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【小説】ひさしからずや夢の如し 五(終章)
西の窓辺の花瓶の、開き過ぎた花が子房の奥まで色付いています。
私、どうかしていました。今まで本当にちょっと私、どうかしていたんですよ、だって、化け物だとか怪物だとかそんなものが、この世にいると思います?
幽霊の正体見たりなんとやら。あんなに怖かった影の形の正体は鎧兜でした。ええ鎧と兜。甲冑です。甲冑のシルエットに私はただただ怯えていたんです。訳もなく、一人で叫んで。「食われるんじゃないか」
【小説】ひさしからずや夢の如し 四
F,クープラン『葦』――何故、他の人達は、昔夢に描いた未来とずれて、全然違ったものに変わってしまっても、自分の人生に上手いこと折り合いを付けられるのだろう。漠然とした不満や理由のある不安を視界の外に押しやり、一日単位で充足感を得ればどうして満たされるの。私は今のこの生活を長くキープしたいと思っています。けれども同時に、ふとした時に訳もなく、ここが私の本当の居場所ではない気がするのです。夫と話して
もっとみる【小説】ひさしからずや夢の如し 三
ショパン『ワルツ第十番』――中級のバイエルに載っていた曲を、先生に教わる前から自宅で弾いていました。誰かが練習していたのを聞いている内に耳が覚えたのです。でもあの頃はレッスンの内容を頭で反芻し、音符を目で確認しながら指を動かしていました。大人になれば迷わず好きに弾けます。先程も触れたように、家は通り沿いの角にあるぶん他のお宅に比べれば敷地に幅があり、塀もしっかりとしていますから、音が漏れて五月蝿
もっとみる【小説】ひさしからずや夢の如し 二
住宅街の真ん中を割って伸びる片道一車線の道路が、緩い傾斜を描きながらどこまでも続いています。結んだ髪の後れ毛を耳に掛け、こめかみに滲んだ汗を拭います。今日は買い過ぎたでしょうか、四月の濁った空気が日に炙られ、行く先の輪郭がぼやけて揺れています。ゆるゆると下った先の十字路の、歩行者信号が青のときに鳴る歪んだ音色に眉を顰め、一本奥の道にある、昔よく娘と来た公園を目の端に映しながら、ゴールに向かって足
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