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2月最後の日に思うこと

今朝、カレンダーを見て、えっ!?

28日?今日で2月終わり?と、びっくり、固まってしまいました。

このところ、連日、今日は何日と日付を書くことが続いていて、昨日もしっかり2月27日と書いてきたのに、今日が最後、明日から3月だということを、完全に忘れていたのです。


例年2月は28日まで、4年に一度は29日まであると認識していたのに、なぜ今日が最後の日だと驚いたのか、自分でも不思議です。

ただ、今年の2月ほど、旋風の中にいたという感覚がずーっと続いたのは、初めてかもしれません。

その成果、それだからなのか、心身ともに不調の1ヶ月でした。

昨年の春頃から始まった、突然、急に心臓が鷲掴みされるような、ギュンとした感覚。しばらくなかったのですが、1月ごろからまた始まって、今回はランダムではなく、毎日必ず1回やってきて、しかも眠っている時以外は、ずっと胸に違和感のような、軽く触られているような、なんか来るな…という予兆のようなものがある。

そんな感じでした。


先日、内科の定期受診で話をしたところ、「数十秒の発作では、狭心症ではない。安定剤を処方してあげるから、飲んでみて」と言われ、飲み始めました。

以前、母が亡くなってすぐの頃にも、出してもらったのですが、その時は効いたような効かなかったような…眠気がすごくて、朝、ちゃんと起きられない。そんな記憶があります。


幸い、今回はいつも通りにちゃんと朝、目が覚めて起きられるので、寝坊、寝過ぎの心配はありません。

薬が効くのがどれくらい飲んでからなのかはわかりませんが、確かに昨日は発作はなかったなぁ…

期待しすぎないで、期待したいと思います。


脚の方も、相変わらず。

でも、こっちはもう、痛いのが慣れっこになっているので、朝起きて、タイツやズボンをはくとき、椅子から立ち上がって歩き始めるときに、「痛い!」と言う程度で治っているので、なんとなく気にならない感じ。

寝ていても痛いときがある時に比べると、今は楽かな・・・


心身の不調の原因は、おおよそ予測はついていて、周辺のゴタゴタ、身近な人の病のことだなぁと…

周辺のゴタゴタについては、巻き込まれている、というよりは自分からその旋風の中に入っていった感があるので、誰の責任でもない。自分自身が起こしていることは自覚があります。


見てみないふりができない、弱い立場にいる人のことを放って置けない。というのが根底にあるようで、その人の辛さや苦しさ、痛みを自分のことのように感じてしまうのです。

それは子供の頃から感じていたことで、よくいじめられたり仲間外れにされたりしてるのを見ると、あえてその子と仲良くなっり、代わりに言いまかしたりしていました。


だからといって、私が何かをされたり、いじめられても誰も助けたり、庇ってくれたりしない。

損な役回りだなと感じながら、自分で好きでやっているんだからと諦めることを覚えたのも、小さいとき。

なので、あまりひとに期待しない癖が身についたみたい。


今日、実感したのは自分の痛みや生きづらさに対しては、鈍感なのに、ひとの痛みや生きづらさに対しては敏感だということです。実際、自分の痛みや生きづらさに敏感でいられたら、すぐに気づいて自分を喜ばせたり、その場から離れたら、さほどの傷にはならないのに、鈍感なせいか、身体にこないとわからないのです。


こどもの頃から、よく円形脱毛症になったり、心臓神経症的症状で、夜中に眠れなくなったり、ひとと話ができなくなったり…

後になって、これはあの時のあれで、心が痛かったんだなぁとか、生きづらさを感じていたんだなぁと、初めて気づいて傷ついていたことに気づく。そんなことばかりしていました。

で、今もそれはあまり変わらない。


冷静になって、今までの自分のしてきたことを振り返ると、やっぱり自分ファーストで入られない性格なんだなと、

それが嫌だとか、やめたいという以前に、なんかさみしいなぁという感情しかわかない。

自分2nd、3rdの立場が身についてしまっているのかな…なんて。


でも本当は、それよりも強いのが、ひとの心がわかってしまうというのが大きいかも。

小さい時から、両親との話や、誰かが喧嘩している時も、本当はこういうことをしてほしい、したいからこう言っているんだ。わかってしまって、例えば二人が喧嘩をしたとき、彼はこう思っているからこういうことをいったんだよと言い。一方で、彼女はこう思っているから、こういう態度に出たんだよとか、双方の心理状態を説明する役目を必ずしていた記憶があって、両親はもちろん、周りからも

何度となく(相手が何を考えているか)よくわかるね〜と言われてきました。

ときには、気持ちが悪いとも。


でも、これは別にトレーニングしてきたわけでも、学んだわけでもないので、感じるものは感じるとしか言いようがありません。

幸いというか、子どもの頃よりは、鈍っているかも。

それとは別に、共感能力というものらしいのですが、相手の感情をもらってしまいやすい傾向があります。

周りにいる誰かの、心のありよう、特に痛みとかつらさを自分のことのように感じてしまい、

苦しくなったり、悲しくなったり、泣きたくなったり、つらくなったり。

こちらは、今もあります。

病気のように捉えている人もいるようですが、病気ではなく、気質の傾向だと思っています。

性格に付随するものとして、あるもの。


最近も、それでキツイなぁと感じることが、いくつもあって…

シャットアウトするといいのでしょうが、そうすると自分の周りにある、心地のよいものまでシャットアウトしてしまう。それは寂しいし、悲しい。


なので、どれも感じて流すようにしています。

自分がそれを感じ切ることで、自分なりの思いや感覚、対処法もわかってくる。

見ないふりをすることの方が、よほど辛いし、解消するまで時間がかかる。

時間が解決してくれるものばかりではありませんし、解消するまでの時間も、それぞれ異なり、短いものから長いものまであります。が、それを含めて、今の自分には必要な体験だったのかなと…


私自身、こうしてブログを書いたり、FBやTwitterをしていますが、SNSの功罪は大きいなと感じています。

できるだけ、自分を痛めつけるものを遠ざけ、心地よくなれるもの、癒してくれるもののそばにいる。

自分で自分を傷つけないように気をつけたいものです。


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