Jujiro Wada

開拓時代のアラスカを舞台にした明治の侍「ジェームス・和田重次郎」の波乱万丈な生涯  h…

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開拓時代のアラスカを舞台にした明治の侍「ジェームス・和田重次郎」の波乱万丈な生涯  https://wadajujiro.com/

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  • コラム

    「オーロラに駆けるサムライ」の内容をサポートするようなコラムを掲載しています。

  • オーロラに駆けたサムライ

    日系1世のジェームスは明治から昭和にかけて、極寒マイナス60℃の北極圏で活躍した犬ぞり使いでもあり、鉱山師でもあります。彼の偉業は現在のアラスカやカナダでも脈々と語りつがれています。

  • 子孫たちの物語ージェームス・和田の日米の子供たちー

    連載中の「オーロラに駆けるサムライ」の主人公ジェームス・和田は明治から昭和にかけて、極寒マイナス60℃の北極圏で活躍した犬ぞり使いでもあり、鉱山師でもあります。彼の偉業は現在のアラスカやカナダでも脈々と語りつがれています。彼には一人娘がおり現在100人の子孫を残しております。https://note.com/wadajujiro

最近の記事

トランプ大統領とクロンダイク・ゴールドラッシュ

フレデリック・トランプフレデリック・トランプは、ドイツ系アメリカ人の実業家。ドイツ・ラインラント・プファルツ州のカルシュタットで生まれたフレデリックは、16歳でアメリカに移住し、理容師として働き始めた。数年後の1891年、彼は北西部に移り住み、その後カナダでレストランを経営して財を成しアメリカに戻り、1892年に米国市民となった。 そのご、ニューヨークのクイーンズで不動産取得を始めた。フレデリック・C・トランプ氏とジョン・G・トランプ氏の父であり、第45代アメリカ大統領ドナ

    • ジョン・ウェイン映画にもなったノーム・ゴールドラッシュ

      ノームの町が築かれた場所に都市を建設する理由など、 唯一の理由を除いて全くあり得なかった。 それは金を見つけること   (アラスカの伝道師、ハドソン・スタック大執事) アラスカ・カナダでは、1880年から第一次大戦がはじまる1914年までの約35年間で30か所以上のゴールドラッシュが起こりました。No.1 はクロンダイク・ゴールドラッシュ、No.2は、フェアバンクスのゴールドラッシュ、No.3がノームと言われている。 アラスカ州ノームという町ノームは、北米で最も北西にあ

      • クロンダイク・ゴールドラッシュ(12)

        再びアラスカへ日本から戻ったジェームス和田は早速アラスカに戻ることにした。がしかし、かれは船に乗り北極圏で生活をしていたため、ある意味、運よくこのゴールドラッシュに引っ掛からずに、自分の業をバロー、ハーシェル等で磨いた。 米国50州の中でラスト・フロンティア(The Last Frontier)の愛称で知られるアラスカ州は北側が北極圏のエリアにまたがっている。 この愛称からわかるように州内全域にわたって手つかずの自然が残り、そこには多くの野生生物が暮らしている。アラスカの

        • THE MALAMUTE

          アラスカウィークリーの記者、フランク・コッターはジェームス・和田重次郎に関しての詩を書いている。そこで、和田がマラミュート(アメリカン・ハスキー犬)にそりを引かせて、アラスカ・フェアバンクスに入った状況を書いている。 マラミュート最初の犬がアメリカ大陸に到着したのは12,000年前とされているが、北極圏に人と犬が定住したのは4,500年前の古エスキモー人、次いで1,000年前のチュール人であり、いずれもシベリアが起源である[2]。 マラミュートはアラスカのノートン・サウンド

        トランプ大統領とクロンダイク・ゴールドラッシュ

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          2本
        • オーロラに駆けたサムライ
          13本
        • 子孫たちの物語ージェームス・和田の日米の子供たちー
          4本

        記事

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫たち(4)次男:発明家のハリー

          マガジン連載中「オーロラに駆けるサムライ」の主人公「ジェームス・和田重次郎」は、明治から昭和にかけて、17歳で渡米し極寒マイナス60℃のアラスカ・カナダで活躍した「犬ぞり使いの神様」とよばれた、また全米に名をとどろかせた鉱山師でもある。 彼の偉業は現在のアメリカ・アラスカ州やカナダのユーコン準州でも脈々と語りつがれており2016年にアラスカ州セワード市に彼の銅像が建てられた。ジェームス・和田には一人娘がおり現在100人の子孫を残している。  -語り手:マイケル・オヘア(ヘ

