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エッセイ/なんか不安だよね

僕はときどき、大きな不安に丸呑みされる。
仕事はうまくやれるかな。
天気がどんよりしているな。
身体が思うようにいかないな。
先々の将来がわからない。
別に不安な事案はないけどなんか漠然と不安だな。

など不安のもとを辿ればキリがない。
心と脳と身体が違う意見を言ってくる。頑張りたいけど身体が重い。心が重たいけど仕事の時間だ。根性ひとつで乗り越えなきゃ。
などといった訴えが僕の元に大きな荷物として届く。
朝から夜から昼間から、時間指定などない大荷物。

僕はこういった場合、脳の意見がいちばん邪魔だと感じる。
仕事に行かなきゃ。学校に行かなきゃ。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ。
これは自分自身と現実を照合した際に、より現実思考で真面目な脳の回路。
心と身体が乗り気じゃないのに脳が考えることは、目の前のやらなきゃいけないことに対する対処法が多いから、不安なんかで仕事や授業に穴はあけられない。上司や先生にはなんて言おう。こういった目の前の現実と対峙するのが、僕の脳が真っ先に考えること。

これは心と身体が感じる不安に拍車をかけてくる厄介もの。心が脳に煽られる感覚はせかすように、前へ進めと大きな音量で出囃子をかけてくる。

そうすると心や身体がテンパっていくのは当たり前のこと。
すぐにでもこの出囃子を止めて、舞台の袖にはけていきたい。この状況で立った舞台ではきっといいパフォーマンスはできないからね。

だから心や身体の意見に耳を傾ける。
身体の意見は結構無意識に放たれる。
いちばん声の小さな意見。
体調不良って、真面目な人ほどどうにか乗り越えようと無意識に踏ん張るから、自分では気づかないこともある。
風邪薬のコマーシャルで「絶対に休めないあなたへ」と言ったセリフが身体の意見を脳が食べた瞬間かも。
幸い、僕の身体は素直にできてるので、わかりやすいSOSを出してくれるが、このSOSに気づかないとより深みにはまるのだろう。

心の意見がいちばん素直に向き合うべき事柄だ。
心の意見を聞かないふりは危ない橋を渡るのと同義語。
強靭なメンタルの持ち主ならば、心の意見と堂々に対話できるが、僕のようにそれを持ち合わせていない場合は、心が不安というならば、ますはその意見に寄り添うのがいちばんいい順番だと思う。

無理をすると身体や心がぺったんこになってしまうから、心をいたわったら、身体がだんだんと楽になってくる。その後に脳の意見と対峙すればいい。
逃げるが恥だが役に立つって感じ。

でもここで大きな矛盾にぶつかる。
心の意見を他人に伝える際に、大きな負荷が心に掛かってくるということ。
心を守る為には、心の声の一片や休息したい意思だけでも誰かと共有しなきゃならないということ。
例えば、不安で布団から出れない。どうしよう仕事に行かなきゃ。でもとてもじゃないけど重たいよ。

これを会社や学校に伝えなきゃ、休暇はとれない。
病院の診断書などの可視化ができるものがあればそれは最良なのだが、そういったケースばかりでもない。

詳細は言わずとも体調不良ということだけでも、
もっといえば私情とだけでも他者に伝えることができれば、これは大きな一歩だとおもう。これができれば大躍進。
なにも考えず縛られずに眠って、じっくり温存してほしい。

大概はチームワークという名のもとに日常がある。
こういった場合、誰かのSOSに寛容にならなければならい。SOSにもいろんな形があると思うが、僕も不安や疲労などの経験を活かし、誰かの出すSOSに気づいてあげれる人間になりたいものだ。


みんなも、ゆっくり休んで。生き急がないでね。




【浜辺にて】
やってくる波音は規則的。
私の心の浜辺に寄せる、私の波とはリズムが違う。
人それぞれに打ち寄せる波は、みんなそれぞれ大小違がう間隔で。自分や周りの胸奥に耳を当てては色違いの音色の波を感じて頷く。
まもりたいのは浜辺にて。

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