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和歌への情熱で道を拓く ~隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯~

「この連作、結句が体言止め活用語(というかほぼ動詞)の終止形止めの2パターンしかないけど、これを受賞させてしまって逆にだいじょうぶ?? 」

反骨精神で現代短歌界に向き合っていた梶間和歌も、和歌の世界で自信を育むなか、いつしか現代短歌に燃やす怒りが【基本無関心、時々心配】と変化していて……。



和歌への情熱で道を拓く ~隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯~

正気? 数十首の連作を年に5,6本編んでいたころ

2012年からか、13年からだったか、とにかく近代短歌と古典和歌に出会ってすぐのころから、多作な私は短歌新人賞への応募を続けていました。

2013年末にながらみ書房さまから雑誌への作品依頼を頂いたのを機に、一首単体で評価されるタイプの賞への応募はやめましたが(「作品でお金を頂き始めたら素人の出す賞には出さないもの」という話を聴いたため。結社や人により異論はあると思います)、
30首の賞や50首の賞、途中15首詠の有力な賞も見つけ、年に少ない時で3作ぐらい、多い場合は5、6作でしょうか、まとまった連作を編み、新人賞に応募し続けました。

というか、2024年現在進行形です。さすがに年3本程度に絞っていますが。
年6本なんて、いくら多作でもアタマおかしい所業でした。


現代【和歌】でなく【短歌】の賞への応募という状況に不満はあれど、「和歌の賞なんて現代日本に存在しないのだから、仕方ない」と諦めていました。

そんな消極姿勢ゆえなのか、あまりにも評価されないことが続きました。

いま思えば、当時の完成度でその結果は当然。
逆に、一度だけ予選通過した作品を2024年に読み返した際
「こんなに完成度の低いものが予選通過して、選者先生のコメントまで付されて、なぜその後の洗練された作品がそれ以下の評価なのか」
と、過去の高評価のほうに怒りが湧いたものです。

しかし、渦中にある者がその瞬間客観性を持つことは難しいわけで。それのできるホモ・サピエンスはよほど訓練されています。それを当たり前と考えてはいけない。
そして私は、紛うことなき凡人でした。
「こんなに良い作品が、なーんで評価されないかな~? 」と首を傾げながら応募し続け、振られ続け、ある時期以降は受賞することよりまとまった連作を創ることそのもののほうが目的になり、現在に至ります。

機会がなければ、30首なり50首なりを連作に編むなどという大変な作業を進んでしたりしませんからね。
締め切りは作品の母とは誰が言ったのだったか。評価にはつながらなくとも、貴重な経験のきっかけとしてそれぞれの賞には心から感謝しております。


大学教授ではありません!

ところで、歌壇での評価とは無関係に、ブログやSNSでいくらでも考えや作品の発信できる昨今。
メンヘラ他責ぴえんぴえん女子が新古今和歌に「その人生、楽しい? 」と頭を殴られて以降、夢中になって古典和歌を読み、それらを訳し、「勉強のついでにおすそ分け」ぐらいのつもりで(いるとも知れぬ)読者に向けた解説をアメブロに書き続けていたら、いつしか

「大学教授が研究の傍ら一般向けに書いているブログだと思っていました」
「え、私の娘よりお若い女性!? 」
「梶間さんは令和の定家ですね」

など、やたら貫禄と権威のある存在だと勘違いされるようになってしまいました。定家はさすがに言いすぎや。

こうした評価は現代短歌でなく、あくまで和歌を愛する界隈でのことですが、
それらの勘違いは謙虚に訂正しつつも、「現代短歌業界での評価はあってもなくても生きてゆける」という状況に数年でなったのは事実です。有難いね。

そうなるとなおのこと、短歌新人賞に出し続けながら結果は気にならなくなり、そのうち歌友たちに「今回の受賞作、誰々さんらしい」と言われるまで結果を知らないままというのが通常運転になりました。
執着が薄れて良かったのか、どうなのでしょう。いつも結果を教えてくれる友人たち、ありがとう。


現代に和歌の賞なんて……ある!!!?

さて、一時期所属していた短歌結社では、退会後も友情の続く人間関係をいくつか築かせていただいたものです。
そのなかのおひとり、私の歌や姿勢を評価しながら同時に客観的な歌壇の状況やキャリアの築き方についてアドバイスくださる佐佐木頼綱さんに、ある時こう言われました。

「いま雑誌などで活躍している歌人には、短歌の新人賞を受賞したわけでない方もいる。
 例えば、一首単体で応募するタイプの大会で大賞を取って、それを『受賞歴』として活動している人もいる。連作の新人賞でないだけで、受賞も嘘ではないですしね。
 梶間さんにも、和歌の大会や和歌寄りの短歌大会で結果を出して、その受賞歴を現代短歌界でのキャリアの足掛かりにする、という道があるかも」

