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Letter to you -買ってくれたあなたへ-

私は吹きガラスでうつわなどを作り、作家として生計を立て…いや、生計を立てようと奮闘中です。
展示会やイベントのたびにドキドキしながら作品に値札を貼っています。作品が綺麗に見えるように精一杯たくさん並べて…私の作るものに、どれほどの価値があるのだろう?そう不安に思う気持ちはなかなかなくなりません。
それでも、この手でゼロから生みだした作品たちを、心から愛おしく思っています。
この道に進むと決めて、父に言われた印象的な言葉があります。

「作品ではなくて、人間性を買ってもらえるような作家に」

作品と向き合っている時間、努力したこと、工夫したこと、私が作ったということに、価値を見出してもらえるようにと。

自分にも作品にも自信はない。迷ったりくじけたり、上手くいかないこともたくさんあります。それでもガラスが好きで、作ることが好きでここまできたということは胸を張ってみようとようやく最近思えるようになりました。
それは、いつも支えてくれる周りの人やこれまでに作品を買ってくれた、見てくれた全ての人のおかげです。
今回は、"買ってくれたあなたへ"というテーマに寄せて私自身のルーツをはじめ、制作を通した出会いや学んだことなどを自伝的に綴ってみることにしました。テーマからは少しかけ離れた部分もあるかと思いますが、お付き合い頂けますと幸いです。


理想と現実 -美術の扉をたたいた言葉-

小さい頃から絵を描くのことが好きでした。好きな教科は図工・国語・体育。夏休みの宿題のポスターは、大体なにかの賞をもらっていました。勉強もスポーツも得意なほうだったので、中学校まではするすると何事も上手くいっていました。

とはいえ、小さな田舎の村の小~中学校で育ったので、狭い世界の中では何事も無難にこなしてしまえたという感じ。ものすごく打ち込むこともなく、必死になるまでもなく過ごしてしまいました。                      

Minogawa-River,Hyogo

高校は、ガタゴトと電車にゆられて15分、隣町の進学校に入学しました。私は思い切って強豪と名高い空手部に入ってバリバリ体育会系の毎日を過ごしていました。空手部で経験したことは、本当に人生の中で忘れられないことばかりです。とてつもなく高い壁にぶつかった経験が、その後の底力になったことは間違いありません。

部活一色の日々は目まぐるしく過ぎ、あっという間に高2の冬。進路調査が始まり、私は途方に暮れていました。将来について考えることもたまにはあったかも知れないけれど、当時の進学先に美術系という選択肢は全くありませんでした。空手部だし。
そんなとき、美術の授業でお世話になっていた先生が、「美大っていう選択肢もあるんじゃない?」と、さらりと言って下さったのです。
それは、先生にとってはきっと半分冗談だったのかもしれません。だけど私は、その言葉で美大受験を決めてしまいました。

こうして書くと、あまりに突拍子のない話のように聞こえますが、私はやっぱり美術が一番好きでした。だから、先生の一言がカチッとはまったような気がして、自分の好きなことを選んでいいんだ!と、とてもワクワクしたのを鮮明に覚えています。
しかし、理想と現実の差はあまりにも遠いものでした。「美大なんて今から受かる訳がない」と、友人に言われました。本当にその通りだ、でもやるしかない。…めちゃくちゃ悔しくて、両親に相談して神戸の予備校に通わせてもらい、必死になって絵を描きました。

Kobe-City,Hyogo

放課後にクラスメイトが受験に向けての補習を受けるのを横目に、私は電車で1時間かけて神戸へ。デッサンなどを始めたのが高3の夏と圧倒的に時間がない中での受験でした。他の美大受験者に大きく遅れをとっている対策として、センター試験で点を稼ごうと思っていましたので勉強もしなければならない!電車の中でおにぎり片手に参考書を開き、眠気と戦いながら勉強していました。

実技の予備校では受験に合わせたデッサン・水彩画・アクリル画・立体造形を教えてもらいました。主に神戸の高校に通う個性的な同級生、浪人生と友達になり、早めの大学ライフのようでとても楽しかったです。
平日は18:00~20:00まで制作、講評、帰路。帰宅は22:00ごろ。休日は昼から休憩を挟みつつ夜まで制作。ひたすら絵を描く生活を約半年続けました。しんどっ…

そして。関西の公立2校・関東の私立2校国立1校の工芸科を受験し、関西の公立1校に合格、関東の私立1校に補欠合格!
ここで決め手となったのがガラス専攻があるかどうかでした。受験すると決意してから大学を調べ、ガラス工芸に憧れるようになっていました。ガラス専攻があるのは関東の私立…

東京に引越したあと、あの時「受かるわけがない」と言った友人から、「本当に受かったんだ、おめでとう」というメールが届いていました。私が意地を張ってすこし疎遠になっていたけれど、その言葉は何度も心に響きました。

作る理由 -この時代に届ける言葉-

私が4年間通った武蔵野美術大学の卒業制作展は、学内にすべての学科の作品が一斉に展示される学内展・工芸工業デザイン学科としての学外展・ガラス教育機関としての全国合同展、という3つの期間で作品を展示させてもらうことが出来ました。

