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noteは、現代ネット社会の和歌だ。

noteを始めて今日で2か月。

noteが「何か」に似ているとずっと考えていた。

そう、和歌だ。

和歌というと、百人一首の五、七、五、七、七の31文字の歌を思い浮かべる人が多いと思う。

お茶の水大学の浅田徹先生が書かれた「恋も仕事も日常も 和歌と暮らした日本人」には、和歌が今までどのように日本人に親しまれてきたか、専門書を読まない人にもわかりやすい文章で書かれている。

和歌とは、長歌、短歌らをまとめたジャンルの一つであり、31文字の歌が短歌と呼ばれる。短い短歌の方が広まり、長歌の方はあまり広がらなかったようだ。

昔は文字が書けない人も多く、書いたものを覚えて伝える必要があった。

どんな人でも覚えやすい形、それが31文字の短歌の型であった。

でも、今はほとんどの日本人が文字を読めるし、自分で文字を書いたり、入力することができる。わざわざ暗記して伝える必要がなくなったのだ。

そんな日本社会に普及したnote。

ブログは世界中にあるけれど、noteのような媒体はまだ他の言語ではない。

noteには文字制限や枕言葉などのルールはないけれど、昔の人が和歌で表現したように、どんな人でも日々思ったこと、嬉しかったこと、悲しかったことを自由に綴ることができる。

また、他の人の記事に共感したり、新しいアイディアが浮かんだら、その記事を引用して新たな記事を書くこともできる。引用することにより、引用した記事のクリエーターやそのフォロワーとのコミュニケーションも生まれる。

例えば、先日私が書いた接続詞についての記事を元に

いっき82さんが、新しい記事を書いてくれたりすることもある。

なんと面白い創作の連鎖。

和歌も、友人を祝ったり、恋心を歌ったり、別れを告げたりするなど、一方的に発信するだけではなく、互いに歌を詠み合うなどのコミュニケーションの手段としても親しまれてきた。

誰でも気軽に物書きを楽しめ、交流ができるという点で、noteは現代ネット社会に普及した和歌のようだと私は思う。

文字数を考えれば、twitterの方が和歌に近いのでは?と思う方もいるかもしれないが、じっくり自分の思いを綴り、読む文化はtwitterにはない。

今の時代、日本の古典となった和歌を詠む人は少ないかもしれない。でも、昔の人が和歌を詠んで自分の気持ちや思いを伝える精神は、今もnoteの世界で生き続けているのかもしれない。

参考文献
浅田徹、2019、「恋も仕事も日常も 和歌と暮らした日本人」[キンドル版]、淡交社。

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