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【小説】ひさしからずや夢の如し 二

 住宅街の真ん中を割って伸びる片道一車線の道路が、緩い傾斜を描きながらどこまでも続いています。結んだ髪の後れ毛を耳に掛け、こめかみに滲んだ汗を拭います。今日は買い過ぎたでしょうか、四月の濁った空気が日に炙られ、行く先の輪郭がぼやけて揺れています。ゆるゆると下った先の十字路の、歩行者信号が青のときに鳴る歪んだ音色に眉を顰め、一本奥の道にある、昔よく娘と来た公園を目の端に映しながら、ゴールに向かって足を進めると、見えて来ました。等間隔にウバメガシが植えられた歩道をずっと行った先にほら、家がジグザグに五軒立ち並ぶ一画が見えて来ますでしょう、道路沿いの手前の角が我が家です。
 玄関を開けたらバックの中の物を取り出して戸棚や冷蔵庫等に仕舞い、それから服を脱いでバスルームへ。体を洗うついでに周りもざっと磨き終えたら一段落。これで私の一日の、やるべきことの大半がようやく済みました。後は夫が帰宅するまでゆっくりと、私の好きなように時間を潰します。飲み物は最近麦茶が気に入っているんですよ、麦茶はノンカフェインである上にミネラルも豊富で、入浴の後の渇いた体内にぴったりなんです。これに軽い食べ物、今日は惣菜パンを一つほおばりながら、リビングの床に座ってスマホを眺めます。いつもならそのまま自然と眠くなって、クッションを枕にのんびりと一眠りするのに、今日は何だかそんな気分ではありません。SNSに「いいね」を返して動画を見て、気付けばもう黄昏時。夕焼けの灯火がサッシの窓に映って滲み、レースのカーテンの、ひだに溜まる陰を濃くさせながら、白地をほんのり茜色に色付かせています。

「春の闇」

 これは父が好んで使いたがった季語。私の父は何かと多趣味な人でした。情熱的でのめり込みやすいのに移り気、といったところでしょうか。テントや釣具や絵の具が、日々の片隅にいつまでも転がっていたのを覚えています。
 私は立ち上がり、久しぶりにピアノの鍵盤蓋を開けました。蜜柑色に染まった光の中を細かな塵の粒が舞い上がり、きらきらと瞬いて消えていきます。このピアノは私の実家にあった物なんですよ、新築と妊娠のお祝いにと、母が業者に依頼してわざわざ運んでくれました。長い間放ったらかされていた使い古しのピアノは、ボディーにいつの間にかついた傷ならそのまま残っていたものの、埃も手垢もさっぱりと拭い落とされていました。白かった鍵盤は過刻のために黄ばんでいましたが、人差し指の先で軽く押した途端、音が瑞々しく弾けたのです。
 押すと軽い抵抗を以て戻る鍵盤の指触りは、実に心地好く、ぽんと飛び出した一つの音は正しく綺麗な音叉のように、透明な波紋のように、新しい私の家に広く満ち渡って響きました。夢中になったのは子供の頃だけ、使わなくなったら処分するには骨が折れるし少し勿体ない、そんな大きな不用品だったピアノが私の目の前で再び蘇ったのです。
 でもお金は?一体いくら掛かったものか。楽器の調律なんて安くはありません。
 母は私と夫が式を挙げた二年後に再婚しました。子供の頃、私を学校に送り出した後家を出て働き、私が下校して暫くしてから帰宅した母は、参観日や運動会には来てくれていましたが、母と二人で遊びに行った記憶はありません。映画館、遊園地、動物園、海……私をあちこち連れ回したのは父でした。楽しかったですよ。やがて母ひとり子ひとりの暮らしに変わり、母には余暇を楽しむ余裕すらなかったことなら分かっています。でも私が独り立ちした途端に結婚をやり直すだなんて、私は失敗の産物だからなの?と、そうでなくたって、女親から女のにおいがすること自体が私の気分を悪くしました。反面、口下手でつぶらな瞳の丸い熊みたいな母のお相手が、自分よりもうんと年下の夫や私にぺこぺこと頭を下げる姿が痛々しく、もうお互い大人なんだしお幸せにどうぞでいいじゃないと、親を肌感覚で拒絶する自分を責める気持ちもありました。
 母は式を挙げませんでした。お互い暫く疎遠になり、私もそのうち忘れて自分の暮らしを楽しんでいたところ、あるとき母から短いメールが届きました。

