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箱根駅伝の好走で内定辞退?吉田祐也選手の未来を選ぶ力

さて、本日のテーマについてですが、正月の風物詩である、箱根駅伝をテーマにした回にしたいと思います。

先週の12月10日に出場21チームのエントリーが行われ、補欠を含めたメンバーが発表されました。開幕まであと2週間、楽しみにしたいと思います。

このnoteはVoicyの過去の放送を文字に起こしたものです。

本日は福岡国際マラソンで優勝した吉田祐也選手を取り上げます!

さて、昨シーズンの箱根駅伝のおさらいにはなりますが、青山学院大学が王者を奪還したシーズンでした。

この優勝の大きな要因が、原監督に当時ダメダメ世代と呼ばれた4年生。
その中でも4区を担当した吉田祐也選手の活躍が個人的には印象に残りました。
この吉田祐也選手、先日の福岡国際マラソンで、マラソン2回目ながらも優勝、一躍、2024年のパリオリンピックの本命に上り詰めました。

こんな吉田選手ですが、
・4年になるまで、箱根駅伝を経験したことがなく、
・去年の今頃は箱根駅伝に出場できるかどうかが微妙な立ち位置
・大学卒業したら競技を引退する予定で、ブルボンの営業職に内定していた
という立場でした。

この一年で取り巻く環境がガラっと変わったと言えます。

今日は、この吉田祐也選手が、大学卒業直前になぜ進路を変えたのか、そしてなぜ大活躍できたのかについて考えていきたいと思います。
それでは本編スタートです。

箱根駅伝での活躍、内定辞退、福岡マラソン大会優勝までの軌跡

まず簡単に吉田祐也選手の経歴について。
・1997年生まれの23歳。
・陸上を始めたのは小学校3年生からですが、高校時代までは無名の存在でした。
・2016年4月に青山学院大学に進学
・大学入学時は下から数えて4番目の選手ですが、練習を積んで、着実に成果を出していきました。
・箱根駅伝には、2年生と3年生の時にメンバー登録されるも11番目の選手として、あと一歩で手が届かず、大学4年までは縁がありませんでした。
・最後の4年生の時に、箱根駅伝の4区を担当して、区間新記録を達成します。襷を受けたときは2位でしたが、逆転をして、一気に流れを引き寄せました。

原監督もこのように賞賛していました。

「みんな天晴れな走りをしてくれましたけど、4区は予想よりもプラスアルファが出ました。あそこまで祐也が走るとは思いませんでしたね(笑)」

・その後、競技人生の最後の区切りとして別府大分毎日マラソンに出走しました。そのレースで、日本勢トップの3位で、初マラソン歴代2位の2時間8分30秒を記録します。

さて、吉田選手は、卒業後はブルボンの営業職での就職が決まっていたのですが、箱根駅伝での区間新記録、初マラソンでの歴代2位を記録したので、一躍注目されます。

日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略リーダーである、瀬古利彦氏とこんなやりとりがありました。ウィキペディアからの引用です。

瀬古利彦が総括会見をしている時に吉田が会場に居たことで、「ん、吉田くんが居るじゃないか。こっちにおいでよ」と勧誘し、急きょ吉田同席の会見となる。その際に瀬古が「私が、吉田くんに陸上を続けて欲しいと説得したことで、引退を撤回しようとも考えていると聞いたけど、本当に?」と尋ね、吉田は「はい、そうです」と肯定する。そして瀬古は再度、「陸上活動を続けて欲しい」と説得する。

結果的に、青山学院大学陸上部監督の原晋も何度も説得したが、瀬古がそれ以上に何度も強く説得したといい、吉田は陸上を続けることを決意し、GMOアスリーツに所属となる。

最終的には、ブルボンには丁重に内定辞退の連絡を入れて、OBが多くいる、GMOアスリーツに所属しました。

・そして、先日12月6日に行われた福岡国際マラソンで初優勝、日本人歴代9位の2時間7分5秒を記録しました。
一躍、2024年パリオリンピック代表の本命に上り詰めます。

このように、箱根駅伝での好走、その後の別府大分マラソンでの好走、この2ヶ月は、吉田選手の人生を変えたレースと言えますね。

1年前までは、競技人生の引退を考えていた吉田選手ですが、気持ちを維持できて、力を出し切れたのはなぜなのでしょうか?

