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祖父のセクハラ

海の温度を知りたくて、電車を乗り過ごした。
終着駅まで行くと、湘南の海がある。

日が落ちるまであと一時間ほどか、西日が全てを等しく刺している。

小さい頃、海で溺れたことがある。
祖父を追いかけて海に入ったら、私の体は海に逆さまにささった。

「なぁ、ラーメンと海の水、どっちがしょっぱいんか?」
救出された私は泣きじゃくって、落ち着くために海の家に入ってラーメンをすすった。
やや拗ねている私に、そう尋ねてきた祖父はニヤニヤと笑っていた。

当時の祖父は従姉妹のお姉ちゃんのお尻を触って「セクハラだよ!!」と怒られていたぐらいで(文面にすると最悪)、幼い孫への接し方はよく分からなかったのだろう。

痴呆がひどくなる前、祖父が成人した私を見て「いい女になったなぁ」とニヤニヤしていた。
受ける人によってはこれもセクハラかもしれない。

すでに亡くなったもう一人の祖父(記事参照)とは対照的に、平均寿命をとうに過ぎて生きているこの祖父と私の思い出はあまりに少ない。

祖父はもうセクハラもしないし、ニヤニヤと笑いもしない。
パーキンソン病になって、腰が曲がって、鬱病になって、入退院を繰り返して、夢遊病になって、いつも幻覚を目にうつしている。

祖母と母は介護に手を焼いていて、ショートステイやホームヘルパーにお世話になるだけではどうにもならず、祖父に老人ホームに入ってもらえないかと画策している。

祖母は介護疲れで精神をすり減らすも、祖父と離れることには素直に寂しさを吐露して泣いている。
母は親切心と嫌悪感の狭間で、かつての親を何もできない子供のように扱うことで自我を保っている。


たとえば、海で溺れて死んでしまうのと、
着実に死に向かいながらも死ねないまま自分も周囲もすり減らしていくのとどちらがマシなんだろうか。

祖父には生きていてほしいと思いながらも、自分に重ねるとそんなことを考えてしまう。

親がどちらも働いていた時期、眠りこけながら店番をする祖父と同じ空間で、カレンダーの裏紙に無心で絵を描いていたことも、祖父との思い出にカウントしていいだろうか。

そしたら、私はそこそこのおじちゃんっこになれる。
そしたら、きっと、祖父が生き長らえることをもっと素直に願える。

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