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だらっとした感じで”時代に争う”

嫌な緊張感しかない世の中

今の世の中は正直、私にとっては好ましくない。

なんか疲れる。
なんかピリついている。

世の中がはっきり良くなるような成長はないが、ある程度のものは頑張れば手に入る。

1日でそれなりのお金を使うこともできるし、寝るところもある。

だけど、心は満たされない。

それは、輝く人の活躍が情報を通じてすぐに入ってくるため、自分も輝く人になりたいと思ったりして行動するが、そんな簡単には輝くのような人になることができないと気がつくと、気持ちが萎えてしまい、どうでもよくなってしまう。

その「どうでもいい」という気持ちが集まってしまうと、嫌な緊張感しかない社会が作り上げられてしまうのではないかと思っていますし、実際はそうなっています。

つまり「どうにかしないと自分の生活は良くならない」という社会の価値観に押されてしまって、結果的に気持ちを悪化させてしまっている。

それなら、時代に争って「だらっと」してみる。

その方が心にとっては健全だと私は思っていますし、その方が良いアイデアが想像できるのではないかと思っています。


だらっとした人間が増殖する世界でもいい

だらっとした人ばかり増えると、誰も何もしなくなると考えるかも知れません。よく議論になるベーシックインカムとかがそうですね。

例えば、政府が全国民に一定金額を支給すると、それだけで生活を賄えるようになれば、仕事をしなくなる人が増殖することを懸念する考えがあったりするかも知れません。

確かに、それで生活が賄えるのであれば、無理に仕事をしない人は増えるかも知れないですが、それ以上に仕事をする人は仕事をする。

それは、緊張感の中に自分を置いておきたい人もいるからです。
そのため、仮に政府が支給してくれたとしても、それ以上にお金を稼ぐ人もいる。

その反対に、だらっとする人もいる。

そのような時代が作り上げられてもいいのではないかと考えています。

なので、社会の価値観が自分にとってつらいのであれば、だらっとした人生を過ごすのでもいい。

その方が、自分にとって、本当の幸せを理解するきっかけになったり、そこから仕事をしたいと思えば、仕事をすればいいと思います。

そう言った意味も込めた「だらっと」です。


最先端を意識しないで生きてみる

これは人によって意見が変わってきてもいい部分だと思いますが、私はなんか”最先端”という言葉を無理に意識することはやめようと思います。

それは、自分にとって「必要な最先端」「そうではない最先端」が混ざってしまっていて、混乱を起こす要因になることがあるからです。

私に必要な最先端はApple製品くらいでいいです(笑)

時代の最先端とかわかりませんし、無理に追いかけるのは疲れた。
元々、興味もなかったことを無理にやっていたのかも知れません。

それによって、先行者優位からは離脱するかも知れないですが、別にそれが全てではないし、あのGoogleも先行してあった企業ではない。

後発でも、起点と思いつきと情熱によって、新しい風を吹かすことができると思っておけば、何も気にすることはないと考えています。

なので、「時代がこうだから」とかと言った、外側のザワザワに関しては、自分もそれによって心が動いたことだけをやる。

心に響かなかったら、無理にやらなくてもいい。

そういった意味で、だらっと時代に争ってみようと思いました。


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