色々調べてみると、悔しさ、練習量、そこから100%を出し切る力、意志の強さなどかなと思いました。

また、箱根駅伝、別府大分マラソンで好成績を出したとはいえ、
卒業まで残り2ヶ月弱の中で、自分の進路を変えることには勇気が入りますが、なぜ切り替えることができたのでしょうか。

次のチャプターでは、このことについて更に掘り下げていきます。

何故、卒業直前に進路を切り替えたのか?

さて、ここまでは吉田選手の経歴を中心に触れましたが、ここからは、力を発揮できた原動力について、記事を中心に掘り下げていきたいと思います。

まずは、箱根駅伝での優勝の翌日のNumber webの記事、
青学・吉田祐也の区間新と陸上卒業。「原監督を見返したい」から感謝へ。
からいくつか抜粋します。

まず、記事のタイトルにあるように
・競技生活を続けることは考えていなかったようですね。
・また、「原監督を見返したい」とあるように、悔しさが原動力のようです。

では記事に移ります。

箱根での起用を明言されたのは、11月の全日本大学駅伝で5区3位と結果を残した後だった。これまで吉田はエントリーメンバーには入るものの、箱根を走る機会は与えられてこなかった。
チーム1の努力家と誰しもに認められながら、監督の走りの評価は2年生の時も3年生の時も「チーム11番目」。それをめぐって、監督と意見が衝突したこともあったと話す。

「たとえば昨年は風が強くなると予想されていて、監督はそれを理由に外すと。僕自身は風に弱いとは全然思っていなかったので、そんな理由で外れるのは納得がいきませんでした。そういった認識のズレはあったと思います

このように、
・本人としては頑張っているのに報われない
・あと一歩のところで手の届かない
もどかしい状態だったと言えます。

さて、記事に戻ります。

前回の全日本は5区を走り区間賞を獲得。
それだけの結果を残してなお、箱根で起用されることはなかった。2年続けて10区の控えに回されれば、気持ちの面で腐ってもおかしくはない。
だが、吉田はその選択を良しとはしなかった。なぜだろう?

「絶対に箱根を走って、監督を見返したいって。それが一番大きかったです」

もともとエリート街道を歩んできたわけではない。中学も高校も全国的には無名。青学大の陸上競技部に入部したときも、「下から数えて4番目の実力でしかなかった」。
強い先輩がいて、有力な後輩が次々入部してくる中、それでもぶれずに努力を続けたのは、それこそが自身の持ち味であると認識していたからだ。

自分に何ができるかと言えば努力することしかなくて。ないものをねだるよりも、あるものをうまく生かそうと思ってここまで来ました。今年に関して言えば、監督に止められるくらい練習も積めた。”間違った方向には進んでいない”という確信があったので、これまで黙々とやってこられたんだと思います」

このように、「俺はもっとやれるのに」という悔しさがありながらも、「努力をするしかない」と気持ちを切り替える、それを実行に移して監督に止められるぐらい練習を積んでいきました。

そして、競技引退の理由をこのように説明していました。

「高校の頃から競技人生は大学で終わりと思ってやってきて、タイムリミットがある中で目標を決めて最後まで出し切る努力をしてきました。先ほども言いましたが、本当に精一杯の走りができたので、なんの後悔もなく卒業できそうです

以上です。
この記事にあるように、箱根駅伝を走った後は、力を出し切ったので、大学卒業を持って競技生活を引退すると決めていたと言えます。

ただ、ここから、人生を変えたもう一つのレースに出場して、競技生活を続けることを選択します。

こちらも、NumberWebの
「史上最速世代が語る箱根路 vol.1 吉田祐也「人生を変えた最初で最後の夢舞台」を中心に抜粋します。

箱根駅伝のあと、2月2日に行われた別府大分毎日マラソンに挑戦し、2時間8分30秒のタイムで、日本人トップの3位に入ったのである。青学大時代の練習が、フルマラソンにつながったのだ。

「正直、初めてのマラソンには不安があったんですが、原監督から『箱根駅伝の練習をしていれば、十分に走れるよ』と言われていたんです。33kmまでは対応できましたが、残りがきつかったです」

