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久保研二
2021年5月28日 14:17
私は自慢やないですが、同世代の人たちに比べて圧倒的に、ものごとをゆっくりと考えることができる環境に身を置いています。 歌や文章を書くことを生業にしていくためには、たしかに収入には遠回りかもしれませんが、それは非常に重要なことというか、その骨格を維持しとかないと私という人格そのものが成り立たないというのがホントのところです。 人格とはキャラクター。 キャラクターの本質は、その人間の基本的
2021年5月7日 10:26
古い物が好きで且つそこに執着する傾向が強い私は、歴史的な街並みを保存している人々をホンマに偉いと尊敬します。 今回、今までまったく知らなかった町、本来なら縁もゆかりもなかった愛媛県西予市の卯之町を訪れた私は、心底感心しました。 街並み保存は地域の住人の心がまとまらなければ不可能です。 人が集い棲息すれば、必ず何人かはワケわからん文句を言うアホが生まれます。 それだけではありません。
2021年5月6日 01:19
20歳の頃、特殊な内容の仕事で、ちょくちょく東京に仕事…といってももちろんアルバイトに行くことがありました。……この仕事の話は、今から考えたらそこそこ面白いので、死ぬまでにいつかおはなしするつもりです。 さて、生粋の関西人、まして尼っ子の私が、江戸に行って最初に驚いたのが、飲食店で「にく」といえば「豚肉」をさすことでした。 私ら関西人は「にく」といえば必ず「牛肉」を意味し、もしも「肉う
2021年4月24日 12:38
同窓会……私は落ちこぼれですから、比較的大人しくしていました。 それでも高等部の時の芝川せんせが、わざわざ私のテーブルに来てくださり、「お〜クボ〜」「あっせんせ、お久しぶりです、お元気ですか?」 すると、「いつも《たけぞう》が、お世話になってるそうで……いやぁ……ありがとうな……ホンマにありがとう……」「お世話なんかなんもしてませんよ、たまに山口に遊びに来たり、米を送った
2021年4月23日 10:44
同窓会が終わったあと、幹事でもある、ウチの会社の役員の「肺がん太田」と、関学では知らん者が居ないという有名人、もと銀行マンで現在優良企業に天下りをしている「元木」と、3人でお茶を飲み、同窓会のプチ反省会をしました。 私が……「あれっ? えべっさん、来てへんかったなあ…」元木が、「エベ なぁ……急に来られへんようになったんや」「そうか……ところでな、元木…アイツ、どないしてん
2021年4月21日 16:43
2018年4月下旬、関学高等部の同窓会に参加するために帰阪しました。 この年齢にまでなるとなかなか経験できない、♪ 懐かしい〜 痛みだわ〜 座って食事をしている私の後ろから、後頭部を、かなりの力で"バシッ"とシバイた奴が居ります。「なにすんねん?」と、振り返ったら、それは中学からサッカー部でずっと一緒だった、お猿によく似た落合の晋ちゃんでした。叩いたことなどなんも悪びれず、
2021年4月17日 07:04
遮二無二なって自分の「個性」を探り、いじくりまわしていい気になっていた10代の後半。今は亡き恩師から強烈な啓示を受けました。「久保君、個性とはね、一人一人の内面のさらに奥にある、究極の独自性を意味するんだよ。それはね、自分自身の自己となることなんだ。均質化されたものじゃぁなく、自分自身を志向したまえ」 「人間はね、自己を表現している時、内在している力を発揮している時、最も幸福で、自分
2021年4月12日 09:45
2018年4月12日。 お仕事用のパソコンが、明日吉田スタジオの北居間に搬入されるので、膨大な書籍と資料と治司の遺品をかなり大雑把に断捨離せなあきません。格闘中……。 そんな中、なぜか父の遺品にまぎれて発掘された太古の記録、カセットテープ。 これは私が通った関西学院高等部3年F組 の、卒業間際である1979年から3年間、3回に渡る同窓会の貴重な記録音源なのです。 場所は神戸の王子公
2021年4月11日 16:56
2016年4月11日。 昨夜、高校の1年先輩の訃報を知りました。やっぱり早すぎるでしょ? サッカー部のゴールキーパーでした。 1年上の学年の最後の試合は、PK戦にまでもつれ、1点ビハインドで相手が5人目、最後のキッカーで、そいつが外せばサドンデスで6人目に勝負が持ち越されます。 審判のホイッスルが鳴りました。 敵のキッカーはガチガチに緊張していて、案の定ミスキックで、ボールはボテボ
2021年4月8日 13:04
夢の中にイエスさまが現れて私に言いました。「けんちゃん、思い出をじゅうぶん、満足できるまでこさえたら、いつでもワシに言いや、すみやかにこっちにええ部屋を用意したるさかいにな」と、 問題はその伝え方です。 手紙なのか葉書なのか電話なのかメールなのか? それを問うとイエスさまは、「またここへ来たらええやん、受付で女の子に、ワシが来いというたゆうたら、ちゃんと社長室につないでくれる
2021年4月6日 14:44
疾風(はやち)たちまち波を吹き 赤裳(あかも)の裾ぞ濡れひじし 病みし我はすべて癒えて 浜の真砂、愛子(まなご)今は 省略されがちな【浜辺の歌】の3番です。この詩を書いたのは、林古渓。 強い風が突然吹いて海水を飛ばし、 女性の赤い着物の裾がびしょ濡れになった。 自分の病気は完治し…… さあここからが難しい。「浜のまさご、まなご今は」「まさご」と「まなご」が、♪ラップ
2021年3月27日 10:32
もう30年以上も前のことです。 私はとある恩師と共に、珍しく電車で移動していました。 列車に乗り込むと、私らが座ったシートと少し離れた位置のシートに、いかにもガラの悪そうな20歳過ぎのヤンキーが3人。その頃はそんな呼び名はありませんでしたが、今でいえばDQN どきゅん、と表現される人種です。 その3人のどきゅんが人の迷惑かえりみず、大きな声で騒いでいました。もちろん皆が眉をひそめる明らか
2021年3月19日 00:11
2020年3月19日 私はいつも思うんです。 幼児期に可愛がってくれた祖父や祖母や親戚。 さらに幼稚園の時の先生や友達、そして小学校、中学……とりわけ高校時代の友達。 自分を中心にしていろんな時代があり、共に成長し、そのたびごとに卒業し……そうして私たちは次の世界へと進んできました。 成長という言葉がピンとこなくなったのはいつ頃からだったでしょうか? その頃から、少しずつ同じ年代
2021年3月12日 13:35
性の知識も経験も、クラスのほとんどが持ち合わせなかったウブな高校生の頃、新学年にあがった時に、上の学年から T島 が落第してきた。 ひとつ歳上の T島は休み時間になると、クラスメイトの後ろからそっと首すじに息を吹きかけた。しかもしょっちゅう。 おどろいて振り返ると、その瞬間、強引にT島にキスをされた。もちろん唇に直接。 結局クラスの約半数が、こうして T島に ファーストキスを奪われて