𝗠𝗶𝗻𝗮𝗰𝗼/南野美奈子

𝗠𝗶𝗻𝗮𝗺𝗶𝗻𝗼 𝗠𝗶𝗻𝗮𝗰𝗼 / 南野 美奈子 お絵描きする愛読家。

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「なぜ美大に行きたいのか」

水彩画家の柴崎春通さんに、『木曜日の相談室』という企画でご相談にのっていただいた。 いつも拝見している柴崎さんに相談ができたなんて幸運で、柴崎さんの優しく穏やかな声で言葉たちが再生されて、いくら噛みしめても味がなくならないので、この言葉を肌身離さず持ち歩いている。 でも、再生される声音が優しかろうと柴崎さんの言葉は、重く心に刺さった。 絵を描くことと私の精神があまりに近くにありすぎるせいでもある。 心の整理も兼ねて「なぜ美大に行きたいか」と考えた過程を言葉にする。 「

    • 罪悪感からはじめる平和希求

      パレスチナとイスラエルの戦争のことをずっと考えている。 高校生の時、ちくま評論選に載っていた岡真理先生の『棗椰子の木陰の文学』に衝撃を受けた。 そして、『アラブ、祈りとしての文学』を読んで、私はイスラーム史を学ぶと決めた。 変な話だが、イスラームではない宗教家の家庭で育った私には、それがある種の抵抗で、アイデンティティ形成の支えになっていた。 実際に私はイスラーム史を専攻して、パレスチナ問題について詳細に学んだ。 ガザ地区の塀の中に閉じ込められ、最新兵器で殺されて、それ

      • 祖父のセクハラ

        海の温度を知りたくて、電車を乗り過ごした。 終着駅まで行くと、湘南の海がある。 日が落ちるまであと一時間ほどか、西日が全てを等しく刺している。 小さい頃、海で溺れたことがある。 祖父を追いかけて海に入ったら、私の体は海に逆さまにささった。 「なぁ、ラーメンと海の水、どっちがしょっぱいんか?」 救出された私は泣きじゃくって、落ち着くために海の家に入ってラーメンをすすった。 やや拗ねている私に、そう尋ねてきた祖父はニヤニヤと笑っていた。 当時の祖父は従姉妹のお姉ちゃんのお

        • 「信じる」について 2.しかし、神の御心のままに

          神には価値があるコペルニクスも、ガリレオ・ガリレイも、キリスト教の神の存在を当然のこととしていたからこそ、その神がつくる美しい世界の神秘を知りたいと思ったわけだ。 それが、疑う事すらなかった神の存在そのものが崩された時代が来た。 神はいるんだかいないんだか分からない。 だから、カントの『純粋理性批判』において、神の存在を証明することは、我々人間の理解の外にあるとされ、カント以降、哲学において神の存在を議論することはなくなっていった。 しかし、存在の不確かな神について議論を

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        「なぜ美大に行きたいのか」

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        • 演出ことはじめ
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          「南野 美奈子」とは

          南野 美奈子 みなみの みなこ Minamino Minaco 誕生『美少女戦士セーラームーン』に登場するキャラクター・愛野美奈子(セーラーヴィーナス)から名前を取った。苗字と名前のはじめ二文字をそろえるため、南野を苗字とした。 候補として他に「いせえび いせ」等があがっていた。 本来は演出を手伝うにあたって作られたハンドルネーム(あるいは人格)だったが、終演後も愛読家としてのんびり生活中。 活動舞台『雨夜の月』演出助手(〜2023年1月) 日頃 事務職OL 休日 お絵

          「信じる」について 1.聖書の無誤性

          「信じる」とはどういうことか、考える。 なぜ考えるかというと、そういう出自なので、となってしまうのだが、それは私にとって身近な長年の命題だ。 この命題は、気を付けないとどうしてもスピリチュアルの話になってしまうので、かなり慎重に考えなければならない。 信仰と言葉何かを疑わずに信じられる人をピュアだという。生まれつきピュアだとかそういうことはない。 信じる行為ができる、つまり信仰の可能性は環境に寄る。 現代社会における他の生物と区別した人間(ホモ・サピエンス・サピエンス)の

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          待ちわびていたはずなのにいざ来ると 求めてしまう夏の味と香

          朝の日の柔らかさに、秋だと分かる。どんなに気温が高くても太陽の高度は規則正しく変わる。 布団を干す。 新調したベランダのサンダルはごつごつしている。 洗濯機を回す。 その間に、豆乳コーヒーを飲みながら干しっぱなしだった洗濯物を畳む。 インスタントコーヒーをコップ半分のお湯で溶かす。スプーン一杯のはちみつも溶かす。特濃豆乳をたっぷり入れる。おいしい☕️ クーラーがなくてもやっていける暑さなので、エアコンのフィルターを洗うことにした。 灰色の網にシャワーの水を勢いよくあてる

          待ちわびていたはずなのにいざ来ると 求めてしまう夏の味と香

          休日に何もしないができないの 南瓜の煮物 茄子焼き浸し

          午後に起きた休日。 よく眠れた満足感に浸りながらも、何かせねばという焦燥感が近所の散歩のスピードで迫る。 例えば部屋の掃除をするだけではプラマイゼロな気がして、久しぶりに窓も掃除する。 ベランダを見てサンダルの片方がなくなっていることに気がつく。 あたりを見ても見つからない。飛んでいったな。 夕飯の買い出しついでにサンダルも買おう。 秋を自覚するために、旬の野菜を買う。南瓜と茄子。 旬かは分からないけど、食べたかったのでキウイも。 南瓜の煮物 茄子の焼き浸し 以上、

