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シンクロする会話と、かみ合わない会話と、機械との会話の話

歩かない生活をしていると、周りの風景からの情報入手量が減退するという事実に気づく。電車でスマホで読むだけでは、インプットが偏るということだね。けど、それも生活サイクルが変わったから気づいたことでもある。

変化するから気づけることを前向きに。

同じ人と会話をしていると、面白いことに、思考が同期することで、同じ言葉を同時に言ったりとか、ワンフレーズの言葉で、ある楽曲の替え歌だとわかることがある。

最初は気持ち悪いなと話をして「いわゆるこれがミラーリングか」と思いいろいろ調べたけど、どうもそういものでもなさそうだ。でも、そういう相手は、貴重なので大事にしていかないといけないね。

コミュニケーションの波長があうって、やっぱりそうそういるものでもないのは、日々の生活で気づくこと多いもの。

昨日も「コミュニケーションエラーになるので、こういう言い回しは気を付けてほしい」という指摘を受けたが、指摘自体はまあそうなんですよね。けど、一般的には丁寧かつ100%の情報インプットがされても、勘違いしたり誤解したり怒らせたり、なんてよくある話で。

最近思うのは、すべての対話ではにコミュニケーションエラーはおこるものとして定義して、誤解があれば都度、説明していく方がいいんじゃないかと思っている。「なんでわからないの?」ではなく「わかるまで何度でも話そう」というか。

当然、ロスがないコミュニケーションがあればベストだし、生産的なんだけど、それをやっていいのは、絶対君主制を引いた王のみが許された特権なんだと思う。そのような体制をしくのもよいけど、王は王たる知性・ジャッジ・経験が必要。傀儡政権は、不要だからね。

実際は不完全なコミュニケーションだと自覚して、お互い手を取り合って、都度話しつつ、一歩一歩進めていくしかないんですよね。歩みの速さの良しあしはあるけど、進めていくことが肝心だよね。

ちょっと会話でずれるけど。

実際に試したことがないので、判断がつかないけど、この文章がよいのか、Google Homeの性能がいいのか、わからないけどこれだけ読んだら「惚れてまうやないかい」と、思ってしまうよね。

どうしても、自分のような立場だと、「音声認識でGoogleを使う」「Googleに指示する」という観点で考えてしまうけど「友達として接する」というアプローチで、もし、このような会話がすでに実現できているとすると、驚きだし俄然興味が出てきますよね。

よく日本では、ロボットが~症候群があるけど、本来支援するとかサポートするとかいう、観点で考えたときに、人間の形状である理由って、あんまりないのかもしれない。それこそプロダクトアウトの悪い癖というか。

でも、自分としては、スマホ基盤がスリープモードになったときに、このような機能を提供してもらえる方がはるかにありがたいかもです。

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