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場づくりの考察。「自走する場」に必要ないくつかの要件について。あと、そもそもコミュニティとは?

こんばんは。藤本です。コミュニティ(共同体)が自走したと感じた出来事はある?あった場合、どうしてそう思ったの?という質問をいただきました。

コミュニティが自走するというのは、どんなイメージ?と聞きたい気持ちがそもそもあるけれど笑、自分なりの解釈でもってお答えしますね。

その前にまずぼくたちは「コミュニティ」「アソシエーション(=チーム的なもの)」「サークル」などという言葉を、ある程度区別して使う必要があるのかもしれません。

今、驚くほどにコミュニティという言葉が広がりを見せています。そしてその意味(元々の意味は「(地域)共同体」)もどんどんと広がっています。けれどもそうした中で、あるいはそういう状況だからこそ、ぼくはどれもこれもコミュニティという言葉で表現していいのだろうか?と思っています。

ぼくは、場(=関係性・作用し合うこと)という言葉を使うことが多いのですが、コミュニティと言った時にはどうしても地理的な制限が頭に浮かんでしまいます。

具体的な目的やテーマのあるものはコミュニティなのだろうか。地理的限定のないつながりや関わりをコミュニティと呼んでよいのか。そんなことをやきもきしながら考えもします。

もちろん、コミュニティという言葉の正しい使い方があるわけではないとも思います。なので、自分なりの使い方があれば、それはそれでいいのかなと思っているのですが。笑

さて、そうした前提を置いた上で「コミュニティの自走(ぼくにとってはアソシエーションの自走、あるいは“テーマ型”コミュニティの自走)」は語ることができるように思います。

自走する(というよりも自走させる)という上では2つの方法があると思っています。

まずは、①自分が(ビジョンやコンセプトの)旗を立てて、(誰かに関わってもらいながら)それを形にし、徐々に別の人に引き継いでいくという方法。

また、②誰かのやりたいこと、つくりたい場に対して関与をしながら形にしていき、徐々に自分はフェードアウトしていくという方法。

「自分の関与がなくてもうまく進む」ということを自走として理解していますが、大きくはこの2つなのかなと思っています。

質問だけに答えるとすれば、自走したと感じた経験はあったし、それは自分の関与がなくても円滑に物事が進んでいるからです、メンバーの主体性がどんどん高まって藤本の想像を超えることが生まれてきているからです、という答えになるのだけど、それだけだと面白くないですよね。きっと。

ただ、具体的な話をすると長くなるので、自走するのに必要だと思っている要点だけ書きます。これは、ファシリテーター的に関与する人のための要点です。

・なぜやるの?なんのためにやるの?を明確に
ぼくがよく言うことです。何かをはじめるときに、あるいは誰かと関わるときに、理由、原因、背景、過程、目的、未来像など、様々なものを共有する必要があると思っています。関わる人たちと本当に深い関わりができないと難しいよなあと。ファシリテーターはそこを問い続ける必要があると思うし、つなぎ合わせる必要があると思っています。問いから主体性が生まれてくるのだと。

・そこに安心感はあるか?(その人らしさを大切に)
とっても大事。安心できない場で本領発揮はできない。

・学びや気づきの創発(その場がおもしろいこと)
関わるごとに自分が成長していく、変化していく、知らない世界のことを知ることができるなど、学びや気づきの状況がその関係性やチーム内でデザインされていることが重要かなと思っています。参加してもなんも得られねーよ、という場には人は集まってこないかなと。

・スケジュール管理や具体的な部分を
上をつくることができれば、あとは進めていくための具体的なノウハウさえわかれば大丈夫。企画やプロジェクトを進めていくときに必要なスキルを伝授したり、自分もわからなければ一緒に考えたりすればいいと思っています。

自走の要件、そんな感じかなあ。書き残し、あるかもしれないけど。というような感じで許してもらえるかしら。

質問:
若葉さんは、なぜコミュニケーターという肩書きなの?コミュニティマネージャーでも、コミュニティデザイナーでもないのはなぜ?その違いや感じていることを教えてください。


山口若葉さんと藤本遼さんの期限付き(6月に行うイベント当日までの)交換日記。コミュニティやらデザインやらソーシャルやらについて、うだうだと語ります。