致死量100%の世界
久しぶりに東京に冷たい雨が降っていた。
ご飯を作って食べていた、ああおいしいなあと思った。
生きてるな~~幸せだな~。
一口運ぶたびに、
誰かに認められたい、という欲がどんどんなくなっていく。
私の命も、絵も、私のもの。
みんな、いずれは死ぬよ。
周りと同じことができない。
何度も生きることが辛くなった
作品を作っては生きている現実から逃避
私にとっての作品制作はいつしか楽しさではなくて、排泄で
今まで誰かに認められたくて、作品を作っていました。
すごいね と言われたかったのだろう。
そして2019年初個展後、制作する意味と意義を見失った。
何も作れない。
こんなもの作っても、生きていけないじゃないか!
いろんな価値観にがんじがらめになって身動きが取れなくなってきていた。
私の絵は一体なんのために存在しているのだろう?
私の存在もなんのために?
誰かに認められたいなんて傲慢じゃないか
そして毎日を振り返ってみた。
ご飯を食べられてる とか
今日はすごく天気が良くて気持ちがいいな とか
あの花が咲いたから、もうすぐ冬が終わる とか
そんな毎日を尊く感じた。
ああ、これが生きているということか。
絵なんて描けなくても、生きているということに気付いた。
周りに馴染めなくても生きている。
描いても、描かなくても私の価値は変わらない。
描きたければ描く、作りたくなければ作らない
そんな簡単な事だったんだ。
自分で自分を認めて、
絵を描いてる自分も、描いていない自分も認めることが出来るようになると
誰かからの評価なんてなくても生きていけることに気が付いた。
そして絵を描くことも、楽しく取り組めばいい
楽しく取り組んだ先に、作品を迎えてくれた方々を幸せにしたり
救ってあげられたら、私はもっと幸せだ。
自分の余裕がない時に、誰かを救おうとすると共倒れしてしまう。
救う時は自分にも余裕があって、救える体力がある時
今いる人間は100年後には ほぼ死んでいます。
こうやって悩み生きている私も100%死ぬ。
出会える人は限られている。
何を考えるかも、話すかも、限られている。
泣くも笑うも、いつかは死ぬよ
明日も素敵に生きようね。
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