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北窓に月入らずとは萩餅よ 〜和歌で見る萩と月〜

萩《はぎ》の花 尾花《をばな》 葛花《くずばな》 瞿麦《なでしこ》の花 女郎花《をみなえし》 また藤袴《ふじばかま》 朝貌《あさがほ》の花

山上憶良『万葉集』

春夏秋冬おはぎ

神無月になりました。
涼やかな風が秋を運びます。

千年を優に越える昔、秋の七草の一番手にあげられたのは「萩の花」。

ハギはススキと並んでお月見に飾られる植物として有名です。

一方で、萩の花に見立てられているにも関わらず、月に見かぎられたのが萩餅=おはぎ

本記事のタイトルにも入っているように「北窓の月入らず」、北むきの窓からは月の光が入りません。つまり、「つき」がありません。

お餅といえば、ぺったんぺったんと餅つきをします。
しかし、おはぎはお米をつくことなく作ることができます。
そのため、おはぎは「つき」がないとして、月光の入らない北窓と洒落で呼ばれています。

夏は「つき」が分からないとして、夜船と呼ばれています。
闇夜に港へ入る船はいつ着いたのかわかりません。
着いたタイミングが分からない夜船に、いつお米をついたのか分からないおはぎを掛けています。

これら語源は諸説ありますが、
春は牡丹餅、夏は夜船、秋は萩餅、冬は北窓、と呼ばれ、
四季折々で親しまれてきたお菓子であると感じます。

うつろな萩の花

お花に戻りまして。

萩の花くれぐれまでもありつるが 月出でて見るになきがはかなさ

『金槐和歌集』源実朝

「萩の花が夕暮れ時までは見えていたのに、月が出てから見てみるとなくなっていた、そのむなしさよ」

現代語訳してみると、こんな感じでしょうか。

古語の「はかなさ」は、現代語のはかなさとややニュアンスが異なり、むなしさや頼りなさといった虚無感が色濃く感じられます。

指の間をすり抜ける砂子というよりも、音もなくすうっと消えてしまう朝露のように。

そして、26歳という若さで亡くなった実朝を思うと、
どこか悲しみに沈む「暗れ暗れ(くれくれ)」といった様子を重ねてしまいます。

隠れてしまう月に

初演舞台「雨夜の月」に向けて、制作を進めています。

[追記:新作舞台『雨夜の月』は無事に終了しました!よろしければ、下記記事をご参照ください。]

雨が降る夜には、雲に隠れた月を目にすることはできません。
しかし、きっと雲の奥には光り輝く白い月があることを知っています。

このように雨夜の月とは、実際にはあるとわかっていても見ることができないこと、転じて想像するだけで実現しないこと、の例えとされています。

舞台「雨夜の月」は、「大切な人の喪失にどう向き合えばいいのか」を考えるために立ち上がったプロジェクトです。

雲の奥に光る月とかつて隣にいた大切な人を重ねてしまうでしょう。

この舞台には先ほどの実朝の詞が思い起こされます。
また、紫式部の有名な一首も添えたいです。

めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな

『新古今和歌集』紫式部

燃え上がる空の色に染まりきった萩の花には、爛漫に咲き続けてほしい限り。

北窓に月入らずとは萩餅よ はかなくこそある萩と月かな

心行くままに愛でられる秋でありますように。

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