「なるほど。でも、現代に和歌の賞なんて……」


……というところで思い出したものがありました。

2021年、和歌仲間に誘われて「歌塾」という和歌講座を持ったのですが、
その時の受講者さんに「隠岐後鳥羽院大賞」という、和歌部門を含む大会の事務局の方(当時)がおられ、「皆さんも良かったら」とご案内くださったのです。
なんと、自分の出身地である島根県、学生時代大好きだった隠岐郡海士あまの大きく関わっている和歌大会ではありませんか。


「歌塾」で和歌大会の存在を知ったその年、私はそれに応募しませんでした。

和歌に対するおもいは誰にも負けないつもりでいても、少なくとも現代短歌のほうではまったく評価されないまま、その時点で9年ほどでしょうか、経っていました。
和歌の世界では素人ながら堂々と考えを述べ、創作していても、【あちらの世界】での長年の低評価、それがこの瞬間脳裏をちらついた。

「あれだけ偉そうに言っていた人が、和歌の大会で箸にも棒にも掛かっていない」
「梶間和歌、口先だけか」

なんて笑われたら、いや、誰に笑われなくとも私自身耐えられないかもしれない、
と怯んでしまったのです。梶間和歌、ちっちゃいな!


しかし、これだけ和歌に対して情熱を傾けているわけですから、結果がどうあれ一度ぶつかってみてもいいじゃない、と頼綱さんに言われたこの時は思いました。2022年のことです。
選者が冒頭のような興味深い選をなさる現代短歌の先生ではなく伝統ある和歌の家、冷泉家の先生なのだから、たとえ現代の大会であってもそうおかしな選はなさらないはず、という安心感もありました。
念のため前年の受賞作も確認し、安心感マシマシ。

(現代短歌の新人賞、納得の受賞である年もありますよ! あるにはある。興味深いものが散見されるだけで、納得のものがないとは言っていない)


改めて調べてみますと、なんということでしょう、この大会では平成12年に短歌と俳句の賞が始まり、平成23年(2011年)に和歌部門も開設されていたではありませんか……。

誰ですか、「和歌の賞なんて現代日本に存在しないのだから、仕方ない」とか言っていたのは。
私が和歌を始めた年の前年に和歌部門が置かれていたようです。無知って怖い。思い込みって怖い。そして検索下手って怖い。


ちょま、ぎりっぎりで応募した令和四年和歌大賞の結果

頼綱さんにこのアイディアを頂き、後鳥羽院大賞に応募しようと決めたのが2022年7月下旬。
その年の応募締め切りは7月末日。ちょま、十日あるかないか、ぎりぎりじゃない!


しかし不幸中の幸い、題は「松」でした。
「松」なら過去何度も詠んだことがある。先例もそこそこ知っている。十日そこらしか日がなくても、私の実力なら詠めるわ……!

と、数日間「松」の歌に向き合い、渾身の2首を提出しました。
その結果がこちらです。

ときはなる松をひとしほ染めなしておきの浦路に春は来にけり
いにしへの新島守を恋ふとてやおきの浦路にかよふ松風

梶間和歌

このうちの2首目、「新島守」のほうが【入選】しました。


入選かああああああああああああ!!!!!!!!
しかも、個人的には「おきの浦路に」のほうがクオリティ高く出来た自信があったのに、2首目のほうが選ばれている……。

と、手放しで喜べる結果では決してありませんでしたが、
とにかく箸にも棒にも掛からないということにはならなかったので、ほっと一息。
締め切りまで十日ほどでこの結果だから、最低限の実力はあるということだわ。1ヶ月、2ヶ月掛けたとしたらまた違った結果になるだろう。


こうして自信を増し、また翌年がんばろう、と日々の勉強や和歌活動に戻ったのでした。
その翌年の結果に度肝を抜かれることになるとはつゆ思わなかった、2022年末のことです……。


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和歌への情熱で道を拓く

1記事目:和歌への情熱で道を拓く ~隠岐後鳥羽院大賞和歌部門への応募経緯~【イマココ】
2記事目:和歌への情熱で道を拓く ~和歌大賞への挑戦2年目の転機~
3記事目:和歌への情熱で道を拓く ~アルバイトでの成長と和歌指導の可能性~
4記事目:和歌への情熱で道を拓く ~信念で詠み上げた和歌作品の行方~
5記事目:和歌への情熱で道を拓く ~大賞受賞、そして立ちはだかる壁~
6記事目:和歌への情熱で道を拓く ~元ホームレス、和歌にフルベットして~
7記事目:和歌への情熱で道を拓く ~友情と応援の表彰式チケット~
8記事目:和歌への情熱で道を拓く ~終わらぬ挑戦、広がる波紋~


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特にこのたび令和5年の隠岐後鳥羽院大賞和歌部門で古事記編纂一三〇〇年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込みましたが、こちらのツアー代金(9万円弱)や交通費は生活費と別に工面することになります。
お気持ちとお財布事情の許します方に、ぜひともご支援を頂けましたら幸いです。

このツアーの様子はこのマガジンで連載して参ります。どうぞお楽しみに。


今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。


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