「あんた、ピアノいる?」

 今更何なの。でもまあ、母も寂しいのかなと思い、

「あれば嬉しいかも」

 こちらも短く返しました。
 でもまさか本当に送られて来るだなんて、母のお相手を気に入っている夫も流石に申し訳ないよと慌てました。

「いいのいいの気にせんでええから。お母さん、あんたに何もしてやれんかったっちゃろ。これは私がやりたかったこと!今更でごめん、ごめんねえ、お母さんの我儘じゃ思って、な、隆さんも。黙って貰って」

 庭と空が一望出来る居間の窓辺に楚楚として佇むアップライトピアノは、木漏れ日に撫でられて艶々と輝いていました。ピアノと一緒に届けてくれた『子供のためのバイエル』には、子供の字で私の名前が書いてあります。

「うまいうまい、上手に書けたねえ」

 苗字も名前も漢字で書いたんです、ずっと使う物だと思ったから。お気に入りの児童文学の挿し絵や、よく見たアニメでお嬢様が弾いていたのと同じ楽器を自分が習うんだという喜びと、ピアノ教室初日の緊張がないまぜになり、苗字の最初がちょっと波打ってしまって。でも母は誉めてくれました。にこにこと笑っていました。
 忘れていた思い出と感情が、バイエルの頁を捲る度に広がります。私は結婚式の式場で嚙み締めた母への感謝がもう一度湧き起こり、感激で心が熱く膨らむ気持ちに満たされました。このときまだお腹の中にいた娘が、内側からぽこんとひとつ蹴ったのを覚えています。
 この子が私の喜びに反応しているんだと思いました。私は私の過去を私自身の糧として纏め、夫と大事な赤ちゃんと一緒に新しい人生を歩む決意を、希望と幸福の内に見出だしたのです。自分は精神的にも成長したんだなと実感しました。今迄知らなかった寂しさと自由を知り得た気がしました。

「私が使ったバイエルの曲を、いつかこの子と一緒に弾きたいなあ」

 甘くきらきらとした薔薇色の夢は、娘を出産してすぐに甘かったと思い知らされました。生後三ヶ月を過ぎる迄は私も夫も寝不足で、疲れとホルモンバランスの乱れから夫にも赤ちゃんだった娘にも当たり散らしました。おたおたする夫に苛立ち、俺だって一生懸命やってるだろと反論されれば殺意が沸く。ピアノなんか構っている暇はないのです。紙おむつや雑巾を置く棚の代わりに使っていました。理想に近付けたのは娘が一歳を迎える頃からでしたね。妊娠中に弾いた曲を弾いてやると、遊びの手を止めつたい歩きのあんよを止めて、ちょっと聴いていたように思います。壁もフローリングもキャンバスにして、娘がクレヨンで落書きをしたことがありました。私はこれに気付いた途端どっと疲れを感じましたが、娘を叱りつつも沢山書いたことは誉めたんです。床を拭いていてピアノの脚にもクレヨンの跡を見つけ、ピアノの下に潜ってみると腹の部分にも滅茶苦茶に書きなぐってあるのに気付いた瞬間、私は喚きながら娘の頬を叩きました。自分でも信じられない程の大声で叫び、ぽかんとして突っ立っている娘の両の頬を張り倒しました。尻もちをついた娘は驚いた顔をして「ママ」と言ってから、ええんええんと泣きました。すべすべとした桃の頬を赤く腫らし、顔も前髪も涙と鼻水と涎で濡らしながら娘は「ママごめんちゃい」を繰り返しました。何度も何度も。

「私が悪かった」

 瞼をきつくきつく瞑り、胸から喉までもたげる塊を堪え、やり直したい思い出を振り払います。
 ……そろそろと瞼を開けて薄暗い窓の外を眺め、私はトムソン椅子に腰掛けました。何も知らない夫は娘をピアノ教室へ通わせたいと言いました。娘は特に嫌がりもせず、始めてしまえば楽しそうでした。私が使っていた『子どものためのバイエル』から良さそうな曲を選び、娘に教えたこともあります。でもつい私の方が一生懸命になって、すぐに厳しくあたってしまう。どうして出来ないのと問い詰めてしまう。私の教え方は母の自転車の教え方にそっくりです。

「あのさあ。ママは厳しすぎるんだよ」

 夫は私を咎めました。私は夫婦喧嘩をしたくはありません。それに丁度娘が中学にあがる頃でしたから、小学校とは違って忙しい中学生活に持ち越せない習い事、学習塾以外の習い事はやめました。以来ピアノは居間のかさばるインテリアと変わりました。


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