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫たち(4)次男:発明家のハリー

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫たち(3)長男 料理人エドワード

          マガジン連載中「オーロラに駆けるサムライ」の主人公「ジェームス・和田重次郎」は、明治から昭和にかけて、17歳で渡米し極寒マイナス60℃のアラスカ・カナダで活躍した「犬ぞり使いの神様」とよばれた、また全米に名をとどろかせた鉱山師でもある。 彼の偉業は現在のアメリカ・アラスカ州やカナダのユーコン準州でも脈々と語りつがれており2016年にアラスカ州セワード市に彼の銅像が建てられた。ジェームス・和田には一人娘がおり現在100人の子孫を残している。  -語り手:マイケル・オヘア(ヘ

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫たち(3)長男 料理人エドワード

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫たち(2) 一1人娘ヘレンー

          連載中「オーロラに駆けるサムライ」の主人公「ジェームス・和田重次郎」は、明治から昭和にかけて、極寒マイナス60℃のアラスカ・カナダで活躍した犬ぞり使いでもあり、鉱山師でもある。彼の偉業は現在のアメリカ・アラスカ州やカナダのユーコン準州でも脈々と語りつがれている。ジェームス・和田には一人娘がおり現在100人の子孫を米国カリフォルニアに残している。 重次郎の一人娘 ーヘレン・和田・シルベイラー私 マイケル・オヘア(Michael O'Hare)は1953年に生まれ、12歳の時に

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫たち(2) 一1人娘ヘレンー

          オーロラに駆けるサムライ(11)サヨナラ日本

          4年ぶりの日本へこの年の8月、日本郵船のシアトル航路が初めて開かれた記念すべき年である。ジェームスはこのニュースに接して、日本への帰国を決めたのだろう。 ジェームスは幼い頃に、愛媛県にあった製紙会社に丁稚奉公していたことがある。そこは、いとこの戸田金兵衛が同様に働いていた。ジェームスが日本に帰国したときの記録を、金兵衛が書き残しており、日記(金兵衛覚書:きんべい・おぼえがき)にはこう書かれている。 「帰国は明治29年でした。3か月位滞在して再渡米した訳です」によって確

          オーロラに駆けるサムライ(11)サヨナラ日本

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫(1)1通の手紙

          日本から受け継いだもの連載中「オーロラに駆けるサムライ」の主人公「ジェームス・和田重次郎」は、明治から昭和にかけて、極寒マイナス60℃のアラスカ・カナダで活躍した犬ぞり使いでもあり、鉱山師でもある。 彼の偉業は現在のアメリカ・アラスカ州やカナダのユーコン準州でも脈々と語りつがれている。ジェームス・和田には一人娘がおり現在100人の子孫を残している。 一通のメール「はじめまして。私はミネソタ州在住の歴史研究家のケーガンともうします。サンフランシスコで人を探しております。名前

          ジェームス・和田重次郎と100人の米国の子孫(1)1通の手紙

          オーロラに駆けるサムライ(9)捕鯨船とパンデミックウイルス

          (前回)捕鯨船に3年間80ドルで売られたジェームス、1892からの3年間極寒の北極圏での捕鯨船での生活を強いられた。北極圏内で犬ぞり遠征隊を経験し大きく成長する。同僚達からきいた北極点への到達の一番乗りの可能性を胸に秘めた彼の将来は? アラスカ沖バローへハーシェル島は、6月に昇った太陽が7月までは沈むことがない白夜がつづく。 長期間の越冬を終えたジェームス・和田を乗せたバラエナ号は午前2時か3時に出発するつもりだったが、天候は好ましくない。風が強くなり、霧がでた。雪が降

