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執着より変態

どうも
わーさんです。

今回は「縛り」をテーマに考えていきます。

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「執着」は自分を苦しめてしまう感じがする

執着という言葉は個人的にはあまり好きではない言葉です。

なんかイメージが悪い感じがしてしまう。自分を苦しめている感じがしています。過去のことに気を取られ、引きづられてしまい、今の自分を大切にすることができない。過去を否定することができないままの自分でいる気がしてしまいます。

何かをするときに自分を縛り付けて、そのことに集中させるという印象で使うことがあるため、なんか良いイメージが湧いてこないのかもしれません。

それを使うのであれば、個人的には「変態」の方がいいのかと思っています。


「変態」の方が自由度がある

変態自体もいい言葉かどうかは分かりません。

印象としては性的な部分もあるため、人によってはいいイメージではないかもしれないです。

ただ、「変態」という言葉も使い所によれば、何かに集中しているイメージがしています。誰もが飽きてしまうことでもずっとやっている。機械のように朝から晩まで何かをずっとやっている。ある意味それをすることが快感になっている。

そこまでくれば「変態」だなと思えてくるかもしれません。

個人的にはこちらの方が自由度があっていいのかなと思っています。


縛り方を考える必要がある

自分自身を何かに集中させるために、意識的に縛りつける方法は色々とあり、人それぞれやり方が異なってくると思います。完全に外の環境を遮断する人もいれば、ある程度、自由度を持つ人もいると思います。

ただ「これはこうしなければダメ」と言ったような執着は最終的に自分を苦しめてしまう結果になる可能性があります。その要因となるのが「自分の発言」だと思います。

自分がした発言に執着しすぎる結果、その事実を変えたくても変えることができない現実に遭遇してしまって、無理に変な方向に歩き出してしまう。そのような可能性があるのです。

そのため、無理に過去に起きたことに対して執着しない方が自由に生きることができて楽だと考えています。

その分、変態的な要素だと、自分を縛りつけているわけではなく、ある意味、自然に自由にやっているところがいい。性的な変態要素はまた別問題ですが、好きなこと、考え方に対する変態的な要素は執着を前提にした考えよりは生きやすいのかと考えています。


自由に追い込むことができることが向いている

人の感覚というのは、十人十色でそれぞれ違います。

そのため、同じ意見になることもあれば、違うこともあります。

ただ、自分を縛って何かをするようになったとしても、過去のことに囚われすぎないことが大切だと思います。無理に意地を張らないこと。

過去のことは過去のことなので、現在を歩いて見た時に、景色が違って見えたら変更してもいい。無理に過去の自分の発言などに執着しなくていいと思います。

そのように考える。やっぱり自由にしている方が生きやすいと私は考えています。

変態的要素という言葉の使い方はあっていないと思いますが、感覚として、執着して自分を苦しめるよりは、自由度を持って自分を縛った方がいいというイメージを持ってもらえれば嬉しいです。




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