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プロでありたい。

幼い頃から憧れる職業はいつだって
“職人”と称されるようなものばかりだった。

覚えている1番最初の夢はパティシエ。
その次はバリスタ。

食で人を笑顔にできる職は,いつだって輝いて見えた。


置かれた環境から次々に影響を受けて,
言葉を重んじる文化を担う人でありたいと思うようになった。
言葉が集約された媒体によって,
同じ場を共有せずとも時に人を励ますことさえできてしまう書籍を扱う,
出版関係や図書館に関する職に興味を抱いた。

また,言葉の営みそのものを希求して言語学にのめり込んでいった。

なりたい職業は,学校司書…校閲職…研究者…校閲職…と
変遷を辿った。

なりたい職に就くためなら,
少しでも近づける資格が得られるのならば,という一心で
世間に言われる大学生活よりも遥かに多忙な日々を過ごした。


資格に必要な講義は,卒業単位にはなってくれない。
長期休暇に必須科目の講義が詰め込まれることも多かった。
講義の合間をぬって実習に行く必要もあった。

振り返って考えてみると凄まじい日々だった。

それらを苦と思わないで乗り越えられるくらいに同志に恵まれ,
エネルギッシュで充実した日々を過ごした。
思い出せるのは,ただ心地よい疲労だけ。

憧れの職業というのは,
大学生活を捧げられるくらい,
叶えるための努力のためにいくらも力が湧いてくるような
懸命になれる原動力だった。

就活を経て,私は社会人になった。


私は今,ただの会社員だ。

もっている資格を生かした枠で採用された訳でもなく,
ただの事務職として働いている。

就活中に倒れた。
その時にかかった病院で,何年も理由の分からなかった
体調不良の原因が難病だったとついに分かった。

ずっと不明だった原因が明らかになった安堵と同時に,
今後の生き方への凄まじい不安が押し寄せた。

体の不調に打ち勝ち続け生計を立てていく,
その自信を漲らせられるほど私は強くなかった。


元々目指していた職業のサポートを行う部署を有する
企業への入社を選択することで,
自分をどうにか納得させ就活をおわらせた。

元々憧れていた職に働く人々を近く感じながら,
ありがたいことに遠からずな仕事に携わらせてもらっている。

近くて遠いことによるもどかしさは
これからも私のもとを離れてくれそうにないけれど,
考えてみれば幸せなことだと思う。

かつてなりたかった在り方を反映させるために
今の私に唯一できることは,
今の自分の仕事に対してプロとして向き合うことだと思う。

なりたかった“職人”ではいられなくても,
在り方を尊んでなぞることはできる。

プロでありたい。

今のところは,これが私らしい働き方。

#私らしいはたらき方


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