          オーロラに駆けるサムライ(9)捕鯨船とパンデミックウイルス

          オーロラに駆けるサムライ(8)-将来への可能性-

          <前回>捕鯨船に3年間80ドルで売られたジェームス、1892-1894年までの3年間極寒の北極圏での捕鯨船での生活を強いられた。人生初めて北極圏内で犬ぞり遠征隊に加わり、自分は人類がまだ経験していない冒険をしていることに気づいた彼は、今後自分の居場所して北極圏を意識するようになる。 <この章の下の方に、このストーリの背景を説明した動画があります> 北極圏とは?リチャーズ島から戻ったジェームスは本来の仕事であるバラエナ号の調理室の料理人として腕を振るっていた。 「北極

          オーロラに駆けるサムライ(8)-将来への可能性-

          オーロラに駆けるサムライ(7)北極圏でも凍らない港

          (前回)捕鯨船に3年間80ドルで売られたジェームス、3年間極寒の北極圏での捕鯨船での生活を強いられた。人生初めて北極圏内で犬ぞり遠征隊に加わり往復600kmを駆けぬけ無事出発点のハーシェル島(冬でも凍らない港)へ戻ることができた。 <この章の下の方に、このストーリの背景を説明した動画があります> Shingle Pointでの代替燃料リチャーズ島(Richards Island)を後にしたジェームス一行は、ハーシェル島まであと100kmのShingle pointsま

          オーロラに駆けるサムライ(7)北極圏でも凍らない港

          オーロラに駆けるサムライ(6)マイナス50℃の中を300km走る

          <前回>人生初めて北極圏内の犬ぞり遠征隊に加わり片道300kmを駆けぬける。-50℃の行程をリチャーズ島に到着したのもつかの間、食料を調達したらすぐにハーシェル島へ引き返すことになった。 リチャーズ島 リチャーズ島の入り口になるトゥクトヤクトゥク(Tuktoyaktuk)についたジェームスたちはまずテントをはった。 5日前に持ってきた食料は底をつきかけていた。今持っているものは、タンの缶詰一缶、ベーコンの小片、乾燥したスープ少し、そして雷鳥一匹だ。 翌朝7時起床。朝

          オーロラに駆けるサムライ(6)マイナス50℃の中を300km走る

          オーロラに駆けるサムライ(5)日本 人が行ったこともない未開の地

          (前回)人生初めて北極圏内の犬ぞり遠征隊に加わり片道300kmを駆けぬける。初めてのオーロラを体験し、新たなる希望を見つけた17歳のジェームス・和田。ここから北極圏の本当の厳しさを思い知ることになる。 永久凍土をひたすら前に進む翌日Shingle pointを出立した犬ぞり隊は、100㎞先のアクラヴィック(Aklavik)へ向かった。 アクラビクは年間降雨量150ミリ以下の乾燥気候で、北極圏の北にあり永久凍土帯である。 深く浸食された入り江とゆるやかにうねる丘が連な

          オーロラに駆けるサムライ(5)日本 人が行ったこともない未開の地

          オーロラに駆けるサムライ(4)犬ぞりでの初遠征

          (前回)捕鯨船に3年間80ドルで売られた17歳の少年ジェームス、3年間極寒の北極圏での捕鯨船での生活を強いられた。人生初めて北極圏内で犬ぞり遠征隊に加わり片道300kmを駆けぬける。どんな困難が彼をまちうけるのだろうか? どんな人間でも犬と友達になることができるが、協調関係を築くには長い時間がかかり、互いに信頼しあい、互いに寛容であり、互いを認め合う必要がある。全ての犬が人間の仲間に向いているわけではない。また、全ての人間が犬の仲間としてふさわしいわけでもないだろう。(

          オーロラに駆けるサムライ(4)犬ぞりでの初遠征

          オーロラに駆けるサムライ(3)初めての北極圏

          (前回)捕鯨船に3年間80ドルで売られた17歳の少年ジェームス・和田、3年間極寒の北極圏での捕鯨船での生活を強いられた。荒くれ者の白人と、エスキモーとの間で自分は日本人であることを再確認させられることに・・・。 捕鯨時期の北極圏1892年4月末、ジェームスを乗せた捕鯨船バラエナ号は、サンフランシスコをたってから24日目に、アメリカのバローに到着した。4月から9月末までは捕鯨のシーズンだ。今年は豊漁らしく、10月までの間に45頭ものクジラが捕獲できた。 海が氷で覆われる

          オーロラに駆けるサムライ(3)初めての北極圏