしたのでそのお礼です。」と言った。
わざわざ私にレジで焼き菓子を買ってプレゼントまでしてくれた。
なんて心の優しい子なんだろう。

思いもかけず他の方にも良い連鎖があって嬉しい気持ちになった。

最初は私が親子の険悪ムードに居てもたってもいられずその親子の気持ちを切り替えるキッカケになりたいというだけだった。
ちょっとした行動で流れが変わる事象って沢山ある。

公衆の面前で我が子を怒鳴りたい親なんていないと思うし、イライラしたり怒ったりしたくない。いつでも笑顔でいられたらそんなに幸せなことはない。でも実際は仕事して家事してまだ幼い末っ子の手も掛かるしイライラすることも多いのが現実。私だってこの親子の様になっていてもおかしくない。

ちょっと勇気を出してした事が誰かを笑顔に出来たことが嬉しかったし、優しい行いをすると直接的にでなくてもハッピーな気持ちにさせるんだなと改めて実感できた。

コレを最後まで読んでくれた誰かも少しの勇気と優しさを持って他者と接して欲しいなと思ってこの出来事を忘れないうちに記しておきます。

ハッピーな一日になりますように!

2023.01.09  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?