 Musashino Art University,Tokyo

2011年3月11日、ちょうど最後の合同展の会期中に震災が起きました。激しい揺れを感じ、「卒制は割れてしまったかも…!」と、一瞬考えたもののそれどころではない状況になっていきました。

後に分かったことですが、展示中だった私たち武蔵美の作品は震災の大きな揺れの中、奇跡的に全て無事でした。

卒制は作品だけでなく展示台も自分たちで自作するのですが、多くの方に長い期間見てもらうために作品より展示台をしっかり重くする等、安全面の基準を満たすものでなければなりませんでした。
あの揺れにも耐えたなんて、正直とても驚きました。研究室の助手さんや先生方にご指導を頂いたおかげだったと実感しました。

震災の影響は、私たちの生活の中に広がっていきました。卒業式や謝恩会はなくなり、
計画停電などで混乱する東京から逃れるように、富山の学校に進学するため、私は引越さなければなりませんでした。
こんな時に、美術なんて勉強してていいのだろうか?と、後ろめたい気持ちになっていたことを覚えています。

ガラスを作るためには工房が要って、窯が要って、ガラスを熔かすためにはガスや電気が大量に要る。心を豊かにするためかなんだか知らないけど、今の時代に美術作品を作ることは間違っているんじゃないか?と…。

 Musashino Art University,Tokyo

富山には震災の影響はほとんどなく、北陸の雄大な自然にただただ圧倒され、心が癒されていくのを感じましたが…私の作品は世の中でどんな役割を果たすのか、という疑問はもやもやと残ったままです。
新しい友人たちは年齢や経歴もさまざまで、助手さんや先生方も作家として日々制作に取り組んでおられ、制作や将来のことなどをたくさん話しました。
富山で制作するうちに、工房で働きながら制作を続けていきたいという将来のビジョンがだんだんと明確になってきました。

在学中、大阪にある吹きガラス工房 "fresco(フレスコ)" さんにてインターンとして働かせて頂いたことがあります。仕事として工房の製品を作ること、スタッフとして働くことを経験させて頂きました。
過去にも、オーナーの辻野さんの主催するワークショップに参加したことがきっかけで、度々お世話になっていた工房です。
辻野さんの作品はもちろん素敵なのですが、アートとしてだけではなく、世の中のためのデザインとしてのガラス在り方、考え方が素晴らしいと感じていました。

ある時、「人間はお互いにコミュニケーションをとるために言葉が必要で
アートも言葉にかわるコミュニケーションツールだ」(※記憶の中で私なりに解釈しています)…とお話されていたのを聞いた時、ずっと心の片隅にあったもやもやがすーっとなくなっていくのを感じました。
世の中の役割とか誰かのためにとか、そんな大それたことじゃなくていいんだ。
私の言葉として、私に届く範囲から伝えていきたいと作ることにもっとひたむきになれるような気がしました。

Glass Studio fresco,Osaka

不思議な素材 -流れるガラスが発する言葉-

スカイツリーが見える街に来て、ひたすらガラスと向き合ってきました。作品を手に取って頂いたり購入して頂いたりすることもずいぶんと多くなりました。
展示会ではひとつひとつじっくりと選んで下さる方がとても多くて、そんな方に出会う度にもっと良いものを作りたいと強く思います。
しかし、全てが完璧な状態にはならないということも少しだけ知っておいて頂きたいのです。

制作における失敗やトラブルは今でもたくさんあります。技術不足、知識不足、ときには天気のせいかも…なんてことも。夏場の熱さにはいつまでたっても慣れません…。
きれいなガラスを維持することはとても大変なことで、ガラスの配合や熔解温度、坩堝の状態など様々な条件をクリアしないと理想のガラスにはなりません。私は工房を借りて制作しているだけですので、ガラスの管理は工房のオーナーさまに委ねることしか出来ません。日々、オーナーさまが寝る間も惜しんできれいなガラスを維持して下さっています。

吹きガラスは、とても繊細な技法です。あらゆることに気を配り、集中しながら制作しています。それでも重要なのは、いかにリラックスして作業するかということなのではないかと思います。ガラスが自然になりたい形に、少しだけ手を添えてあげるのがちょうどいい、と聞いたことがあります。

流れるような、不思議な素材の声を聞くこと。そんな風に、ガラスと関わっていきたい。

私は自分の作品の良いところばかりではなく、ちょっといまいちな部分も見てもらいたいなと思います。私自身、完璧な人間ではないから。

Portrait,2018

最後に、これまでに作品を買って下さった全ての皆様へ。いつもその時の精一杯を込めて制作しています。
あなたの暮らしに優しく馴染むような作品になっていきますように。

展示会などでお会い出来ました際には、ぜひどのようにお使い頂いているかをお聞かせください。

※2023.9.20 加筆・修正して投稿しました。

最後まで読んで下さりありがとうございます。 これからも応援よろしくお願い致します。