3年生まで目立った実績を上げていなかった吉田は、箱根駅伝とフルマラソンを走った時点で競技生活にピリオドを打ち、一般企業に就職する予定だった。ところが、この2つの大会での走りが彼の人生を変えた。実績を残した吉田はGMOインターネットグループで競技を続けることになったのである。
「将来的にはマラソンでオリンピックを目指したいと思っています。1年前は、こんな目標を口にできるとは想像できませんでしたが、コツコツ練習を積み上げてきたのが良かったと思います。

青学大の場合、高校時代から華やかなキャリアを持つ選手も多いですが、僕はたたき上げで、4年目にやっと箱根駅伝を走るチャンスをつかめました。でも、レベルの高い環境で練習を積み上げたことで、他校の選手とも同等の力がついていたんだと、最後の最後に気づきました

以上です。

さて、ここからは、私の主観も入るのですが、競技人生を続けると決断した要因を分解してみました。

・まず、2、3年生のときにあと一歩届かなかった悔しさがベースにあります。
・ここで折れずに、更に練習を積み重ねるしかないと気持ちを切り替える
・そして、練習量は裏切らないと思い力を100%出し切れる
・それが、結果として自信になったのだと思います。

そして、箱根駅伝、別府大分マラソンで好記録を出せたことで、ステップアップできる。自分の見える景色が変わったんだろうなと思います。

まだ自分はやれると。であるので記事の最後にあるように

僕はたたき上げで、4年目にやっと箱根駅伝を走るチャンスをつかめました。でも、レベルの高い環境で練習を積み上げたことで、他校の選手とも同等の力がついていたんだと、最後の最後に気づきました

という言葉に繋がったんだろうなと思いました。

さて、今回まとめてみて、学生でありながら、卒業まで2ヶ月弱しかない中での進路や目標を変えるのは、純粋にすごいなと思いました。

次のチャプターでは仕事や日常生活に役立つTipsについて考えてきます。

現在、過去、現在、未来の時間軸を自己分析にも活用してみよう

さて、今回のTipsについてですが、結構シンプルなTipsです。

「選択肢は、努力によって生まれる」にしたいと思います。

今回まとめてみて、努力や練習を積み重ねられるのも、途轍もない才能なのかなと思いました。
それがあるから、100%力を出し切れる、次のステージが見えてきます。そして次の目標も見えてきます。
見えてきたら、自分はどっちに進みたいのかを選択できる。

監督や瀬古さんからの説得は受けたが最終的には自分の意思で、競技続行を決めることができた。

そして、自分の意思で決めることができたことで、新たな目標も設定できる。GMOアスリーツでも彼の強みである、練習を誰よりも積むことができて結果として、福岡国際マラソンでの優勝につながったんだろうなと思います。


また、ちょっとTipsについて補足します。
当チャンネルの第23回放送「青学 原監督と1分で話せの伊藤羊一氏に学ぶ思考法」の放送ではプレゼンや発信がテーマの回でした。

この回のTipsは思考の往復運動をしようということで、現在-過去-現在-未来という時間軸での思考の往復運動について触れました。

現在置かれている状況は過去の積み重ねの上で成り立っている。
ここまでこう歩んできた。その延長線上に未来は存在して、では未来はどうあるべきかを考え、その理想像を提案するべきという思考法です。


この思考法ですが、自己分析とかにも応用できるのかなと思いました。
吉田祐也 選手に当てはめるとこんな感じです。

初出場でありながらも箱根駅伝で力を出し切れたのは、”誰よりも練習を積んできたという過去”がベースにあります。
であるので、”練習量は裏切らないというふうに考えること”ができる。
そして、次の別府大分マラソンでも、箱根駅伝で力を出し切った、練習を積んできたから、30kmを超えると未知数だが、やれると信じて、力を出し切れた。

結果が出たこともあり、大学卒業後はこれまでの陸上競技の経験を営業でも活かせるとは考えていたが、マラソンの好記録が自信になります。
・まだまだ陸上競技を続けたい
・そして、”自分がどうありたいのか”を考えて、
陸上競技を続けたいという思いに至り、競技生活を続けることを決めたんだろうなと思いました。

今回は、吉田選手がこれまでの練習で積み上げたことが結果として、将来を変えることに繋がっただろうなと思ったので、放送タイトルにも未来を選ぶ力というキーワードを入れてみました!

このnoteはVoicyの過去の放送を文字に起こしたものです。
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