          休日に何もしないができないの 南瓜の煮物 茄子焼き浸し

          一冊の本を読む

          「月何冊ぐらい、本読んでる?」 出版社の面接を受けたことがあるなら、あるいは読書好きと公言しようものなら、聞かれるであろう問い。 出版社を中心に就活をしていた当時、私はこの質問がどうにも苦手で、決まって憂鬱になった。 定量的な質問がイヤというよりも、「本を読む」という行為がどこからを差すのかが分からなかったからだ。 読書体験のグラデーション当時の私の認識では、本を読むというのは、頭からお尻まで読了することだった。 だから、質問には「月によるが平均2,3冊」と当たり障りの

          大人の夏休み

          天国の気温設定がされた事務所から、人間などお構いなしにお天道様が照りつける外へ出ると、日傘を差す大人たちをすり抜けて、はしゃぐ声をあげた子供たちが駆け抜ける。 こんな時間に?と疑問に思った数秒後に、彼らはもう夏休みだと気がつく。 社会人には待てど暮らせど夏休みは訪れない。 せいぜいお盆休みが数日。なんとも寂しい話よ。 けれども、ちょうど繁忙期を抜けてきたのだから、夏休みだと思い込んでいい気がしてきた。 夏休みだけどちょっと習い事があるのよね、とませた小学生風に職場へゆく

          処女作遠望談 変物と奇人

          十五、六のころに夏目は文学の道をめざす。 頭のできのよい青年がその年ごろから志せば文豪にも辿りつくだろうと思うのだが、この時点では兄に止められている。 文学は accomplishment(芸事、戯れ)にすぎないと、むしろ叱られた。 それでも変人の自覚があった夏目は、変人なりに社会の役に立てる道を他に探した。 そこで佐々木東洋を思い出す。彼も変人だが、世間に必要とされている。それがいい。しかし、彼は医者だ。夏目は医者がきらいときた。医者はイヤだ。 で、建築に思い当たる。

          処女作遠望談 変物と奇人

          映画『怪物』 銀河鉄道の夜へと旅支度をする二人

          映画『怪物』を観てきた。 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のオマージュととれる脚本で、子どもたち含め役者たちの名演技に、良質なミステリーを観た満足感が強く、何度も唸ってしまった。 湊と依里貧しく父のいない湊がジョバンニで、裕福だが母のいない依里はカムパネルラであることは明らかだろう。 山奥に捨て置かれた電車に、二人の手によって宇宙や銀河系を思わせる手作りの装飾が飾られる。 二つの星の横に怪獣が並べられる窓のセロハンの飾り付けは、本作の象徴のようだった。 また、クレジットで感嘆

          映画『怪物』 銀河鉄道の夜へと旅支度をする二人

          エガク、足るを知る

          疲れもとれていない寝惚け眼の土曜の午前中、絵を描いている。 パステルとスケッチブックと現像した写真を携えて、近所のアトリエに向かう。 参考にする写真はたいがい動物のソロ写真で、 あまり深いことは考えず、模写をするように絵を描き進めていく。 先生に作品のコメントをいただいた後、提言があった。 「そろそろテーマというか、構図というか、 好きなように組み合わせてみてもいいですね。」 このまま模写を描き続けてもいいんですけどね、と。 悩んだ。 アトリエのメンバーは、私が見

          めでたい日なので読みたい本のお披露目

          1997年。 山一証券はじめ金融機関が続々と破綻し、その年を表す漢字は「倒」であった年。 出版業界の売り上げが、下降の一途を辿りはじめた年。 そんな年の今日、生まれた私は、 今日も明日からも飽くことなく本を読んでいる。 (いまはこれ読んでる) 出版不況と言われても、読みたい本は無限に湧く。 読みたいと思って全て読めるほど多読ではないし、書店に貢ぐあり余る財産もない。 だから、少しでも惹かれた本は書き留めるようにしている。 なかなか日の目を見ないとっておきたち。 ほん

          めでたい日なので読みたい本のお披露目

          生の重さ、悲しみの重さ 〜舞台『雨夜の月』配信によせて~

          生の重さ「グリーフ(grief)」とは、「喪失をともなう悲嘆」のこと。 ラテン語の"gravis"に起源をもち、 重力・重さを意味する"gravity"もここから派生している。 グリーフももとは重さを表す語で、 喪失による悲しみは、心が重くなることから悲嘆を意味するようになった。 多くの物語において、生の表現には「重さ」が用いられる。 幽霊はふわふわと宙に浮き、地に足がついていない。 これは生き残っている側に重さがあることを対比的に実感させる。 悲しみの重さ何かを失う

          生の重さ、悲しみの重さ 〜舞台『雨夜の月』配信によせて~

          晴れの日に履いた長靴

          春の雨はおとなしく降る。 これから芽吹こうとする草木を育みながら、 一足先に春を彩る花々に寄り添う。 白地に花柄の傘。 持ち手の溝彫りがよくなじんでいる。 スリムな長靴は新鮮な土色をしていて、水たまりを踏みしめたくなる。 雨に装備した日。 そういう日に限って、電車を降りると晴れ間が差し込む。 裾の広がったトレンチコートはレインコートのシルエットにも見えて、通勤時のホームでは大人にまぎれた小学生の気分になった。 私にはこういったズレがたびたび起こる。 そんなズレが自分