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第31回読書会『新版國語元年』を読んで
いよいよ『新版國語元年』も第3回になりました。クライマックスといったところです。次回が最終回になります。
今回も初めての方1名を含めて、6名の方に参加をしていただきました。
ありがとうございました。
前回までのお話
長州出身の南郷清之輔は文部省の四等官。統一国家をつくり上げるために話し言葉を統一するという指令を受ける。清之輔は「統一話し言葉」を制定するために、母音を統一しようとして「南郷式唇稽古」を開発する。しかし、褌(ふんどし)という言葉一つとっても、お国訛りで色々あるということに気づく。いっそどこかの言葉をベースにして「統一話し言葉」にすればいいのではないかと思うに至る。
そして、清之輔は家族と奉公人と居候の言葉である長州訛り、薩摩訛り、京言葉、江戸山の手言葉、江戸下町言葉、米沢弁、河内弁、南部遠野弁、名古屋訛りを土台に「統一話し言葉」を制定するべく、文部省に提案する。
それを聞いて会津の虎三郎は
藩国敗れて言葉あり
と言って喜びます。会津人は賊軍なので、辛い明治時代でした。だからこそ、会津訛りを取り上げてくれて喜んだのです。
この虎三郎の言葉、なかなかいい言葉だと思います。
清之輔が悄気て帰った日
ところが、文部少輔田中不二麿閣下はこういうのです。
賊軍の言葉を話し言葉にしちゃいけないね
そして、清之輔が悄気て帰ってくるわけですが、そこへ京都の公卿だった公民がやってきてこう言います。
全国に流行らせるには力が入りますがな。政事の力が入りますがな。新政府の御威光をもって流行らせるほかおへん。ソヤサカイ新政府の高官が、いかにも喜びそうな土地の言葉を土台に据えるわけドス……
それを聞いた清之助も、
政事の権力の裏付けのない言葉は全国統一話し言葉に成り得ないチューのでアリマスナ。
と納得してしまいます。
明治維新は徳川幕府を倒して、日本を近代国家にした一連の流れなわけですが、それは本当に日本国民が望んでいたことだったのかなってわたしは最近思ったりします。
ベリー来航などの外圧があり、このままでは外国に侵略されてしまうという恐れがあったかもしれませんが、それでも、幕府はうまく凌いでいたのではないかと思うのです。
だから、会津や他の奥羽の国々を賊軍と決めつけて、薩長中心の国に作り上げ、さらには、言葉さえも抹殺しようとする権利が薩長にあるんか!と怒りがこみ上げてきます。
コメディタッチに描かれている本作ですが、実はこういう感情も引き出されてしまうところが魅力だと思います。
「メイボ」という言葉を1000円で売る
次の場面では、賊軍の地方でしか使われていない言葉は使えないので、別の言葉に言い換えたらいいのではないか、という話になります。
例えば、「にしん」という言葉は松前藩の言葉で、松前藩は賊軍だから、「にしん」という言葉は使えない。それで、にしんは鱗がよく落ちるから「鱗落魚」(りんらくぎょ)にしたらどうかといった具合です。
そして、その申告をしたものに10銭を払うということになったのです。
つまり、自分の言葉を10銭に変えるということです。
これを読んだときは、笑い話のように感じました。
でも、読書会のなかで、目の上のできものをなんと呼ぶかという話になり、首都圏では「ものもらい」京都滋賀では「めいぼ」兵庫では「めばちこ」ということをメンバーで確認したうえで、この「めいぼ」という言葉をもう使わず「ものもらい」で統一するということを申告したらお金もらえるなら、喜んで「めいぼ」という言葉は捨てるだろうと言いました。そしてメンバーもそう言って笑っていました。
でも言葉ってそういうふうに簡単に消えていく、というより、社会や政治のあり方次第で消してしまうこともできるんだということに『國語元年』を読んでいると気づかされます。
言葉は豊かでその豊かさのひとつが方言なのだとおもいます。
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