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解離前と解離後の違い。

こんばんは。和葉です。
前に投稿した、
子ども人格ちゃんの思い出を振り返る記事の下書きで、書いていた内容の一部分ですが、
少し脱線してしまうと思ったので。
該当箇所をコピーして、手直しして 別記事として上げる事にしました。

↑因みに前に投稿したのは此方になります↑


私、和葉の人生史の中で、
26歳は大きな転換期でした。
それは統合失調症の急性期が、起こって、
精神障がい者 になった歳です。

その直前に、私は、
大きな解離を起こして 中で眠ってしまいました。

私が目覚めたのは統合失調症の急性期で
措置入院になった後。
そして、諸々が全て落ち着いた後でした。
気付いたら急性期を生き抜いた、
4人の人格さん達が、常に傍に居ました。

アキト君。椿君。執事さん。dollyちゃんの
4人です。
(当時は、望愛ちゃんはまだ未確認でしたので。)

↓みんなのこと↓

なので、タイトルにもありますが、
私達の中では、
26歳以前を解離前、それ以降を解離後。
として区別しています。


子ども人格ちゃんがテーマの記事でも書きましたが、
私達には自分の主観とは別に、
どこか他人事な記憶として、
それこそデータベースみたいに
過去の記憶(通称:解離前)を共有しています


私達は、データベース上の記憶以外にも、
各々の個人の主観の記憶を持っていますが、
和葉には、眠っていた期間の主観的な記憶は、
ありません。
(なので、激動の急性期の記憶も、どこか他人事な感覚です。)

それどころか、私は、解離前の私(和葉)とも、
繋がっていない気がします。

和葉は和葉だけど、
解離前の私は、
アキト君達の要素が、
点在して混ざり合って、

絡まった毛糸玉みたいにゴシャゴシャしていたので。(比喩的な表現になりますが。)

たしかに【基本人格】は、私(和葉)なのですが。
(基本人格というよりも、オリジナルという表現の方がイメージしやすいでしょうか。)
過去の【本名】さんとは違う気がします。

解離前の事を、ネット上で表現する時に、
私達は【本名】さん、という書き方をしています。
【本名】さんは、今の私達の誰とも繋がっていない気がするのです。

一度、和葉が中で眠った事により、
ゴシャゴシャの毛糸玉が解けて、
各々の糸がハッキリして、【個性】に分かれた。

そんなイメージを抱いています。

それは私(和葉)も同じで、
解けた事により、埋もれた和葉の個性が1つの糸としてシッカリ判別出来るようになった。
そんなイメージです。

なので尚更、【解離前】と【解離後】。
そんな感じに区別しています。 


話は少し変わりますが、
今の私達は、記憶の連続性を持ちました。

解離の象徴でもある健忘が無い
少し変わったタイプになりました。

統合失調症の急性期を、ずっと
「私(和葉)を目覚めさせる!」
と諦めずに工夫しながら生き抜いた皆。

記憶の連続性(=健忘の消失)は、
皆が努力して工夫して、生き抜いた結果、
適応した結果なのだと私は考えています。

私の今の診断は、
統合失調症(正確に言うと統合失調症感情障害)。
でも、解離症状(多重人格)は残っています。

ですが、解離前とは大きな違いがありまして。
具体的に言うと交代するのでは無く、
皆が常に一緒に同時に存在しているのです。
(スイッチングも容易に出来ます。)
……同時に存在している事も、「記憶の連続性」と
表現するのか否かは、
私には知識が無いので わからないのですが。
健忘の消失と、同時に存在しているのは、
現在の私達の解離症状の大きな特徴でもあります。


記憶の連続性(健忘の消失)があることと、
統合失調症の罹患が理由で、
統合では無く共存という形で生活する事を、
主治医さんからは認められました。

(解離の治療を担当していた主治医さんと、
今の主治医さん(N先生とこれからは表記します。)は別の人です。
統合失調症の措置入院のタイミングで変わりました。)

統合失調症と解離の治療は同時には出来ないみたいで。
その理由は、統合失調症で弱った脳には解離の治療は負荷が強すぎる とのこと。
それが共存を許可された理由の一部でもあります。

ただ、N先生は統合失調症の治療に差し障るという理由から、皆の存在を許しているだけで、
N先生からしたら【症状】なのは変わらないのだと私達は思っています。
N先生は統合失調症の治療をメインに考えている部分があるので、
下手に解離をいじった事により、
統合失調症が制御不能に陥っても困る、といった具合でしょうか。
共存を許された、といっても、
N先生には、どこかドライな部分があります。

それに最初に気が付いたのは、アキト君でした。
(その時の心境を綴ってあるアキト君の記録も紹介します。)

だけど私は、和葉としては、皆の事。
GoGoの事を、【交代人格】ではなく、
一人一人の人間として扱って、
一緒にこれからも生き抜いていく家族だと、
思っています。

その価値観や捉え方を他者には強制はしていないです。

その他者にはアキト君達も含まれています。
アキト君達の価値観(交代人格としての線引)を、尊重しつつも、たまに切なくなる時もあります。

その話はまた次の機会にでも。

長くなりましたが、
ここまでお付き合いいただきまして、
ありがとうございます。*_ _)ペコ


私の事を、応援してくれる。 そんな方が居るんだ!と、 感じる事が出来るだけで、 嬉しさで胸がいっぱいです🤗 これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。