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オーロラに駆けるサムライ(8)-将来への可能性-

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<前回>捕鯨船に3年間80ドルで売られたジェームス、1892-1894年までの3年間極寒の北極圏での捕鯨船での生活を強いられた。人生初めて北極圏内で犬ぞり遠征隊に加わり、自分は人類がまだ経験していない冒険をしていることに気づいた彼は、今後自分の居場所して北極圏を意識するようになる。

<この章の下の方に、このストーリの背景を説明した動画があります>

北極圏とは?

リチャーズ島から戻ったジェームスは本来の仕事であるバラエナ号の調理室の料理人として腕を振るっていた。

「北極圏はどこからどこまでなんだ?」ある日の夜、ジェームスは考え事をしてた。

「キャプテン、我々は北極にいるのでしょうか?」と船長室へ夕食を運んでいる最中にジェームスが質問した。

「地球のてっぺんに位置する緯度90度にある北極点。その北極点を中心に緯度66度33分までの範囲が北極圏(the Arctic circle)だ。」とノーウッド船長が答え本棚へ向かった。

「これを見てみろ」

「この緯度66度33分の境界線は「極線」とも呼ばれ、北極圏の面積は約1,400㎢とかなり広大だ」と大きな地図を広げて指でなぞりながら説明してくれた。

「アメリカ、ロシア、カナダなどの大陸の一部も北極圏に含まれているが、その大部分は海。それ以外は、海氷で覆われていると言われている。」とも付け加えた。

「夏の平均気温が摂氏10度(華氏50度)以上に上がらない高緯度地域を北極圏と定義するものもいるが、我々が越冬しているハーシェル島やお前が遠征で行ったリチャーズ島はどちらも北極圏だ。

ジェームスは改めてノーウッド船長の博学さに感心した。今までは英語を教わっていたが、これから地理や計測量術も教わることになる。

北極圏とは

探検家よりも先に北極点(86°)へ

1893年10月付のサンフランシスコ・クロニクル紙は、バラエナ号と一緒にハーシェル島に越冬しているニューポート号が84°まで北上したと大々的に新聞一面に掲載している。

北極点に接近
ニューポート号は北緯84度に達した。
北極海における捕鯨線の3人によって達成された最高点。
サンフランシスコ・クロニクル誌(1893.10)

CLOSE TO THE POLE
The Steamer Newport Reaches 84 Degrees North Latitude.
Highest Point Ever Attained by 3Ian Experiences of the Whaling Fleet in the Arctic Ocean.  (San Francisco Chronicle)

1893年の冬は氷のない当たり年だったようだ。捕鯨船がクジラを追い求めながら、緯度84度に達するまで北に向かうことができたということだ。 

ハーシェル島は約69度50分北で、そこから更に北へ15度行くと84°になるが、これは1世紀に一度達成されるかされないかの幸運だったようだ。 

ニューポート号がハーシェル島のポーリン入江に入ってきた。立て続けに汽笛を鳴らしたかと思うと、甲板上のポーター船長と一緒にリチャーズ島へ遠征したトーマスが帽子を脱いで大きくこちらに向けて手を振っている。

ハーシェル&ポーリン入江

<ポーリン入江は三日月の形をした入江で、北極海から流れてくる流氷が入江に入らないような地形になっている>

「ノーウッド、ジェームスよく聞いてくれ!我々は、北極点に上陸寸前の84°までいったぞ。」とポーター船長が叫んでいる。

「こりゃ、大事件だ!」と皆が騒ぎ出した。

当時北極点(90°)から6度以内にいるという考えは、これまでで最も高いのは北緯83度で、1875年にナレスとスティーブンソンの英国探検隊がグリーンランド経由到達して以来であった。

これが前述のサンフランシスコ・クロニクル紙に掲載されることになる。

希望と可能性

「これは、もしかしたらワシでも北極へ行けるチャンスがあるかもしれんぞ」とジェームスはつぶやいた。

ジェームスは、この1892~1894年(17~19歳)の3年間北極圏での越冬の際に、イヌイットから犬の扱い方、防寒具としての毛皮の着用、そして雪質の見極めや、天候の観察、そして、ノーウッド船長から航海術や測量術を全て身に着けていくことになる。

<まとめ>捕鯨船に3年間80ドルで売られたジェームス、1892-1894年までの3年間極寒の北極圏での捕鯨船での生活を強いられた。人生初めて北極圏内で犬ぞり遠征隊に加わり、自分は人類がまだ経験していない冒険をしていることに気づいた彼は、今後自分の居場所して北極圏を意識するようになる

ーつづくー

<コラム>北極点を目指した冒険家達

北極への冒険家で最も有名な人物のひとりが1888年に初めてグリーンランド海域を航海したノルウェーの冒険家フリチョフ・ナンセンと言われています。彼は1893年に北極点へ向け遠征を開始したそうですが北極の苛烈な環境に対応することができず、北緯86度13.6分の北極点に到達する前に断念してしまったそうです。

同じくノルウェーのアムンゼンは、1905年8月ヨーア号でカナダの東からアラスカのボーフォート海に抜けることに成功し北西航路の通過に成功した。しかし、1909年4月に米国のロバート・ピアリーが北極を制覇したために、1911年に南極を制覇した。この時ジェームスの全米新聞に掲載された意見が全てを左右することになる。

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