見出し画像

「なぜ美大に行きたいのか」

水彩画家の柴崎春通さんに、『木曜日の相談室』という企画でご相談にのっていただいた。

いつも拝見している柴崎さんに相談ができたなんて幸運で、柴崎さんの優しく穏やかな声で言葉たちが再生されて、いくら噛みしめても味がなくならないので、この言葉を肌身離さず持ち歩いている。

でも、再生される声音が優しかろうと柴崎さんの言葉は、重く心に刺さった。
絵を描くことと私の精神があまりに近くにありすぎるせいでもある。

心の整理も兼ねて「なぜ美大に行きたいか」と考えた過程を言葉にする。


「美大に通いたい」の真意

「美大に通いたい」というのは、編入も視野に入れた、四年制の美術大学に通いたいということだった。
柴崎さんの仰るように「思い立ったその日から最短で美大を目指す」のであれば、たとえば、通信制大学がある。
以前、私自身も検討したことがあった。

しかし、体系的に絵を学びたい、絵のことだけ考える時間がほしいと相談したように、働きながら二足のわらじで美大に通うことは自分の望みとは違った。

物心ついたときから絵画教室に通っていた。習い事で唯一楽しくて続けたかった。
学歴コンプの激しかった親は私を中学受験させるため、知らないうちに絵画教室は退会させられていた。

中学から美術部にでも入ればよかったものの、受験のために急激に増えた体重と丸い顔が嫌で嫌で運動部に入った。
でも、ノートにはいつも無尽に落書きが広がっていて、成績はひどいもので、美術と、スケッチが加点対象に入った生物の成績だけが良かった。

荒れた家庭で育ったせいなのか、なんとしてでも「ふつう」を手に入れたかった私は、早く家を出て独り立ちをすることしか考えなかった。

そして、経済的にも精神的にも独り立ちができたと思えるようになって、閉じ込めていた「絵を描きたい」という欲を、片隅に追いやっていたぼろぼろの宝箱からそっと取り出した。

美大に興味があるなら、なぜ美大に行きたいのかを自分の心に問うて、自分自身をしっかり追い込んで、そのうえで「美大に言って絵描きになるぜ!」と周りの人に宣言しちゃったほうがいいですね。

※記事内と太字の箇所が違います。

絵を描きたいという気持ちは確かにあるものの、
私には「なぜ美大に行きたいのかを自分の心に問う」ことが明らかに足りていない。
画家になりたい!プロの世界で勝負したい!といった意欲はあまりない。

それでも、たとえ両手が腐り落ちても、足や口を使ってでも、死ぬまで絵を描いていたいとも思う。

自分の内に、建築と絵画の結節点を探す

一番好きな建築

自分の心の内が不確定ながらも言えることは、美大に行きたいという願望は、今もずっと関わっている建築につながっている。

私はかねてから、建築が持つ芸術と技術のバランス感覚、
建築の寛容さとでもいうべきものを考えてきた。
未来に繋げられるのならば、これを形に残して、
幼い人の幸せに還元したいと思っている。

だから、画家に"だけ"なりたいのとは違う。

画家になりたいわけじゃない、と言い切れるほど単純な葛藤でもないのだが、ただ、欠けた穴は画家というピースだけでは埋まり切らない。

寺社仏閣を模写するのが好きで、どんな構造になっているのか調べるのが好きだ。
ありもしない空想上の建築を妄想するのが好きで、それが構造上問題ないかも検討したくなる。

美大の建築学科というのも選択肢にはあるが、私は建築家になりたいわけでもない。
マティスのように、晩年になって宗教建築を設計をするのも素敵だが。

自分が得意とする表現媒体の一つである絵の技術を高めて、建築の寛容さを喧伝する役に立たせたい。
役に立つはずだと考えているにすぎないのかもしれないが。

では、なぜ美大?
と考えると、まだ美大に対する解像度が低いことに気が付く。

母であっても、歳を取っていても、新しいことをやる

どちらにしても、みなこさんは現時点で美大への憧れが強いようなので、ぜひ行ってみたらどうでしょう。「40歳までには」とのことですが、もっと早く行けるなら、なるべく早く行ったほうがいいと思います。

柴崎さんに「40歳までに」と聞いてみたのは、明確に、子供をもつならという前提があったからだ。

結婚の予定もないのだが、子供を産むなら若いうちに、と決めている。
そこで、例えば30歳で子供ができたとして、小学校に入る頃には子育てが落ち着いているだろうと考えていた。

しかし、お子さんを持つ先輩からこんなお言葉をいただいた。

子育てに落ち着くタイミングってあるのかな、とも思うよ。小学校入っても不登校で悩んでる友達もいる。だからこそ、やってる人優先でママはこれしたいから君たちも協力したまえ~ってスタンスは大切だと思ってる」

現役ママさんのお言葉

己の浅慮を反省した。と、同時に鼓舞してもらった。
母親だから、この年齢だから、と自分で自分のやりたいことに蓋をするのはきっと違う。

思い出したのは、元NHKアナウンサーの島津有理子さんだ。
島津さんは44歳のときに、医師を目指して大学で勉強するためにNHKを退局した。きっかけは神谷美恵子さんの『生きがいについて』だった。
私にとっては大先輩でもあり、その選択に当時大きな驚きと感銘を受けた。

島津さんは2児の母でもあり、医学部に進むことを決めたとき、お子さんの一人は未就学児のはずだ。
自分の選択を受け入れてくれた家族へ、一番の感謝を述べていた。
社会人という同じフィールドに私も身を置いてから、
立場や役割に翻弄されず、新しい生きがいを求めて決断をした島津さんがさらに素晴らしいと感じられた。

読点を打つ

相談内容を柴崎さんに送って、回答をいただくまで2ヶ月弱あったのだが、その間に私は一つ選択をした。

来年から、私は働きながら専門学校に通う。建築の勉強をする。
美大は二足のわらじで通いたくないが、建築の勉強は(最悪の言い方をするが)二足のわらじレベルでいい。
これも私がやりたいと言い出したこととはいえ、会社の了承と周りの後押しがなければ叶わないことで、本当にありがたいことだ。

句点にはならなくとも、読点にはなりそうだ。

でも美大を諦めたわけでもない。
それに、私にとって絵を描くことと建築を学ぶことは表裏一体にあるようで、次の選択も絵を描くことにつながっている。

それでもやはり美大に行きたいのであれば、「鉄は熱いうちに打て」が大事だと思います。チェンジを恐れず、新たな句読点を打ってみてはどうでしょう?

半月ぶりに描けた絵

私を肯定してくれる人

今の時代は内面的、経済的に大変な人が増えているんじゃないかと心配になりますが、みなこさんは楽しく生活されているようで、本当に素晴らしいと思います。

正直、一番嬉しかったのはこの言葉だった。
今の自分の生き方を肯定してくれる人がいて、それが柴崎さんで、しかもこうして発信してくださった。
嬉しくてたまらない。

同時に、今回の記事を読んで、私の美大に行きたいという夢を一緒に真剣に考えてくれる人たちがいた。
まだ選択すらできていない私の将来を肯定してくれる人が近くにいてくれることが、何ものにも代えがたい幸せだ。

未熟な私の質問に、丁寧かつ真摯にお答えいただいた柴崎さん。
本当にありがとうございました。

心寄せるところがあれば、サポートをお待ちしています。 いただいたサポートは保護猫活動に充てます。