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SpaceJet(MRJ)の混乱に見える事業推進の難しさと、自身の器量にあった事業規模設定の重要性

いや、先日SpaceJetの事業凍結の話が出回っていて、大昔ちょっと仕事で絡んだことがあったので(当時はMRJと言ってたのではてとなったけど)、そもそもどんな事業だったのか気になったのでwikiとか見てたのですが、そもそもの依頼タイミングが2008年だったという事実に、なんとも言えない気持ちになってしまった。

12年前というとリーマンショックが起きた翌年、アメリカではオバマさんが大統領になったタイミングですね。はるか遠い、大昔ですね。比較対象として正しいとは言えないけど、ゼロ戦の場合1937年から開始して1940年には実践投入されているようです。ボーイング777の場合、初発注が1990年で納入は1995年のようです。(どちらもwikiから斜め見しました)

SpaceJetの場合、度重なる納期遅延が延伸理由なのですが、ちょっと調べてみるとなかなか、目を疑う記事を見つけてしまった。

つまり、三菱航空機の設計は型式証明を取得できないものだったのだ。それだけではない。海外の専門家は三菱航空機のそれまでの仕事の進め方をことごとく否定した。製品が市場の要求に最適化されていない。オペレーションについては非効率な業務やプロセス、働き方になっている。さらに、組織は全体的に経験不足であり、中でも重要な役割を担うべき全機統合分野でそれが目立つ──と。製品とオペレーション、組織の全てにおいて三菱航空機はダメ出しを食らったのである。
三菱グループでは、三菱航空機の親会社である三菱重工業が米ボーイング(The Boeing Company)向けに翼や胴といったジェット機の重要部品を長年造ってきた。にもかかわらず、開発に着手してから8年もたってこれほどまでの大規模な設計変更を要求されたのだ。一体、三菱航空機は何をしていたのだろうか。(MRJ開発遅延の真相、知見不足で8年を浪費 直面した900件以上の設計変更

正直「この中にいたら、胃に穴があきそうな」言われっぷりです。正直笑えないよな。と思いつつ、自分のところに目を向けると、人のことを言えないなあと思えることもあったりする。

これって、事業者とか身近な話だとサッカーチームとかでもある話なのですが、原因を一言でいうと「自分の実力を知らず背伸びしすぎて失敗しちゃった」なんだよなと(上記の記事の有料の部分は読んでないので、日経BP社がどう言っているか知らないけど)

もう少し、踏み込むと事業経営側が現場の実力を見誤ったということなんだよね。僕らはきっとできる的な。多分論理ではなく感情が勝って、流されて方向修正するタイミングをなくしたという。ああ、よく見る光景。気合や気持ちでなんとかしようとするけど、手は急に伸びないわけです。

違う観点でいうと、人の上に立つとか、多くの人を束ねるとか、大きな目標に着実に歩いていくことって、ほんと難しいですよね。こういうのを見るたびに自分はそういう器じゃないなと思うわけです。

昨日も大きな目標とか提案とかそういう資料を作っていて、内部レビューで同僚に見せたときに「調査はいいのに、急に作業っぽい提案になって笑」と言われるのが、まあ自分の実力です。というか、自分で着地できるところは、跳び箱3段ぐらいなものだからそうなるわけで。

巷では「イノベーションマンセー」な話が多くあり、一握りの天才と半分の凡人と、半分の山師でできているとは頭ではわかっているけど、自分は自分の思考で分かる範囲で一つ一つ積み上げていく手段がないなと再確認しています。

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