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晴れの日に履いた長靴

春の雨はおとなしく降る。
これから芽吹こうとする草木を育みながら、
一足先に春を彩る花々に寄り添う。

白地に花柄の傘。
持ち手の溝彫りがよくなじんでいる。
スリムな長靴は新鮮な土色をしていて、水たまりを踏みしめたくなる。

雨に装備した日。
そういう日に限って、電車を降りると晴れ間が差し込む。

裾の広がったトレンチコートはレインコートのシルエットにも見えて、通勤時のホームでは大人にまぎれた小学生の気分になった。

私にはこういったズレがたびたび起こる。

そんなズレが自分自身は気に入っていて、センスがあるなと、やけにポジティブに考えてしまう。
ズレという言葉にマイナスの響きを感じるようであれば、味とでも呼べばいい。

そういう自分が(自分で言っちゃうほどに)可愛くて仕方がない。
レオ・レオニのスイミーみたいだ。

スイミーは仲間をマグロに食べられて、独りぼっちで海底をさまよった。
はじめは怖くて、寂しくて、悲しかった。
しかし、ゼリーのようなクラゲやブルドーザーのようないせえびに出会い、やがて海のすばらしさを知る。
スイミーの培った勇気は新たな仲間たちを呼び覚まし、
自分のみならず多くの仲間たちと共に世界を広げることになる。

ところで、
私はおじいちゃん先生のいるアトリエに通って二ヶ月になる。

はじめて電話をしたときはしどろもどろしてしまい、
はじめてアトリエに入ったときも誰の目からも明らかにおどおどしていた。

先生は小柄なおじいちゃんで、
壁にかかった抽象画のキャンバスと同じようなサイズ感だ。

「絵はね、楽しく描くことが一番大切ですから」
そう言って、講評も多くは語らず「非常にいいと思いますよ」で締めくくる。

畳の上での出来事

描くときに一人の世界に閉じこまってしまうのはいまも変わらないのだが、通っているうちにKさんという女性と仲良くなった。
Kさんがまたすてきな女性でKさんに会うことが楽しみの一つにもなっている。

はじめは一人で孤独でも、行く先々に人はいる。
新しい世界に、もっと飛び込みたい。

もっと晴れの日に、長靴を履きたい。

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